閑話47 彼から見た彼(五月雨月雲視点)
どうやらバンビーノ選手は、ボク達が思っているよりも遥かに正確にボク達の立場や背後関係について把握していたらしい。
つまり秀治郎選手について単なる一般常識として知っているだけの日本人ではなく、彼とも深い親交のある日本人(スパイ疑惑濃厚)だったからこそ。
わざわざバンビーノ選手はボク達と会って話す機会を作ったのだろう。
共通の話題などと前置きしていたのがその根拠だ。
まあ、実際のところどうなのか、詳しく確認することなんてできないけれども。
そんなことを問い質したら、それこそ自白に他ならない。
とは言え、いずれにしても本当にそこまで知られているとすれば、ここからの会話には細心の注意を払わなければならない。
たとえ現時点ではバンビーノ選手にボク達を告発する気がないにしても、下手に言質を取られたら気が変わって通報されてしまう恐れもある。
それこそアメリカ大リーグのトッププロである彼ならば、国の諜報機関とのコネクションがあったって全く不思議ではないのだから。
いくら警戒してもし過ぎるということはない。
『――貴方は、秀治郎選手がアメリカの脅威になると考えている訳ですか?』
そんな中で改めて、仁愛先輩が皆を代表してバンビーノ選手に尋ねる。
彼はそれに対し、どこか含み笑いをするようにしながら口を開いた。
『その問いへの答えはイエスだけど、恐らく君達の認識は十分ではないね』
『十分では、ない?』
微妙な言い回しを受け、仁愛先輩は訝しげな表情を浮かべながら繰り返す。
それから彼女は、視線でその意図を尋ねるようにバンビーノ選手を見詰めた。
ボクもまた、内心首を傾げながら彼の言葉を待つ。
『その通り。より正確に言うのであれば、シュウジロウ選手も、となる』
『も……?』
それもまた余り要領を得ない言い方だ。
どうもバンビーノ選手は勿体ぶってボク達の反応を楽しんでいるらしい。
結構、意地が悪い。
何と言うか、悪ガキっぽいところもあるようだ。
『……それは磐城選手や大松選手も、という意味ですか?』
『彼らのことも勿論承知しているけど、それもまた完全な回答とは言いがたいね』
軽く首を横に振りながら、またも煙に巻いたような答えが返ってくる。
しかし、今度は間を置かずにバンビーノ選手は続けた。
『例えばイタリアのルカ選手、オーストラリアのジョシュア選手、オランダのフェリクス選手、キューバのノスレン選手。ロシアのファリド選手』
彼は指折り数えるようにしながら名前を呼び上げていく。
どれも聞き覚えのある名前ばかりだ。
彼らについては山大総合野球研究会の面々で色々詳しく調べてインターンシップ報告会で報告したし、当然ながら今も追跡調査を続けている。
いずれも各々の国で過去類を見ない活躍をしている要注意選手達。
それこそ秀治郎選手もまた強く警戒していた。
WBWにおける日本悲願の初優勝の障害にもなり得ると。
『ああ。それとメキシコのエドアルド・ルイス選手も、かな。彼は少々品行に難があるようだけど、まあ、試合でものを言うのは結局実力だからね』
思い出したようにつけ加えられた言葉には、思わず少し眉をひそめてしまう。
陸玖達も同様だ。
特別強化試合でのあれやこれやはボク達も聞き及んでいる。
正直、あれは少々品行に難があるなんてレベルじゃないと思うけれども……。
まあ、それはともかくとして。
前回、前々回のWBW優勝記者会見でバンビーノ選手がエドアルド・ルイス選手のことを褒めていたのは、やはり性格面には目を瞑ってのことだったらしい。
エドアルド・ルイス選手は当時若干16歳でメキシコ代表としてアメリカ代表と戦い、ギアを上げていないとは言えサイクロン選手からマルチヒットを打った。
最初のWBWでは未成年で、次のWBWも成人し立ての頃の話だ。
まだまだ若いからと、今後の精神的な成長も期待しての称賛だったのだろう。
残念ながら、逆に彼を増長させる結果になってしまったようだけど。
もっとも、だからと言ってバンビーノ選手を責める気はボクにはない。
こんなのは結局のところエドアルド・ルイス選手の性根の問題だ。
健全な精神は健全な肉体に宿るなんてのは、単なる誤訳に過ぎないのだから。
『ただ、あの特別強化試合の結果を見る限り、彼は最初に名前を挙げた選手達に比べると一段下と見なすべきかもしれないね。さすがに成長も工夫もなさ過ぎた』
バンビーノ選手は残念そうに嘆息する。
まあ、覚醒した昇二選手にボコボコにされてたしね……。
直前の試合のルカ選手に比べ、あんまり脅威には感じない。
それでも舐めてかかるべきではないだろうけど。
とは言え――。
『そんなことまで、バンビーノ選手が把握しているんですか?』
バンビーノ選手の言葉は驚きだ。
仁愛先輩も目を見開いている。
特別強化試合の内容まで筒抜けなのはスパイ天国たる日本だから仕方ないと諦めるにしても、それを一介の野球選手から伝えられるのは戸惑いしかない。
対して彼はそういう反応が欲しかったとばかりにニヤリとする。
『当然。ただし、これも俺、じゃなくて俺達、だよ』
『そ、それはつまり……』
『試合に絶対はないからね。どこの国にも逸材はいて、俺達は彼らが脅威になり得ると考えている。そんな彼らを徹底的に調べ上げるのは当たり前のことだろう?』
秀治郎選手がアメリカの脅威になり得る、ではなく秀治郎選手も。
そして磐城選手や大松選手のみならず、世界各国の選手達もまた。
『せ、世界最強のアメリカが、そこまでする必要があるんですか?』
『逆だよ。逆。そこまでしているからこそ、これまでアメリカが世界最強でい続けられるんだ。神は細部に宿る。悪魔もまた然りってね』
敵を知り己を知れば百戦危うからず、とはよく言うけれど。
それを地で行っているのがアメリカという国だった訳だ。
しかも野球そのものの戦術や戦略にしても、野球に特化したトレーニング理論にしても世界の最先端をひた走る国が状態的かつ組織的にそれをしている訳で……。
これでは生半可な国が勝てる訳がない。
世界最強の看板に偽りないアメリカと比べてしまえば、ボク達なんかがやっている情報収集は付け焼刃もいいところだ。
ノウハウだって、まだまだこれから積み上げていかなければならない。
そんな段階の話でしかない。
けど、そうだとしても。
バンビーノ選手の言う通り、試合に絶対はない。
彼らに脅威になり得ると言われた秀治郎選手を中心とした日本代表であれば、そう言うに足るレベルに至れるはずだ。
そこにボク達が集めた情報を加えれば、多少なり勝機は生まれるはず。
今はそう信じてやっていくしかない。
秀治郎選手の役に立つために。ボクの目的を果たすために。
『俺達に限って言えば、ライバルに飢えているというのもある』
『ライバル……』
『そう。勿論、国を思えば容易く優勝できるに越したことはないけどね。国の威信を懸けたWBWでヒリつくような熱い戦いを演じたい気持ちもあるんだ』
そこまで言うと、バンビーノ選手は少し照れ臭そうに笑って続けた。
『今は特にシュウジロウ選手を擁する日本に期待しているよ』
『秀治郎選手に……?』
その言葉に、そう言えば、と思い出す。
バンビーノ選手は前々回WBWの優勝記者会見でエドアルド・ルイス選手を褒める傍ら、彼のような存在が多く現れることを期待しているような発言をしていた。
それが性格的な部分の話ではないのは言わずもがなのことだけど、そんなことをバンビーノ選手が言った理由は今正に口にした言葉に集約されそうだ。
余りにも突出した実力を有するが故に、全力を出せる相手を望んでいる。
それも国を背負ったWBWの舞台で。
正に圧倒的強者の寂寥感だ。
しかし、それを傲慢と非難することはできないだろう。
世界大戦以後の歴史において、アメリカの野球は余りにも強過ぎた。
面白みに欠ける程に。
『見たところ、シュウジロウ選手も割と俺達に近いところがある気がするんだ。ほとんどの試合で淡々としていて、どこか退屈そうにしている感じがするだろう?』
「それは、そうかも……」
陸玖が隣で小さく呟く。
この中で最も秀治郎選手とつき合いの長い彼女の言葉は誰よりも正確だろう。
「小学校の頃は直接知らないけど、聞いた限りだと中学校からと同じように才能ある子を見出して導いてきた。常に先頭に立ってきた」
経歴を見ても明らかだし、それは今でも変わっていない。
一プロ野球選手でしかないはずの秀治郎選手がこうして情報収集を主導していることも、改めて考えるとおかしなことだ。
「目指す先にあるのは日本の先人達じゃなく、アメリカ大リーグの強者達。日本の大舞台は全て、いつか彼らとWBWで戦う時のための下準備の場でしかなかった」
秀治郎選手のことを振り返る陸玖の言葉もまた、当然ながらタブレットの翻訳アプリが英訳してバンビーノ選手に伝わっている。
それを受けて、彼は我が意を得たりと言うように頷いた。
『決定的な違いは俺達には国内に互角の戦いを楽しむことができるライバルが何人もいるけど、シュウジロウ選手にはいないということだ』
咄嗟に反証として磐城選手や大松選手のことが脳裏に浮かぶ。
けれども、彼らと日本シリーズで争った時でさえ、ただただ育成の出来栄えを確認しているような印象を受けたのを覚えている。
バンビーノ選手もそう感じての言葉だったのだろう。
『野球を楽しめないなんて勿体なさ過ぎる。彼ももっと野球を楽しむべきだ』
本当に善意から言っていることが分かる。
野球を愛し、野球に愛されている者故の発言だ。
とは言え、秀治郎選手の道行きが苦しみに満ちたものや単なる作業的なものであるぐらいなら、楽しめるものだった方がいいというのも確かではある。
『俺達がシュウジロウ選手の壁になろう。だから、シュウジロウ選手に伝えて欲しい。君も俺達を熱くさせるような障害になってくれ。そして勝負を楽しもう、と』
ある種の宣戦布告。
だけど、その言葉には友人を遊びに誘う子供の無邪気さがあるようにボクには感じられたのだった。




