閑話42 一打入魂(昇二視点)
何を当たり前のことを言っているのかと笑われそうなレベルの話ではあるけれども、1番バッターは相手先発とチームの中で真っ先に対峙することになる。
だからこそリードオフマンと呼ばれ、その重要な役割の1つとしてピッチャーに1球でも、そして1種類でも多くの球種を投げさせることが挙げられる訳だ。
勿論、どのチームだって事前にある程度は敵の分析をしてはいるだろう。
とは言え、やはり生の情報に勝るものはない。
全くの初対戦であれば、相手ピッチャーの実態を。
2度目以降の試合であれば、その日の調子がどの程度のものかを。
実際にバッターボックスに立って目で見て肌で感じることで確認する。
野球を少しでも齧っていれば常識も常識。
それだけに、大概の野球ファンは1番バッターに当然それを求める。
今回の特別強化試合でも、それは同様だろう。
けれども、今日の僕はそれに縛られるつもりはなかった。
何故ならば――。
「とにかく、ファーストストライクを積極的に」
打席に向かう途中、自分に対して言い聞かせるように呟いたこと。
それこそが今日の試合に臨むにあたって僕が自身に課した課題であり、それがそのまま自分のバッターとしてのスタイルの確立に繋がると思っていたからだ。
と言うか、そもそもの話。
落山監督も別に、僕に1番バッターの働きを求めるつもりは毛頭ないはずだ。
もっと適正な選手が日本代表にはいるのだから。
今後、WBW本番でも僕が1番バッターで起用される可能性はまずないだろう。
にもかかわらず、首脳陣は貴重な機会と言える特別強化試合にこんなスターティングオーダーを組むことをよしとした。
その意図が何なのかと言えば……。
まあ、勿論、貴重ながらも練習試合であるが故に、対戦相手を引き受けてくれたメキシコ代表側の我儘を許容したというのもあるだろうけれども。
僕に対するある種の荒療治としての側面もあるかもしれないと思った。
1番バッターになったからと言って、それらしく振る舞おうなんて考えていたら間違いなく余計な迷いを生んでしまうことになる。
今の僕の早打ち傾向と真っ向から反しているからだ。
それでも尚、形だけは打順のセオリーに従おうとするのか。
それとも別の形で別の結果を生み出すのか。
もし前者を選択した挙句に中途半端な形で凡退しようものなら、日本代表の先発メンバーとしての地位も危うくなってしまうような気もする。
そういった無言のプレッシャーをかけ、僕に奮起を促しているのだ。
その一方で、逆のメッセージも僕には感じられた。
「期待に、応えないと」
わざわざ1試合使ってまで僕の不調につき合ってくれる。
それは、日本代表において僕の存在が無視できない程に大きいことを意味する。
勿論、秀治郎達にはそこまでの対応をする必要がないというのもあるけど……。
それ以外の選手はこれ程のチャンスを貰うことができていないのもまた事実だ。
明らかな特別扱いと言っていい。
ここで殻を破ることができれば、今の比ではなく日本代表の重要な戦力になる。
首脳陣はそう見なしてくれているのだろう。
そう考えながらバッターボックスに入ってバットを構える。
マウンド上のエドアルド・ルイス選手へと視線を向ける。
彼の事前情報としては劣化ルカ選手というところ。
ストレートはMax167km/hとルカ選手に遜色ないものの、若干安定性に欠いているようで平均球速は少しだけ遅い。
変化球は全てにおいてルカ選手の方が上。
変化量もキレもコントロールも。
全て秀治郎が高い完成度で再現可能なレベルではあった。
最高品質ではあるものの、それを超越した領域ではないという感じだ。
勿論、だからと言って侮っていいことにはならない。
身体的なスペックだけで言うなら、磐城君や大松君を超えている訳だから。
容易に打ち込むことはできないだろう。
「プレイッ!!」
球審のコールを受け、すぐさまエドアルド・ルイス選手が大きく振りかぶる。
現代では比較的珍しいワインドアップ。
技術面で何か拘りがあるようには思えないが……。
先日の粗野な様子を思い返すと、体を大きく見せて威圧しようという獣の本能的な理由を感じざるを得ないのは邪推だろうか。
そんな大きな投球動作のさ中、彼は何故か嫌らしい笑みを僕に向けてきていた。
これは……何かやらかそうとしてる?
分からないながらも警戒し、どんなボールが来ても対応できるように集中する。
好球必打。
それだけを考えて意識を研ぎ澄ます。
今回もまた事前に秀治郎のトレースで一通り球筋は確かめている。
勿論、その日の調子で誤差は出てくるだろうが、狙い球は絞ってある。
彼のストライクカウントを稼ぐための球は、ムービング系の変化球である可能性が高い。次いでストレート。速い変化球。
逆に緩い球の可能性は低い。
それらを念頭に置いてファーストストライクを全力で叩く。
しかし、初球。
エドアルド・ルイス選手が投じた球は想定とは全く異なる軌道を描いた。
内角高めから変化して、僕の体の近くに向かってくる。
ほとんど真横に変化したスイーパーが丁度目の前を通り過ぎていく。
「うっ」
僕は踏み込んだところでスイングをとめ、顔だけを何とか仰け反らせて避けた。
鼻先を掠めていったと感じるぐらいの位置関係だった。
「ボールッ!」
当然ながらストライクとなる訳がなく、球審がそうコールをする。
と言うより、たとえ当たっていなくても危険球で退場になってもおかしくないレベルの球だったと思うけれども……。
特別強化試合で初球一発退場はさすがにないようだった。
キャッチャーからの返球を受けたエドアルド・ルイス選手はニヤニヤしている。
意図的な内角を厳しく抉る球であることは明白。
顔を仰け反らさなかったら頬骨か鼻はグチャグチャになっていたかもしれない。
そう思うと肝が冷える。
秀治郎はよく「昇二は危機回避能力に長けているから【怪我しない】だろう」なんてことを言うが、そんな風に楽観することはできない。
球速150km/hを超えた硬球は凶器だ。
改めて恐怖心を植えつけられる。
とは言え、最初から当てるつもりの、いわゆるビーンボールではないだろう。
僕がキッチリ避けるところまで織り込み済みの1球のはずだ。
ブラッシュボールはバッターに恐怖心を与えて踏み込ませにくくする効果があるため、1つの戦術として用いられる。
勿論、一般的にはもう少しマイルドな軌道が普通だ。
さすがに危険球と球審に判断されかねないような球は通常は投げない。
極稀に、デッドボール上等の半分ビーンボールみたいなブラッシュボールを投げてくる血気盛んなピッチャーもいるけれども。
それこそ目の前のエドアルド・ルイス選手のように。
「くっ」
「ボールッ!!」
更にもう1球。ブラッシュボールが続いた。
まさか2球もこんな球を投げてくるとは思わず、その執拗な攻めに対してさすがに僕も怒りが込み上げてくる。
ニヤつくエドアルド・ルイス選手の姿もまたそれを助長させる。
きっと、彼は挫折のない野球人生を歩んできたのだろう。
スタートラインがどうであれ。
ひたすら順調に一流選手への階段を駆け上がってきたのだ。
そうでなければ相手の怪我も厭わないような投球が易々とできるはずがない。
少なくとも僕の兄さんのように、野球人生を左右するような大怪我を負って苦しんだ経験などないに違いない。
そんな相手の肩の消耗を心配する必要なんてないんじゃないか。
ましてやまだ初回。気にし過ぎだ。
ふとそんな考えが脳裏に過ぎってしまったが――。
「ふうぅぅぅ……」
僕はそんな自分を戒めるように深く息を吐いた。
感情に任せてもいいことなんてない。
怒りのままに行動したり、その赴くままに安易に考えを捻じ曲げたところで一時溜飲が下がるだけで明日のためにはならない。
今の打順は1番だからその役割を果たすべきという言い訳を更につけ加え、取ってつけたような待球作戦をするのも違うだろう。
僕はこのエドアルド・ルイス選手が嫌いだ。
どうあろうと相容れない存在というのはこういうのを言うんだと思った。
けど、今やるべきことは彼に中途半端な八つ当たりすることじゃない。
それが僕のゴールじゃない。
当然のように彼を打ち砕いて、未来で秀治郎達と共にWBWを勝ち抜くことだ。
そして、それこそが彼に最もダメージを与える方法でもあるだろう。
「ふっ」
思考を整理し、最後の一息を強く鋭く吐き出してからマウンドから僕を見下ろしているエドアルド・ルイス選手を睨みつける。
ブラッシュボールを2球も続けた。
カウントは2ボールノーストライク。
ノーストライクのまま3ボールにはしたくないだろう。
ならば次はストライクを取りに来る。
配球はブラッシュボールを利用したものとなるはずだ。
彼の持ち球からすると内角から鋭く入ってくる大きな変化の変化球か、あるいは外角いっぱいへの速い球というところ。
あの他人を弄する性格を思えば、前者と見て間違いない。
だから、その球を仕留めることだけに意識を集中すればいい。
そこまで一気に考えたところで、彼は3球目を投じようと振りかぶった。
僕はギリギリまで見極めた上で正確にボールを捉えるために、静かにノーステップで待ち構える。
…………あれ?
エドアルド・ルイス選手の投球モーションが何だか、随分とゆっくりだ。
いや、僕自身もか。
けど、自分の体の動きは隅々まで感じられる。
スイングがその感覚の変化によって乱れることはないだろう。
僕は考えに考え抜いて、ファーストストライクを狙う理屈をつけた。
それは兄さんが怪我をして以来、繰り返してきた早打ちと相反しない考え方だ。
トラウマと衝突しないおかげで心に揺らぎが生まれてこない。
迷いはない。
そのおかげなのか、集中力が一気に増した気がする。
エドアルド・ルイス選手のリリースポイントがよく認識できる。
握りは……シュートだ。
ボールが彼の手を離れる。
コースは内角高め。
明らかなボールゾーン。
それこそ僕の体に当たるような軌道だ。
そこから急激に変化を始めて……。
――カキンッ!!
そこまで把握できていれば、後はそれに合わせてスイングするだけだった。
ブラッシュボールの残像を利用し、真っ直ぐ体に向かってくる軌道から急激に曲がってインハイのストライクゾーンに入ってきた変化球。
それに対して腰が引けることなく、腕を畳んでキッチリ振り切って芯で捉える。
高めの球にはレベルスイングで。
ボールの中心の数ミリ下を叩いて伸びる回転を完璧に作り上げた。
「なっ!?」
エドアルド・ルイス選手が驚愕と共に打球の行方を追う。
ボールは彼の頭上を大きく超えていき、すぐにセンターをも超えて、バックスクリーンへと一直線に飛んでいく。
僕はそれを確信と共にバッターボックスの中で見送り、電光掲示板にぶち当たったのを確認してからダイヤモンドをゆっくりと走り出したのだった。




