344 テキサスの午後は慌ただしく
現地時間13時10分から始まったWBW決勝トーナメント準決勝戦日本対ロシアは、9-8で日本の勝利という形で終わりを告げた。
現在時刻は19時を過ぎたところ。現在位置は空の上。
渡米した時と同じ機種のハイエンドな大型チャーター機の中だ。
準決勝戦の舞台であるアワーサーヴァント・フィールドのあるテキサス州ヒューストンから、決勝戦が行われるフロリダ州のマイアミへと向かっている。
所要時間は3時間程度。
宿泊施設に到着したら、恐らく23時ぐらいになるだろう。
何にしても時間がないので食事とミーティングは機内で済ませ、ホテルに着いたら後は寝る準備をして床に就くだけの予定だ。
それでもう決戦当日となる。
挑戦者の立場なのだから仕方がないが、慌ただしくて仕方がない。
決勝戦はナイトゲームで、現地時間19時開始なのがせめてもの救いだ。
「球場。思ったより酷い状況だったみたい」
ファーストクラス以上に広い座席シートに背を預けた俺の隣に当たり前の顔で座りながら、あーちゃんが呆れ気味に呟く。
彼女の視線の先。正面に備えつけられたモニターにはスポーツニュースが流れており、少し前のアワーサーヴァント・フィールドの様子が映し出されていた。
具体的には、群衆がバスを取り囲んでいる非常に物々しい光景だ。
「自業自得だけど」
「……そうだな」
どうもロシア代表は試合終了後、メディア対応も最小限にして逃げるように球場を後にしようとしていたらしい。
しかし、試合中の彼らの行動は多くの野球ファンの逆鱗に触れてしまっていた。
当然と言えば当然かもしれないが、特に現地で観戦していたアメリカ人などは日本代表が勝利しただけでは溜飲が下がり切らなかったようで……。
彼らは警察と州兵までもが出張っている厳戒態勢も顧みずバスを待ち伏せし、危険なプレイに対する抗議を行ったとのことだった。
ちなみに、伝聞の形を取ったのは少なくとも俺は実際に目にしていないからだ。
と言うか、既に球場にいなかった。
日本代表選手と首脳陣は、大半が勝者としてメディア対応を活発に行っていた。
その一方で俺と美海ちゃんは検査のため、速やかにテキサスの病院に向かった。
主に美海ちゃんの足のレントゲンを撮るのが目的だったが、改めて俺の脳震盪のチェックを行っておくためというのもあった。
勿論、【怪我しない】俺は身体的に一切異常がないのは間違いなく、試合中も問題なくプレイしていたこともあって医師から出場可能の判断を貰うことができた。
それら全てを日本代表のメディア対応の合間に終え、俺と美海ちゃんは直接空港に向かって皆と合流し……今に至っている訳だ。
この世界の野球選手、特にWBWに出場する程の選手は他国においても特別待遇を受けることができ、検査も優先的に行って貰えたのは幸いだった。
状況が状況だったので、アメリカ側が便宜を図ってくれたのもあるだろう。
さすがに今回の件に関しては、これ幸いと盤外で邪魔をしようものなら絶対王者たるアメリカの名が傷ついてしまうからな。
「何にしても、あんな試合、2度としたくない」
「ホントにね。でも、今となっては私のことより、秀治郎君が無事でよかったわ」
俺達のすぐ近くの席からそう言った美海ちゃんの傍らには松葉杖。
目元には泣き腫らした跡が見られるが、今は表情も落ち着いている。
「みなみー……」
「茜、そんな顔しないの。幸い骨折はしてなかったんだし」
「けど、復帰できるまで大体3週間から4週間。打撲にしても大分重い」
「レギュラーシーズンの開幕にはまず間違いなく間に合わないっす……」
あーちゃん同様、倉本さんもまた痛ましげに言う。
対して美海ちゃんは困ったように眉を八の字にした。
それから軽く咳払いをし、意識的に厳しい表情を浮かべるようにして口を開く。
「そんな先のことは後で考えればいいわ。今は目の前の試合に集中しなさい」
「…………みなみー、立ち直り早い」
「そりゃね。勝ったもの。WBW準決勝戦の勝利投手よ? この私が」
言いながら胸を張る彼女。
その声色はむしろ誇らしげだ。
6回3失点。先発だったらQS。
ロシア代表相手と考えると出来過ぎなぐらいだろう。
「怪我したことも、戦ったのが怪我させようって相手だったことも確かにムカつくわ。けど、勝った。秀治郎君が勝たせてくれた。今はそれで十分よ」
「女性ピッチャーが準決勝戦で投げるのも、勝利投手になるのも史上初だからな」
「ええ。歴史に名を刻んでやったわ」
試合が終わって、時間も少し経って。
怪我をした直後は後少しというところで降板させられた悔しさが勝っていたのだろうが、チームが勝利したおかげでそれも大分薄れてくれたようだ。
むしろ高揚感も見え隠れしている。
やはり勝利と敗北では天と地程の差があるもの。
この試合は日本のためにも美海ちゃんのためにも絶対に勝たなければならなかったし、勝つことができてよかったと改めて強く思う。
勿論、怒りが消えた訳ではない。
だが、もし負けていたら。
もっとドロドロとした陰鬱なものになっていたはずだ。
一方で、今俺達の胸にあるのは義憤のようなものと言える。
さすがに笑い話にするにはロシア代表は余りにもやらかし過ぎてしまったが、こちらの心が歪んでしまう程の大事には至っていない。
むしろ傍から見ていた者達の方が心配なぐらいだ。
俺達は俺達の手で打倒できたからこそ、ある程度昇華できている部分がある。
しかし、観客や視聴者は俺達の勝利だけでは気が済まないだろう。
直接的に関与できないだけにモヤモヤが残る。
その結果の1つがさっき見ていた映像だろうが……。
しばらくは混乱が続いてしまうかもしれない。
とは言え、美海ちゃんの言う通り。
今の俺達がすべきことは、目の前の試合に集中することだ。
諸々の対処はその後で改めて考えればいい。
「……私から秀治郎君への継投+未来と秀治郎君のバッテリーなんて、多分これっ切りだろうしね。日本野球における伝説的なエピソードになるんじゃないかしら」
そういうことにして無理矢理に飲み込もうとしている感もなくはないが、変に負の感情を募らせるよりは余程マシだろう。
だから俺も「そうかもしれないな」と頷いた。
若干蚊帳の外なあーちゃんは少し唇を尖らせているが、今はスルーしておく。
「うん。それに、そもそも選手生命が終わるような怪我じゃないんだし、焦ることなくちゃんと治せばまた投げることができるんだから大丈夫よ」
「ああ。青木さんと柳原さんのサポートがあれば、尚のこと心配はいらないさ。最短でキッチリ仕上げられるはずだ」
何より彼女は【成長タイプ:マニュアル】だからな。
足に負荷のかからないトレーニングをして【経験ポイント】を稼いでおけば、無理せずステータスを維持することもできる。
万全の状態まで戻すハードルは比較的低い。
当然ながら美海ちゃんはそんなこの世界に隠された仕様を把握している訳ではないが、少なくともリハビリへの不安は一切感じられない。
正樹という身近な実例のおかげもあるだろう。
彼女は俺の言葉に深く頷くと、冗談めかすような笑みと共に口を開いた。
「試合に出られなくたってベンチで応援することぐらいはできるんだから。私のことを変に気にしたりして情けない姿を見せたら怒るからね」
そこまで言ってから、美海ちゃんは一転して真面目な顔で言葉を続ける。
心のわだかまりは依然としてあり、それがまた表に出てきてしまったようだ。
「私のことを思ってくれるなら、勝って私の勝ちにもっと意味を持たせて」
「任せろ」
「世界一に昇り詰めてやるっすよ! みなみんも連れて」
「ん。絶対に勝つ。そして、わたしも伝説的なエピソードをしゅー君と残す」
「茜は…………全くもう。しょうがないわね」
あーちゃんの彼女らしい言葉に、肩の力が抜けたように苦笑する美海ちゃん。
行ったり来たり。
気持ちが完全に落ち着くまではまだまだかかりそうだ。
それでも幾分か普段通りの空気が戻ってきたのを感じながら。
俺達は一先ず食事を取ることにした。
それからしばらくして。
機内での全体ミーティングが始まる。
『皆さん。今日はお疲れ様でした』
1人1人に配布されていたタブレットにインストールされているWeb会議ツールを通じて落山監督の声が発せられる。顔もアップで映っている。
ただ、俺達は比較的近いところにいるので二重になって少し聞き取り辛い。
とりあえずタブレットの方をミュートにしておく。
「タフな試合……どころではないことが多々ありましたが――」
落山監督は初っ端から少し言い淀みながら、気を取り直して続ける。
「我々日本代表は48年振りに準決勝を突破し、決勝戦に進出することができました。これは快挙と言っていいでしょう」
これまでの世界の常識として。
アメリカ以外の国にとって決勝進出は最良の結果だ。
前回大会の汚名を雪ぐことは、間違いなくできたと言っていい。
国際社会における日本の立場も、ここ数十年で最も高まるのは確実だ。
「ですが、我々の目標はあくまでも打倒アメリカ。WBW優勝です」
ここで落山監督の発言に異を唱えるものは勿論いない。
それはこの大会が始まる前から公言していたことだし、意思統一もされていた。
後1つ勝つ。
そうしてこそ有終の美を飾ることができる。
これで満足としてはいけない。
「そのために、まずは明日の決勝戦で予想されるアメリカ代表チームのスターティングオーダーを共有したいと思います」
その言葉を合図にタブレットの画面が落山監督の顔のアップから、プレゼンテーションソフトのスライドへと切り替わる。
画面に記された名前は全て見覚えがある。
顔もちゃんと紐づいているし、ステータスだって頭の中にある。
それだけ繰り返し繰り返し見続けてきた。
誰も彼もが【特殊生得スキル】を持つ錚々たる面子。
1番から9番まで。それこそピッチャーもDHも含めて。
まさしくレジェンドの魂を宿した選手達。
それこそが、このWBWの決勝戦において俺達が挑む相手だ。
「では、読み上げます」
その名を、落山監督は1人1人読み上げ始めたのだった。




