心のハンケチーフは品切れです
「1つだけ。お約束いただきたく存じます」
窓から光が降り注ぐ、この国で一番豪奢を極めた部屋。
その中で幼い少女の声が、一つの未来を決めた。
1.
「シルヴィアっ、シルヴィア・レギーナっ」
背後から聞こえた叫び声に、シルヴィアは足を止めた。銀髪を揺らして振り返ると、予想通りそこにいるのは己の婚約者のアーロン・エーデルシュタイン第一王子。並びにその側近達である。
王立エーデルシュタイン学園の卒業式が済み、これからプロムという1年で一番の大イベントに婚約者にドレスを贈るどころかエスコートもしない面々がどの面下げて声をかけてきたのかと思うと、なんとも一様に驚きの顔色の白さだ。せっかくの色白っぷりだというのに七難隠すどころか難を浮き彫りにしてらっしゃる。あら不思議。
「どうなさいました、アーロン殿下」
「ど、どうもこうもないっ。何だ先程の発言はっ」
「……と、申されますと?」
「とぼけるなっっ先程の貴様の答辞だっ。何を血迷ったか、何故己を次期国王だなどと宣ったっっ」
そう叫んで、爪の先まで整えられた指先をシルヴィアに突きつける。生憎、ぶれっぶれに震えているので美しさのかけらもないが。
「王太子を自称するなど、重罪だぞっ。この様な場でそんなデタラメを宣言するなど、貴様一体何を考えているっ」
「何をとおっしゃいましても、私の王太子就任は議会で正式に決定されました」
「なっ……っ」
「お疑いでしたら、後ほど貴族院へご確認を。では、急ぎましょう」
「まままま、待てっ。勝手に話を終わらすなっ」
問いに答えると、くるりと背を向けたシルヴィアにアーロンが必死で手を伸ばす。
「何でしょうか。というか、そのお話は今でなくてはいけないのですか」
「当たり前だっ。このままでは全校生徒がお前を王太子と周知してしまうだろうがっ」
「いえ、すでに貴族の間では情報は伝達していますので、特に意味はないですね。では問題ないということで」
「だから、待てと言っているだろうっ。微塵の迷いもなく背を向けるなっ足を進めるな……って、歩くの速いなっ」
「……先程から何なのですか、一体。御用があるなら手短に、とお願いしておりますのに」
仕方なしに再び足を止めたシルヴィアの前に、顔色真っ白集団の中から桃色が飛び出した。
「とぼけないでくださいっ。どうして、どうしてシルヴィア様が次期国王だなんて、ひどい嘘を言うんですかっ。この国に王子はロンしかいないのにっ」
小鳥の様な愛らしい声で、さらりと王子を愛称で呼んだのはストロベリーブロンドを揺らしたオルテンシア・アヴュール子爵令嬢だ。2年の途中から編入してきた彼女はアヴュール子爵の庶子であったが母親を亡くしたため父親に引き取られ貴族の何たるかもろくに知らないうちに貴族学園に放り込まれる。けれどその貴族らしからぬ屈託のない笑顔と愛らしい容姿で飾らない言葉を駆使してあっという間に高位貴族の男子とお花畑グループを結成するという、巷で流行りの恋愛小説のフルコースを短期集中でこなしてみせた猛者である。
だが一国の王子を虜にしたその愛らしさをかなぐり捨て、彼女は叫んだ。ろくに授業も出ない上に王子と取り巻き以外からは立ち入り禁止区域並に誰も近寄って来ないものだから、王位継承権も議会承認制も何だかさっぱりわからない。ただ、このままでは『私の王子様』が『王様』ではなくなり、自動的に自分も『王妃様』になれないらしい、ということだけは本能で察知した。
「ええ、確かに国王夫妻のお子様はアーロン殿下お一人です。ですが、王位継承権を持つ者が一人しかいないわけはないでしょう」
それではアーロン一人が死んだら、国ごと詰みだ。国家がそんな無謀な賭けに出るわけもなく、当然王位継承権を持つ者はざっと20名ほどいる。
「王位継承権を持つ者を決められた期間内調査、査定し、議会で王太子を選定する。現国王の次の王位が議会承認制になったのは、もう10年も前に決まったことです。……殿下と私の婚約が決まった時にきちんと説明もされましたし、そもそも政治経済の基礎授業でも習ったことでしょう。今更、何を驚いておられるのです」
「そ、そんな事はわかっているっ」
いやわかってないだろ。
その場の生徒ほぼ全員が心の中で合唱した。
「私が聞いているのはそれでなぜ貴様が選ばれるのかということだっ。唯一の王子である私を差し置いて選ばれるなど、貴様一体どんな卑怯な手を使ったっ」
「そ、そうですよっ。シルヴィア様はロンにいつも冷たく当たって……あまつさえ王位まで取っちゃうなんてひどすぎますっ。婚約者なのにどうしてロンを大切にしてくれないんですかっ」
「オリー……っ」
あれ、何か始まった。
突然手を取り合って目をうるませた目の前の2人に、シルヴィアは厄介な事になりそうな気配を察知する。
「私はどんなに意地悪なことを言われても仕方がないって耐えていました。シルヴィア様を傷つけてしまったから……」
「オリー、君は悪くないっ。私が君を愛してしまったから……っ、く、そうかシルヴィア、お前は私がオリーを愛したことに嫉妬して……っ」
「いえ、そんなことは全くどうでも良いのですが」
面倒なのでとりあえずぶった切った。
さぁ今から盛り上がるところですよと力んでいた2人はずっこけそうになったが意地で耐えた。
「ど、どうでも良いって」
「あなた方が校内でも街中でも王城でも人目も憚らずせっせと逢引に励んでいらっしゃるのは知っていますが、正直『え、人前で何やってるんだろう、恥ずかしい人たちだな』としか思いませんでしたし」
「え、な、お前、」
「みっともない人たちだな、としか思いませんでしたし」
「何故言い直したっ。しかももっとひどくっ」
「この若さで露出狂って、この人達この先どうするんだろう、と思ってましたし」
「どんどんひどくなってるぞっ。というか、令嬢の口から出たらいけない言葉だろう、それっ」
「実行してる人に言われたくございません」
自分たちの愛のメモリー()をあっさりと変態認定されて呼吸が苦しくなったが、アーロンは耐えた。王太子宣言から動揺しっぱなしの中で、ようやく目の前の彼女の様子のおかしさに気づくまで情緒が追いついた瞬間だった。
「シルヴィア」
「はい」
「……何か、おかしくないか、そなた。その様な発言を」
本当に今更な問いをアーロンは口にした。
己の婚約者、シルヴィア・レギーナはこの国一番の高位貴族、レギーナ公爵家の令嬢である。父親同士が従兄弟である彼女と婚約を結んで10年になるが、銀髪に紫の瞳を持つ雪の精霊のような儚げな美貌を持つ彼女はどんな時でも模範たれ、と教育された淑女の中の淑女である。
高貴な生まれに甘えることなく、磨き続ける優秀な頭脳と気品あふれる所作で、シルヴィアはアーロンを公私共に支え続けた。
天上の調べのように美しい声はアーロンを諌める言葉ばかり紡いだが、それでも淑女らしくやんわりと婉曲な表現で窘めるだけだったのに、なぜこんなキレッキレのサーブを打ってくるのか。
先程の王太子就任宣言といい、婚約者であり王子である己にこんな言葉を向ける事といい、何かあったのではと今更ながら問いかけた。
「ああ、申し訳ございません。ようやく我慢する必要がない立場になれたもので、今まで心のハンケチーフでくるんでいた本音がポロポロと」
単に本音だった。
アーロンの目にちょっと涙が浮かんだ。
「そんな、そんなに怒っているなんて……私が、シルヴィア様のお心を傷つけてしまったのなら謝りますっ。ですからどうか、」
「いえ、傷ついたのは胃です。謝るなら胃に謝ってください」
「王位を奪うなんて、え、胃?」
「胃です」
どうにかお花畑劇場へ引き戻そうとしたオルテンシアを遮ったのは、臓物の指定だった。
生まれて初めて消化器官に謝れと言われたオルテンシアは、砂漠猫のような顔になった。
「え……っ」
ここまで来て、おかしいのは婚約者の様子だけではないとアーロン達はようやく気づいた。
卒業式を終え、プロムの会場であるダンスホールへ向かう途中の大講堂。そこで自分たちを取り囲む周囲の生徒たちは、皆自分たちを見ている。もちろん皆に聞かせる目的もあったのでそこは当然なのだが、わからないのが彼らの視線の色である。平民も貴族も、何なら教員まで含めて、驚きでも好奇心でも、眉をひそめるでもなく、ひたすら真顔で自分たちを見つめている。そしてその真顔にはなぜだか一様に無言の圧を浮かべているのだ。例えれば、今お前のいる周辺に地雷が隙間なく埋まっているのだと無言で伝えているかのように。
妙な圧迫感にゴクリ、と喉を鳴らした瞬間、シルヴィアが口を開いた。
「貴方様が玉座につけない理由は簡単です」
10年前から変わらず美しい婚約者が美しい立ち姿で美しい唇を開き
「貴方が、働かないからです」
10年前に決めていた事を告げた。
「面白い!」「続き読みたい!」など思った方は、ぜひブックマーク、下の評価を5つ星よろしくお願いします!




