303 春季キャンプ合流
2月中旬。特別強化合宿を終えた俺達は、遅ればせながら村山マダーレッドサフフラワーズの春季キャンプに合流して練習を行った。
昨年のドラフト会議で入団した新人選手達の丁寧過ぎる挨拶を受けた昇二達が恐縮する場面があったりしたが、今のところキャンプ自体に問題はないようだった。
今年から本格的に参加することとなった正樹もチームの和を乱したりするようなことはなく、無駄に張り切って無理をしたりすることもなく過ごしていた様子。
弟である昇二の言うことはやはり正しかったようで、年下の後輩への応対も含めて人づき合いでやらかしたりはしなかったようだ。
いや、本当によかった。
なんてことを実際に口に出すと……。
「だから、お前は俺の親か何かかよ」
不満そうな顔をした正樹に文句を言われてしまった。
とは言え、それもまた現時点での春季キャンプが平和そのものである証だろう。
それはともかくとして。
合流初日の練習を一通り終えた俺達は、滞在先のホテルに戻ってから特別強化合宿に参加していた間のことについて部屋で情報交換を行っていた。
もっとも、春季キャンプについては肌で感じた通り平穏無事。
おおよそ当たり障りのない内容に終始し、自然と特別強化合宿と特別強化試合の話題が多くなっていく。
「昇二。メキシコ戦はよかったぞ。1発、いや、2発食らわせてやったな」
「うん! やってやったよ!」
兄からの素直な称賛を受けて、昇二は嬉しそうに応じた。
性格的に正樹が褒める機会はそうなさそうだし、喜びも一入に違いない。
「ただ、まあ……」
「えっと、どうしたの?」
ちょっと気まずそうに言い淀んだ正樹の姿に昇二が首を傾げる。
「怪我をしたりしたら元も子もないからな。余り無茶はするなよ」
「……うん。分かってる」
声色から正樹が本気で心配していることが分かったのだろう。
昇二は一瞬驚いた表情を浮かべてから、微笑みながら頷いた。
「それ、正樹君が言う?」
2人のやり取りを傍らで眺めていた美海ちゃんにヒソヒソ声で話しかけられる。
「いや、むしろ正樹だからこそ、だろ」
「……まあ、それもそうね」
俺の小声の返しに、納得したように頷く美海ちゃん。
そんな俺達を正樹は何とも嫌そうに見た。
不満の気配を察したのか、昇二は苦笑いと共に話題を変える。
「兄さんも、春季キャンプの最初の方で話題になってたみたいだね」
「ああ……ちょっとキャッチボールとか守備練習したぐらいで大袈裟なんだよな」
世間の反応に呆れたように嘆息する正樹。
俺達にとっては大した話ではないが……。
それは野球界にとっては割と大きなトピックだ。
何故なら――。
「そうは言っても、怪我明けで公の場での初スローだった訳だろ?」
「いや、でも、右投げだぞ? 単なるスナップスローだったし」
「だとしても、かなりいい送球を見せてたじゃないか。それだけでも事情通な野球ファンにとっては感慨深いことだろ?」
「そんなもんかね」
「そんなもんさ」
あの怪我の直後には、夢を絶たれた神童とセンセーショナルに取り上げられた。
それが去年の日本シリーズでは素晴らしいバッティングを見せて復活の神童とまで言われ、今回の春季キャンプでは普通に守備につくことができると証明した。
勿論、本命である左投げでのピッチャー復帰については色々な意味で披露する段階には至っていないけれども……。
2度の大きな怪我と手術からプロトップレベルの送球ができるまでに回復した事実が衆目を集めるのは、当たり前のことと言ってもいいぐらいだ。
俺達としても右投げがここまで回復することができたのは僥倖だった。
加減して投げれば、怪我の危険も極めて小さい状態でも1部リーグのエースピッチャーとして十分にやっていけるだろう。
しかし、正樹はそんな半端な状態でピッチャーに復帰するのは、それこそプライドが許さないと自分で言っている。
そもそも2度の大怪我を経た腕で【衰え知らず】と【雲外蒼天】のコンボで以前より出力が上がった投球をさせる訳にはいかないし、それはそれで問題ない。
野手としての起用の幅が広がっただけで十分だ。
いずれにしても、その辺りのことは俺達側の事情。
限られた情報しか知らない世間一般の人々は純粋に、正樹がレギュラーシーズンでも活躍してくれそうという事実を喜んでくれているに違いない。
ニュースで言及されたのもその表れだ。
「すぐ特別強化試合の話題にかき消されたけど」
と横からあーちゃんに言われて、正樹はイラっとしたような表情を浮かべた。
発言の内容自体は間違っていないが、コイツに言われるのは癪だという感じか。
正樹は心を落ち着かせるように息を吐く。
「……まあ、実際のところ。全力を出しもせずに軽い復帰アピールしかしていない俺のことよりも、そっちの方が遥かに重要なのは確かだな」
それから彼は努めて冷静に、話を軌道修正して続けた。
「メキシコは投打共にあのエドアルド・ルイスとかいう奴のワンマンっぽかったからアイツを封じれば相当有利になるだろうけど、イタリアは要警戒だな」
特別強化試合の総評を簡潔に纏めた彼に「そうだな」と頷いて肯定する。
先発のアンジェリカ選手の投球内容はともかくとして。
今回はうまいことルカ選手をノックアウトすることができたものの、そこに至るまではかなり拮抗した試合となっていた。
磐城君と大松君からのヒットも、ルカ選手以外に何度かあった。
5番のアントニーノ選手も1本打っていたが、女性選手もまた何人か。
性別は関係なく、あの試合に先発した選手は総じて危険なバッターだ。
この敗戦を糧に更なるレベルアップを遂げ、尚且つルカ選手先発のタイミングでぶつかれば厳しい戦いを強いられることになるのは確実だ。
正樹の認識は俺と一致している。
「……にしても、イタリアの女は化け物揃いなのか? もうゴリラどころの話じゃなかっただろ、あんなの」
映像の上でも余程衝撃的だったのだろう。
だからか、よりにもよってチラッと美海ちゃんに視線をやりながら、正樹は思わずといった様子で余計なことを言い出した。
「正樹君。何で私を見たのかしら?」
対して、あからさまな猫撫で声で問いかける美海ちゃん。
ホテルの部屋の温度が2、3度下がったような気分になる。
さすがにヤバいと思ったのか正樹は視線を逸らしたものの、弁解はない。
あるいは彼女の眼光に圧され、言い訳が思いつかなかったのかもしれない。
「まあ、いいわ。私だって彼女達に追いつこうとしてる訳だし」
「追いつく? ……無茶をする、いや、させる気じゃないだろうな」
途中から俺に視線を移して問いかけてくる正樹。
2度の大きな怪我をした彼だからこそ、何となく察したのだろう。
リスクを取って限界を超えようとしているのだということを。
「私の意思よ。私が私のために秀治郎君にお願いしたこと」
「怪我をすることの意味、辛さ。分かってるのか?」
「正樹君を見ていれば多少は想像できるわ。まあ、自分で経験してない以上、本当に分かってるなんてとても言えたものじゃないけどね。でも――」
美海ちゃんは真っ直ぐに正樹を見据えて続ける。
「今の閉塞感、無力感の方が私は耐えられないと思うの」
「……そう、か」
正樹は複雑な表情を浮かべる。
中学高校時代の気持ちを思い出しているのかもしれない。
【超早熟】故に成長を実感することができずに焦っていた。
怪我のリスクも恐れずに我武者羅に練習し続けた。
あの時の正樹に比べれば、それとトレードオフで享受することのできるメリットを俺が保証しているだけマシな状況とも言えるかもしれない。
「だったら、後はもう自己責任だな」
「心配無用。何かあったら、しゅー君が責任を取る」
「いや、今自己責任って言ったばかりなんだが?」
何でそうなると問い質すように、正樹はあーちゃんを睨みつける。
対して彼女はキョトンとしたような表情で首を傾げた。
「……自分で求めておいて、秀治郎に責任を負わせるのはさすがに酷くないか?」
コイツに言っても仕方がないとばかりに美海ちゃんに尋ねる正樹。
ついでに視線を倉本さんにも向ける。
「わ、私はちゃんと自己責任で考えてるわよ」
「ウ、ウチもっす!」
対して慌てたように弁明する2人。
彼女達が自ら選んだことなのは確かだが、だから怪我をしたとしても自己責任だとコチラが突き放すのは明らかに間違っている。
少なくとも俺はそう思っていることを、あーちゃんは理解しているのだろう。
「もし怪我したら、しゅー君は勝手に責任を感じて勝手に責任を取る。それだけ」
「あーちゃん、言い方。まあ、事実だけど」
正樹は「そんなでいいのか?」みたいな目を向けてくるが、これはそれでいい。
【成長タイプ:マニュアル】のステータスを【マニュアル操作】で弄ってしまった以上、怪我の有無に関わらず人生に対して責任があるからな。
そんな俺の反応に、美海ちゃんは何やら顔を赤くして視線を斜め上に逸らしながら誤魔化すように口を開いた。
「ま、まあ? 秀治郎君の厚意は無碍にはできないわよね。吝かじゃないわ」
「その言葉、使い方合ってるか? 怪我上等みたいのはホントやめてくれよ?」
「わ、分かってるわよ。そ、それより、いつから始めるの? すぐ?」
「いやいや、美海ちゃん。焦ったらダメだって。それこそ怪我のリスクを最小限にするために、万全の準備をしておかないと」
具体的にはスタッフがまだ足りない。
そこがキッチリ揃わないと何も始まらない。
と言うよりは、始めるべきではない。
春季キャンプ最終盤からとなるだろう。
「ってことは、それより先にセレクションか」
「ああ。一旦山形に行ってここに戻って、それからだな」




