閑話45 バンビーノ・G・ビートという選手(五月雨月雲視点)
アメリカ大リーグの試合はキリのいい時間に始まらない。
現地観戦するまではボクもたまにネットで公式配信を見る程度だったから、少し不思議に思いながらもそういうものなんだろうと特に調べもせず受け入れていた。
その謎の答えは目の前にある。
……何て大袈裟に言ったけど、何か凄い真実が隠されていたりする訳じゃない。
単純に大リーグは試合前のイベントが始まる時刻がキリのいい時間で、それが終わって試合開始となるのが10分程度経った辺りというだけのことだ。
テレビなどマスメディアの放送開始時間が0分とか30分開始で、そこから数分間CMなどスポンサーの宣伝がガッツリ行われるという理由もあるそうだ。
「それにしても、やっぱりバンビーノ・G・ビート選手は凄い人気ね」
アメリカの有名人(?)による国歌斉唱を終えた後。
改めて試合直前の熱に浮かされたスタンドを見渡し、感心したように言う陸玖。
今日は本拠地であるノーザンライツ・スタジアムでの試合だけに、当然ながら観客もほとんどがニューヨーク・ノーザンライツのファンだ。
そして、その多くがユニフォームのレプリカを着用している。
背番号と名前は8割以上がバンビーノ選手仕様のもので、その圧倒的な人気の高さが視覚的にもよく分かった。
WBWアメリカ代表のチームキャプテンにして二刀流の成功者。
全世界の野球史を見渡しても、トッププロリーグにおいて投打共に最高峰レベルの二刀流を成し遂げたのは彼が初めてだ。
ましてや世界のトップオブトップたる大リーグの中での話。
真の先駆者にして最強の二刀流選手と言っていい。
更にWBWでも出場した2回共に投打で大活躍しているため、一般的なアメリカ人であれば彼に悪感情を持つようなことはまずあり得ないだろう。
ニューヨーク・ノーザンライツのファンであれば尚更だ。
「記者会見の受け答えなんかも好感が持てるタイプだしね」
「…………ボクは正直、ちょっと苦手だけど」
ポツリと呟いたボクに陸玖が苦笑する。
ボクは性格が捻くれてるからね。
バンビーノ選手は何と言うか、野球小僧がそのまま大人になったような存在だ。
ただただ野球が好きで、ひたすら野球に夢中で……彼自身、野球に愛されてる。
そう感じさせる振る舞いが醸し出す輝かしいあのオーラは、ハッキリ言ってボクのような陰の者には眩し過ぎて目が潰れてしまいそうだ。
思わず呪いたくなるぐらいに妬ましい。
逆恨みも甚だしいけれども、似たような気持ちを向けている人は多いはずだ。
こういうのが積もり積もって、いわゆる有名税となってしまうのだろう。
正に理不尽な反感を抱いているボクが言っていいことじゃないけれども。
「月雲って割と人間関係、食わず嫌い的なところあるよね」
「うん……」
それは自覚がある。
実際、面と向かって話をすると苦手意識が雲散霧消することも多々あったから。
とは言え、アメリカの国民的スターと会う機会なんてある訳がないし……。
ずっとこのまま、遠くから睨みつけるばかりでいるんだろうと思う。
けど、もし秀治郎選手が彼を打ち倒してくれたとしたら。
少しは溜飲が下がって、何かしら気持ちが変わるかもしれない。
それはともかくとして。
ボク達の仕事は人となりを見ることじゃない。
野球。何よりも重要なのはそれだ。
そこへ行くと、バンビーノ選手のプレイはかけ値なしに凄い。凄まじい。
どんな感情を持っていようと、こればかりは否定することができない。
否定した瞬間、どんな分析を口にしても信用されなくなるだろう。
前回の現地観戦ではバンビーノ選手が外野手として出場していた試合を観戦したけれど、特に彼のバッティングは本当に圧巻だった。
フィジカルもさることながら超常的な技術力。
多少自信のある瞬間的な記憶で反芻した限り、とにかくフォームに無駄がない。
竹竿でも振っているかのような軽いスイングで、易々と柵越えを連発していた。
何となく、秀治郎選手の更に先にある境地のような気がする。
「少し前にリトル時代のバンビーノ選手のバッティングを横から撮った映像が出回ってたけど……何て言うか歩き打ち? みたいな面白い打ち方してたよね!」
「り、陸玖、落ち着いて?」
「あ、う、うん。大丈夫大丈夫。分かってる」
珍しいものの話題に不意にギアが上がりそうになった陸玖だったけれども、ボクが宥めるとハッとしたように踏みとどまって深呼吸した。
さすがに試合が始まろうというところで悪目立ちするのはマズい。
「それに、今はスタンダードなノーステップでしょ?」
「そう、ね」
どことなく残念そうにしながら頷く陸玖。
リトル時代のバンビーノ選手の歩くように打つフォーム。
それは彼が野球を始めた頃限定のスタイルだったのだと思う。
陸玖共々歩くと表現した理由は、反動をつけながら重心を傾けて半ば倒れ込むようにしながら振りに行く姿が打席の中で正に歩いているかのように見えたからだ。
しかし、この打ち方をトッププロ相手に使うのは非常に難易度が高い。
ボクの考察では、これは相手ピッチャーも未熟で球速が比較的遅く、バンビーノ選手自身の体ができ上がっていない時期だから成り立つものだ。
見極めやすい球を、勢いをつけて思い切りぶっ叩いて飛距離を稼ぐ。
そのためだけのバッティングフォームだったのだとボクは思っている。
1つの根拠としては、現在のフォームがそれではないことが挙げられる。
さっきボクが口にした通り、今の彼はノーステップ打法を採用している。
大人になって体格もアメリカ大リーグ有数レベルとなり、無理に飛ばそうとしなくても普通にホームランになるスイングスピードを得ることができた。
そうとなれば、速球やムービングファスト系に対応しにくい打ち方じゃなく球筋を見極めやすいフォームにした方が合理的だ。
どこかで誰かに矯正されたのか、自分で考えてそうしたのか、あるいは体の成長に合わせて自然とそうなっていったのか。それは分からないけれども。
いずれにしても、最終的な彼のバッティングフォームはそこに落ち着いた訳だ。
「でも、映像が出回ったのって、もしかして情報攪乱だったのかな……?」
「さすがにそれは深読みし過ぎじゃない? 単純に公開したところで何の問題もない情報だからってだけでしょ」
まあ、多分。陸玖の言う通りなんだろう。
けど、陰謀論が陰謀論じゃなかったりしたこともあったし、ちょっと疑わしい。
WBWや大リーグの中継映像は基本的に正面から撮影したもののみ。
だから、アメリカ人選手のバッティングを横から見られるような映像がインターネット上に出回ることはほとんどない。
それこそリトル時代のものであろうとも。
そのせいもあって、あの映像は微妙に罠として作用したとも聞く。
意図的じゃないなら周りが勝手に釣り針に引っかかっただけになるけれども、あの打ち方を真似してバッティングを崩した選手がいたのだそうだ。
ボクとしては、いくら野球の最先端をひた走るアメリカの代表選手とは言ってもリトル時代のバッティングを鵜吞みにするのはそもそもどうなのと思う。
でも、英才教育の結果そうなったと思い込んだ国もあったのだろう。
そういった話まで加味すると、情報戦の武器だった可能性も捨て切れない。
少なくとも未必の故意的な、どこかの国の情報弱者が攪乱されたら儲けものぐらいの考えはあったんじゃないかいう疑いもある。
アメリカ代表が圧倒的強者過ぎて、そこまでする必要はないって話もあるけど。
「とにかく、ちゃんと目で見て判断しないと」
「秀治郎君達のためにもね」
「うん」
そうして始まった試合に意識を集中させる。
特に、先発登板したバンビーノ選手の一挙手一投足をひたすら注視する。
とは言いつつもボクの場合、昔から集中力が高まると何故か辺り一帯を【俯瞰】するかのように視野が広くなってくれるんだけれども。
情報を日本に持ち帰るには記憶力だけが頼りだ。
バンビーノ選手のプレイだけは最優先で、決して忘れないように意識する。
試合は一方的だった。
バンビーノ選手が打って投げて、ニューヨーク・ノーザンライツの圧勝。
それは秀治郎選手が登板した試合を見ているかのようだった。
ただ、対戦相手のレベルが段違いだ。
パワー。スピード。いずれも。
選手の平均が余りにも高過ぎる。
一方で味方の守備も非常に堅固ではあるけれども、日本の並のピッチャーが相対したらスタンドに放り込まれて終わりだろう。
WBWアメリカ代表は正にこの上澄みでできている。
本当に恐ろしい話だけれども、秀治郎選手達なら対抗できると信じてボク達はボク達のできることをやっていくしかない。
「月雲、大丈夫?」
「う、うん。何とか」
試合は平均よりも長く3時間弱。
ボクは集中力を維持し続けて疲労困憊だった。
とは言え、試合終了後にいつまでも居座っていては迷惑だ。
席を立って、まずは球場を後にする前にスマホなどの荷物を返して貰おうと預かりサービスへと向かう。すると――。
『一体どういうこと?』
仁愛先輩が受付の女性と何やらもめ始めた。
背後には轟先輩が立ち、圧をかけている。
「えっと、どうしたんですか?」
状況がよく分からず理由を尋ねると、仁愛先輩が振り返って答えた。
「預けた荷物、返せないってさ」
「え!?」
「正確には『今は返せない』だな」
轟先輩の言葉を受けてボクが受付の女性へと疑問の視線を向けると、彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべた。
どうやら差別的な意地悪をしているだけ、という訳ではなさそうだけど……。
『どうしても皆様にお会いしたいという方がおりまして。それが終わり次第、お預かり品をお返しいたします』
「は、はあ、そうですか」
よくは分からないけれども、どうやらそれが済めば返してくれるようだ。
罠にしても、荷物を人質にするなんて余りにも回りくど過ぎる。
スパイ容疑で逮捕しようというのなら、とっとと警察を呼ぶだろう。
本当に、ただ会って欲しい誰かがいるだけ、と考えるのが妥当かもしれない。
皆もまたそう思ったのか、一先ず全員了承する。
それを見てホッとした表情を見せた受付の女性は、ボク達の案内を始めた。
『こちらです』
そして彼女はとある部屋の前で立ちどまると、その中に入るように促す。
見たところ、球場の応接室のようだ。
少し緊張しながらも、タクシーの時と同じ布陣でそこに入っていく。
「え!?」
「な、何でここに……?」
急転直下のフラグ回収。
そこでボク達を待ち構えていたのは――。
『やあ、初めまして。よく来てくれたね。日本からのお客人達』
WBWアメリカ代表のチームキャプテン。
ニューヨーク・ノーザンライツのエースで4番。
世界最強の二刀流たるバンビーノ・G・ビート選手その人だった。




