1コメ 『キモコメ』おじさん、転生
そよ風。
草木の揺れる音。
鳥の囀り。
1人の少女が清々しい草原の上で、目を覚ます。
「アリィー!アリィー!!」
誰かを呼ぶ声。だが自分と声の主以外に人らしい人はいないことに気づく。
「え…?」
「いたー!何してたのよ!」
「何…?えっと、何だっけ。」
『何も思い出せない。えっと、私は誰だっけ…?アリィ?いって…頭痛ぇ…。』
ズキズキとする頭を抱えながら、『アリィ』と呼ばれた女性は辺りを見渡す。そして、近づいて来た女の子にピントが合った。
「どしたのアリィ?具合でも悪いの?」
「え…。」
「あぁ…すっごい可愛いね、君。」
――
―
ある日の朝。熊田はいつも通り出社した。そして、エレベーター前で立ち止まる。
思えば『変わるんだ』と誓って以降、目新しいことにはほぼチャレンジしていなかった。
唯一やったことは、異世界美少女とマッチングできると話題のアプリ『ビヨンドザわーるど!』に登録した位。なんだそのネーミング。
「よし。」
オフィスは7階。
覚悟を決め、エレベーター脇の階段を登り始める。おいおい、大丈夫か肉太郎よ。
『ドクン』
「ぜぇ…ぜぇ…。」
巨体が汗だるまになり、階段を1段1段しか登れない。現在6階。もう限界。もういい!よく頑張ったよ!!
『ドクン…ドクン』
「まじ?凛々島ちゃんも?!」
「はい…。」
ふと、階段の上の方から男女の話し声が聞こえた。
『ドクンドクンドクン』
「肉太郎マジキモいよね。」
「昨日なんか資料持ってった時、ずっと女の子の写真見ててニヤニヤしてました。本当無理で…。」
『肉太郎、キモい』とはっきりと聞こえた。
普段は周囲を気にしないくせに、こういうチクチク言葉には妙に敏感である。まぁ誰しも、自分の悪口は耳に入れたくはないからね。
何よりも『女の子の写真を見てニヤついている』と言われたことにハッとした。
『ダメなのか…。』
ダメってか、仕事中に見んな!
「最近多いじゃん?おじさん構文とか、『キモコメ』とかさ。女の子に『かわいー♡』とか送りつけて。公害だよマジ。」
「わかりますわかります!」
ちょっと、そこまで言わなくても…という内容の悪口が次から次へと放たれる。本人が聞いているとは露知らず。
『ドクドクドク』
『俺は、生まれてから今まで…モテもしなくて。それでも女の子が好きで。好きで好きで好きで。好きだっただけなのに。』
『ドクドクドクドク』
『なんでそんな言われ方…しなきゃなんねぇんだ…。』
「ピロン…心拍数の異常な上昇を検知しました。AIマッチングを、開始します。」
突然、スマホで何かのアプリが起動した。おい、なんか始まったぞ肉太郎ー!
『くそっ…!キモコメ…?俺がいつそんなことしたんだ?!女の子たちは、喜んでいたはずだ。それをキモいだなんて言葉で一括りにしやがって…!!』
悔しさから、涙がポロポロ溢れる。同情はしないが、少しだけ可哀想だなとは思う。
もう肉太郎の頭の中は真っ白だった。唯一と言って良いい楽しみが全否定され、キモがられ、拒絶された。
『俺は…何のために生きてるんだろう。』
階段の手すりにもたれかかり、絶望の縁を彷徨う。そして、『今日はもう帰ろう』と階段を降りようとした刹那。
『ツルッ』
段を踏み外した。
「アァアッ…!!」
自分でもびっくりするほどマヌケな声を出し、ゴロゴロと階段を転がり落ちる。
『ガラガラガラガラ!!!』
大玉転がし、落石、蒲田行進曲。
見事なまでの転がりっぷりである。
全身を強く打ち、100kgの肉塊が勢いを増しながら転がり落ちていく。
『ドクドクドクドクドクドク』
さっきまで真っ白だった頭は逆に冴え、今までの思い出が走馬灯のように流れる。
…って、99%女の子じゃんか!
『ガキィンッ』
3階分転がり落ちたところで階段の扉に頭を強打。
享年、37歳。
「マッチングが、完了しました。熊田さまの意識を、異世界美女へ転送します。ご利用、ありがとうございました。」
目の前が真っ暗になった。
―
――
そよ風。
草木の揺れる音。
鳥の囀り。
目の前には、引き攣った顔の女の子が。
「か、かわいい…?」
「うん。」
「どうしたーー!頭でも打ったか貴様!!」
「うるさ!なんだよ。ほんと、誰…?」
突然喚き出す女の子。『アリィ』は、全く状況が掴めないでいた。
そして少しずつ気がつく。
『え?俺…女になってる…?』
胸のあたりには『重力』を感じ、もっと下に意識を集中させると『あるべきモノ』がない。
髪は肩にかかるくらいで…青い。
『青!?流石に青はねぇだろ!!』
そうなんだからしょうがない。
「かわいいかわいい妹のエリオちゃん様を忘れるとは。重症だわね。」
「妹…?ごめん。全く覚えてなくて。」
「そなんだ。じゃ、帰るよ。」
「どこに?」
「家に決まってるじゃん!それも覚えてないの!?」
頭痛の上に色々な情報が交錯し頭が爆発しそうになる。
ひとまずアリィは立ち上がって周囲を見渡してみる。草原が地平線まで続き、雲が流れていく。見覚えのない景色だが、どこかノスタルジーを感じる。
2人でひたすら草原を歩く。
「でさ…えっと…。」
「エリオ。」
「エリオ、ちゃん。」
「ひっ!?」
ぞわぞわっと。身体を強張らせる。
「ちゃん?!ほんとなんなの…今日は厄日よ。」
「そんな、ビビんなくても…。あの、ここって、どこなの…?」
「わかった。じゃあほんとに、イチから説明してあげる。」
それは助かります。私の仕事も減るし。
「ここは『パテル王国領メレンダ』。私たちはその街に住む姉妹で、私がエリオ・エオウィル、あんたがアリィ・エオウィル。」
「エリオで、アリィ。」
「そ。で、アリィが近所に見当たらなかったから探しに来たってわけよ。」
パンチが効いた御伽話である。名前の響きからしてヨーロッパの方らしい。顔立ちもお人形さんみたいだし、日本人とは全く別物だ。
で?パテル?メレンダ?姉妹??全く合点がいかない。なぜここへ来たのか。何のために…?
「あ。」
「ん?どした?」
エリオが急に立ち止まる。
『グルルルル…。』
熊のような動物が、そこにいた。ハッキリと熊とは言い切れないような特徴の生き物。口からは涎を垂らし、こちらを睨みつける。
そこでなんとなく気がつく。
そうそう、その通りだよ。
『俺は異世界に転生したのかもしれない。』