289 特別強化試合(イタリア代表戦)直前
特別強化試合の開催場所は当初の予定通り。
俺達が数日前まで練習で使用していたフォスフォライトスタジアム那覇だ。
試合開始は13時丁度。
いくら沖縄でも2月初旬の夜は肌寒いので、デーゲームでの実施となっていた。
現在時刻は11時少し前。
今回は相手国に遠路はるばるお越しいただいたということで配慮したのか、俺達は逆にビジターゲーム側に立って試合に臨むことになっていた。
そのため、試合開始2時間前から試合前練習を始めるスケジュールだ。
イタリア代表チームは既にその前にバッティング練習を済ませている。
「チケットは完売。いつものように満員御礼ね」
ベンチからすし詰め状態のスタンドを眺めながら美海ちゃんが言う。
通常であれば、開門時間もまた試合開始の2時間前だ。
しかし、今日はイタリア代表チームの練習風景という非常に珍しいトピックスもあって、例外的に3時間前の開門となっていた。
既に1時間近く経っているため、当然のように観客席は埋め尽くされている。
視覚的には特別強化合宿と同様だ。
「けど、熱量がいつもとは全く違うっす!」
「まあ、今日は練習じゃなくて試合だし、相手が相手だからな」
球場の雰囲気に当てられているようで、倉本さんのテンションも普段より高い。
そんな彼女に軽く苦笑しながら俺もスタンドに視線をやる。
「満席まで一瞬だったっす」
まあ、それについては誇張だけれども。
収容人数30000人と比較的小さいフォスフォライトスタジアム那覇だが、上限に至るまでの入りは日本シリーズにも引けを取らないぐらいだったのは確かだ。
それだけでも来場者の熱量が分かろうというものだが……。
入場待ちをしていた熱心な野球ファンであるだけに、その視線も非常に熱い。
更に言えば、観戦チケットの争奪戦も苛烈を極めていたと聞く。
収容人数に応じて販売数が若干少なくなってしまっていることも重なって、それこそ日本シリーズを遥かに上回るような抽選倍率になっていたらしい。
そう考えると、いつも以上の精鋭が集まっていると見ていいだろう。
気持ちは分からないでもない。
対戦相手のイタリア代表チームはWBW予選の地区が違うからな。
クジ次第では本戦でも当たるとは限らない。
実際、今生の野球史を振り返っても割と珍しいカードだ。
海外の野球ファンであっても見逃せない一戦となっているようだ。
「次回WBWを占う決戦とか、誇大広告が凄かった」
「いや、そこは割と誇大でもないぞ」
宣伝時間や宣伝数が大分過剰だったのは否定できない事実ではあるけれども。
転生者が主体となっているチームの完成度を確認することは、本番までの残りの時間をどのように過ごすかを決める上で非常に重要だ。
WBW制覇。そして打倒アメリカ代表を大きく掲げたところで、決戦の場に辿り着く前にコケてしまったら何の意味もないからな。
その最大の障害となるのは正に転生者を擁しているいくつかのチーム。
そして明らかに色々とやらかしてしまっているロシアだ。
俺達はそれを念頭に置きながら決勝トーナメントの顔触れを予測し、より正確に戦力分析をした上で誰をどこで起用するかのシミュレートを行わねばならない。
今日の試合はその試金石にもなるだろう。
「ともあれ、折角メディアのおかげで国外からも注目された試合になったんだ。世界中に俺の名を知らしめてやるゼ。日本代表に大松勝次ありってな!」
今日は近くにいた大松君も気合が入っている。
磐城君に先発の座を奪われた彼だったが、気持ちを立て直したようだ。
「ああ。その意気だ」
俺としても是非とも目立った活躍を見せて欲しい。
レギュラーシーズンにせよ、トーナメント戦にせよ。
先発の枚数は多いに越したことはないからな。
何より、光が強ければ影に隠れやすくもなる。
秘密兵器を秘密のままにしておきやすくなる。
「皆が注目してるってことだから、恥ずかしい試合はできないよね……」
一方で、昇二は顔が強張っている。
分かりやすく緊張していることが見て取れる。
「そうだね」
それに同意を口にしたのは、隣にいた磐城君。
見ると、今日の先発を任された彼は僅かに震えていたが――。
「日本シリーズ以来かな、この感覚は」
それは武者震いだったようだ。
好戦的な表情が浮かび、自分の力を試したいという気持ちが滲み出ている。
彼もプロ野球選手となり、トップ層として真っ当に矜持を育んできたのだろう。
昇二のようなプレッシャーにしても、磐城君や大松君のような高揚感にしても。
試合が開始されれば精神安定系のスキルがいくつも作用し、自然と心が凪いでスポーツに適した精神状態に落ち着いてくれる。
しかし、そういった心が波立つ感覚は思う存分味わっておいた方がいい。
その上で平常心を保つ。
当然ながら、素でそうできればスキルによる補正効果も向上するからな。
その意味では、世間を煽ったメディアも有益な仕事をしたと言えなくはない。
「まあ、何にせよ。まずはバッターとしてのルカ選手に好き勝手させないことだ」
「うん」
「それは最優先として、要注意の選手が更に何人かいる。勿論、国を代表したチームのスタメンなんだから、誰であれ油断なんてできないけどな」
「勿論、分かっているとも」
キャッチャーの立場から再確認すると、磐城君は熱を帯びた声で応じた。
「磐城君も気合十分だな」
「当然じゃないか。久し振りに試合で秀治郎君に受けて貰える訳だからね」
確かに。改めて振り返ると、試合でバッテリーを組むのは中学校以来だ。
スターティングオーダーが発表されたら、そういった面での注目もあるだろう。
磐城君自身もまた、多少なり意識しているようだ。
しかし、WBWではこうした起用方法は当たり前にあり得る。
特別な感情を抱かないぐらい慣れておいた方がいい。
「しゅー君」
そんなことを考えていると、あーちゃんに袖を引かれながら呼ばれる。
彼女の視線は相手ベンチに向けられている。
丁度イタリア代表チームのバッティング練習が終わり、アチラの選手達が一旦ベンチ裏に引っ込んでいくところだった。
ルカ選手の姿もその中にある。
「……今なら挨拶できるか?」
とりあえずグラウンドに出て、ルカ選手の方へと向かう。
すると、そんな俺に気づいてか、彼は方向転換してコチラに近づいてきた。
『やあ、初めまして。野村秀治郎君』
「え!?」
驚いた声を出したのは昇二。
日本代表側の試合前練習の開始と相まってベンチから出てきた他の面々も、俺が強く警戒しているルカ選手に興味があったのか後ろで聞き耳を立てていた。
「日本語?」
首を傾げる昇二だが、ちゃんとイタリア語のはずだ。
【隠しスキル】【外国語理解(野球)】の効果で意味が直接伝わってきたのだろう。
その証拠に、よくよく見ると聞こえてきた内容と口の動きが違う。
しかし、ルカ選手が日本語を話せると勘違いして貰った方がこの場はいい。
『ああ。マルチリンガルなんだ』
ルカ選手自身も俺と同じ考えのようだ。
そう昇二に軽く告げてから、改めて俺と向き直る。
『お会いできて嬉しいよ』
「……こちらこそ。会えて嬉しいです。ルカ選手」
握手を求めてきた彼に、そう応じながら手を差し出す。
近くにカメラマンはいないが、望遠レンズで撮影されているに違いない。
『各国の有力選手を見渡した時、君とは気が合いそうな気がしたのでね。そういった理由もあって、今回の誘いに応じて貰ったんだ』
「ルカ選手にはそこまでの影響力が?」
『ああ、いや。妻の1人が国内有数の貴族なんだ』
「貴族、ですか」
『そうさ。このイタリアはどうやら貴族制が廃止されるルートには行かなかったようだからね。今も貴族が残っているんだよ』
微妙に言い回しに気をつけているな。
まあ、それはともかくとして。
今生は第1次世界大戦直後に分岐した世界であるが故に、前世とは違って未だに貴族制が維持されている国がいくつも存在している。
かく言う日本も、実のところそうした国の内の1つだ。
名称は華族だけれども。
いずれにせよ、その影響力はあくまでも政治的、経済的な部分に限定される。
更にその上に野球が君臨している。
正に野球至上主義の世界ということもあって、それらの存在が一般庶民の生活に何かしら悪い影響を及ぼしたりするものではない。
だから、正直なところ。
俺としても貴族が現存しているからどうしたとしか思わない。
前世では全く別のものだが、ニアリーイコール財閥ぐらいの感覚でいいだろう。
『そんなことよりも。僕のように特別な才能がある訳でもないのに、わざわざ女性をプロ野球選手にまで導くなんてね。相当なもの好きと見た』
……特別な才能、ね。
「彼女達は、日本代表の確かな戦力です」
『ふうん。まあ、百歩譲ってそこの2人に関しては使い道があるのかもしれないけど、その子は違うだろう?』
「え?」
急に視線を向けられた美海ちゃんは困惑した声を出す。
『君の愛妾か何かじゃないのかい?』
可能な限り表情は取り繕っていたが、さすがにその問いかけには眉をひそめる。
ナックル使いだぞ?
スペックが多少低かろうが、警戒ぐらいしてもいいだろうに。
……まあ、イタリアは前世で比較的野球が強い国だったが、少なくとも俺が生きていた頃は国民人気がある訳ではなかったからな。
そもそも知識0からのスタートだったのかもしれない。
ともあれ、この男。何か癪に障るな。
転生者として勝手に同族意識を持っていたが、転生したところで所詮は人間。
相容れない部分は相容れないということなのだろう。
と言うか、そもそも互いに魂ドラフトの余りものでしかない。
最後の時まで親不孝をかました俺と同等以上の欠点があって然るべきだ。
そう考えると、もっとエゲツない人間が出てきても不思議ではない。
あるいは、イケ好かないという程度なら相対的にマシ、なのかもしれない。




