307 まずは試投に向けて
青木さんと柳原さんの2人が村山マダーレッドサフフラワーズに合流してくれたことで、ようやく美海ちゃん達のパワーアップ計画も準備が整った。
しかし、春季キャンプは現時点で既に8割方終わっていて、残すところ後僅か。
ここから新しいことを始めようとすると、下手をしたらレギュラーシーズンにも悪影響を及ぼしかねない。
そんなタイミングでもあった。
とは言え、俺達が目指す先はただ1つ。
日本の、もとい現状アメリカ以外の全ての国の悲願であるWBW初制覇。
それ以外にはない。
少なくとも今年においては、日本シリーズの連覇ですら些事でしかない。
そうした状況を総合的に考えると、レギュラーシーズンへの影響という部分を恐れて先送りにするなど悪手以外の何ものでもないだろう。
彼女達が彼女達の想定し得る最大限の力をWBWにおいて安定的に発揮できるようにするという観点から言っても、始動するのは早ければ早い方がいい。
それ自体は間違いないではないはずだ。
とは言え――。
「改めて聞くけど、覚悟はいいな?」
春季キャンプの最終盤。屋内練習場にて。
俺は尾高監督達には特別メニューという説明の仕方をして集めた女性陣に対し、何度目になるか分からない確認を口にした。
未だ己の胸の内に燻っている逡巡を吐き出すように。
そんな俺に対し、美海ちゃんがいい加減呆れ果てたとでも言いたげに嘆息する。
「決まってるじゃない。秀治郎君はホントに心配ばかりね。ここまで来て」
それから彼女は微苦笑と共にそう答えた。
「いや、まあ、こればかりはな……」
自分でもしつこい自覚はあるぐらいなので、彼女の反応は仕方がないとも思う。
ただ、今回はやはり内容が内容だけに、躊躇いが完全に消え去ることはない。
何せ【マニュアル操作】によるステータスやスキルの操作は不可逆的なのだ。
1度弄ってしまったら最後。
少なくとも同じ【マニュアル操作】では元の状態に戻すことはできなくなる。
それによって消費した【経験ポイント】も返ってこない。
だからこそ、熟考に熟考を重ねてステータスやスキルの操作を行う必要がある。
これから取得することになる【全力プレイ】【身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ】のように、メリットとデメリットを併せ持つスキルを取得する場合であれば尚更だ。
まあ、今回は基本的に正にそのデメリットだけが問題だが……。
それこそ組み合わせ次第では取り返しのつかない状況になる可能性だってある。
加えて言うなら、スキル上のデメリットだけで終わる話でもない。
それに対応することまで考えると、むしろ取得してからが大変だ。
「怪我のリスクもそうだけど、多分、かなりフラストレーションの溜まるトレーニングが長く続くことになるぞ?」
「それも、分かってるわ。耳にタコよ」
「多かれ少なかれ、練習なんてそういうものっすよ」
「しゅー君のためなら、その程度は容易いこと」
しかし、俺の忠告には当たり前のことだと頷かれてしまった。
女性陣はあの日の時点で既に覚悟が完了していてブレていない。
逆に、ここに至って蒸し返している俺は全く往生際の悪いことだ。
そんな自分を戒めるように1つ大きく息を吐き出し、不可逆の操作を実行することを以って迷いを振り払うことにする。
「じゃあ――」
「いつもの筋肉のバランス確認ね」
「あ、ああ」
ステータスを操作するには身体的な接触が必要。
その誤魔化しとして毎度毎度言い訳にしている行為だが、さすがに何度も繰り返し過ぎて彼女も半ば当然のものとして認識しているようだ。
見る者によってはセクハラ扱いされかねないが、3人共特に気にしてはいない。
それどころか、今日に至ってはいつにも増して積極的だ。
この行為は最近では、目減りしてしまったステータスを【マニュアル操作】でカンストした状態に戻す際の隠れ蓑としての意味しかない。
とは言え、身体的接触の後は微妙に体の調子が良くなる実感はあるだろう。
そうした繰り返しの結果として、無意識に自分達の成長に不可欠なルーティーンであるかのように認識しているのかもしれない。
それもあって、邪な考えのようなものは(当然、俺にはないけれども)彼女達もまた一切想定していないのだろう。
「と言うより、わたしはむしろしゅー君にたくさん触れて欲しい。多分、みなみーもみっくも満更でもないと思う」
俺の思考を読んだように、あーちゃんが耳元から訂正を入れてくる。
ま、まあ、彼女はそうかもしれない。
とは言え、自分の欲に2人まで巻き込もうとしているのはさすがにどうかと思うのだが、この場はとりあえずスルーしておく。
既に覚悟が決まり切っているが故にまるで容易いことであるかのように扱っている彼女らとは違い、こちらは一応踏ん切りをつけようとシリアスなのだ。
誰とも共有できない部分を1人噛み締めるようにしながら、各々のステータスを順番に操作していく。
「秀治郎君? 大丈夫なの?」
「え? ああ、うん。大丈夫大丈夫」
「もう。黙ってるから何か問題があったのかと思ったじゃない」
「ごめんごめん」
軽く笑いながら謝っていると、あーちゃんが気遣うように俺の手を取った。
微妙な心の動きを読んでのことだろう。
理由は分からずとも寄り添ってくれる。
そんな彼女の存在は今生の宝物だ。
「これで準備は整った」
改めて、彼女達の【取得スキル一覧】に【全力プレイ】と【身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ】の表記が追加されているのを確認しながら告げる。
これでもう後戻りすることはできない。
他のスキルなら試合の行動などで消えることもあり得るが、今回のこれらの消失条件は皆目見当もつかない。
実質的に、彼女達はそれと一生つき合っていくしかなくなった訳だ。
勿論、既に取得している【しなやかな肢体】と【猫のような柔軟性】の効果で一応は怪我をしにくい状態にあるため、デメリットは緩和されている。
それでも取得前よりも怪我のリスクが増えたのは事実だ。
これからは、何をするにしてもその前提で動かなければならない。
「秀治郎選手。今、何を……?」
と、俺達のやり取りを屋内練習場の端で待機しながら眺めていた青木さんが、違和感を抱いたように首を傾げながら疑問を口にした。
「どうしたの? 斗真」
「……いや、多分、気のせいだ」
「そう? ならいいけど」
青木さんの曖昧な返答をそのまま素直に受け入れる柳原さんだったが、タイミングを考えると怪我のリスクの変動が原因だろう。
1人だけが反応したことを考えると、彼が持つ2つの【生得スキル】がカギか。
即ち【ツボを押さえた指導】と【医師の瞳(野球)】。
前者はトレーニングの指導をした際に対象の【経験ポイント】取得量にプラス補正をかけるスキルで、後者は怪我の軽重、完治の可否を判断するスキルだが……。
合わせ技で怪我のリスクを何となく感じ取ることができるのかもしれない。
あるいは、スキルにも現れてこない彼自身の勘の鋭さによるものか。
いずれにしても、この瞬間に突如として起こった怪我のリスクの変動に青木さんの第6感的なセンサーが何らかの反応を示したに違いない。
だとすれば、彼という存在の重要性は今後一層高くなる。
今後、怪我をするかしないかのギリギリの綱渡りをしていくとすれば、最終的にはそういった勘に頼らなければならなくなるのだから。
「それで、秀治郎君」
少し余所見していた俺に、美海ちゃんが焦れたように呼びかけてくる。
それを受けて意識を彼女へと戻す。
「わたし達はこれから出力を上げたフォームの定着に励むのよね?」
「ああ。基本動作の繰り返しだ」
先程言った通り、フラストレーションの溜まるトレーニングが続く。
地味も地味。
半ばリハビリのような練習となる。
「嫌でもやって貰わないといけないぞ?」
もうスキルを取得してしまった訳だからな。
たとえWBWを目指さずともプロ野球選手として生きていくならマストだ。
もう俺も腹を括った。
彼女達に怪我をさせないためには、厳しいことも言わなければならない。
「分かってるわよ」
「と言うか、正樹君よりは余程マシっす」
「それはそう」
倉本さんの言葉にあーちゃんですら同意する。
正樹に辛辣な彼女も、彼が辛いリハビリをやり遂げたことは認めているのだ。
確かにそれに比べれば容易いことかもしれない。
「試合はどうするの?」
「定着前に出場するのもよろしくない。だから、少なくともオープン戦前半の出場はなしだ。状況次第では後半も。あるいはレギュラーシーズンの序盤もだな」
「……まあ、それも仕方がないわね」
こちらは少しばかり表情に苦渋の色が滲む。
練習よりも、その成果を発揮する場を失うことの方がキツいのだろう。
「タイミングがタイミングっすからね」
「しばらくは、控え組の出場機会にしておけばいい」
とは言え、それも永遠ではない。
だからこそ、彼女達も文句を言わずに受け入れる方向でいるようだった。
それこそ怪我さえしなければ彼女達の立ち位置は安泰だからな。
しばらく実戦から離れても、構想から外れるようなことは決してない。
慢心と捉えることもできなくはないが、今この状況においてはむしろ無用な焦燥感を生まずに済むと思っておくべきだろう。
「とにかく。開幕戦までに間に合えば御の字ぐらいの気持ちでやっていこう」
「ええ。必ず、秀治郎君に頼って貰えるぐらいの戦力になってみせるわ」




