283 ビジョンの共有
「恐らく黒井選手は、前例がない特殊な練習方法のようなものを思い浮かべて今までと変えるという風におっしゃっているのだと思います」
真っ直ぐ目を見ながら告げた俺の推測に対し、彼は僅かに頷いた。
それは余りにも都合のいい話だ。
しかし、当然ながら黒井選手も安易な考えで求めている訳ではない。
「言いようのない閉塞感、あるいは焦燥感が心のどこかにあるものと推察します」
「……ああ」
やや苦い表情を浮かべながら肯定する黒井選手。
山崎選手を除いた他の3人も近い感情を抱いているのが見て取れた。
彼らは俺達が台頭してくるまでは間違いなく日本最高峰の選手達だった。
フィジカル偏重の傾向が強い今生であるが故に前世並の合理的な基礎トレーニングを積み、キッチリと【経験ポイント】を獲得してステータスを伸ばしてきた。
その上で更に、それこそ怪我をするかしないかの境界ギリギリのところを何年もの間、攻め続けてきたに違いない。
あるいは常人であれば軽く境界を飛び越えてしまっているものの、本当に単なる偶然で怪我せずに済んでいるだけかもしれない。
いずれにしても。
そんなレベルまで自らを追い込み、ようやく日本代表という高みに至ったのだ。
正にそうした上澄み中の上澄みである選手だからこそ、これまでの常識から逸脱している俺達の実力を間近で目の当たりにした時。
どうか非常識な練習方法のおかげであって欲しい、といった願望が脳裏を過ぎってしまっていたとしても何ら不思議なことではないだろう。
そして、心のどこかでそれが事実である可能性に縋る気持ちもまた存在し……。
ああして俺に助力を乞うところまで来てしまったのだろう。
とは言え、それは甘えとは全く違うものだ。
自ら考え得るベストを尽くした先で嵌まり込んだ、ある種の袋小路。
そこで身動きできなくなっているところに蜘蛛の糸が垂れてきた。
たとえ実際には勘違いに過ぎなかったとしても。
そんな風に感じてしまったとしたら、手を伸ばさずにはいられないだろう。
それは極々自然な心の動きだ。
「ですが、身も蓋もないことを言ってしまうと、そのようなものはありません」
他に類を見ないやり方で状況を一変させる。
そんな都合のいい展開を期待してしまう気持ちは俺も理解できる。
だが、そんなものが実在するなら、とっくのとうに共有している。
【好感度】稼ぎなんて回りくどいことをするよりも優先的に。
俺が持ち込んだあのピッチングマシンにしても。
所詮は既存のもの、既存のやり方の延長線上にあるものに過ぎない。
ただ単に、練習の質を少しばかり高めただけだ。
「…………ま、そりゃそうだろうな」
虚しく儚い願望でしかないことは黒井選手自身も重々承知の上。
あれば儲けもの程度の考えだったことが、その呟きからも分かる。
俺達が普段している練習にしても、メニューそれ自体に特殊なものは何もない。
ケーススタディを重視し、そこに多く時間を割り当てている程度のものだ。
【経験ポイント】効率という点では、そう変わらないどころか低いぐらいだろう。
単に【経験ポイント】を多く得るには練習の質を上げるか量を増やす以外ない。
「だからと言って今より練習時間を増やしても怪我のリスクが高くなるだけです」
繰り返すが、1流選手は誰もが既に怪我をするかしないかの境界にいるのだ。
そこからトレーニング量を増やすというのは自殺行為以外の何ものでもない。
掃いて捨てるぐらい同レベルの選手が存在する中で、試行回数をいくらでも重ねられるというのなら一考の余地はあるのかもしれない。
しかし、そういうやり口は前世の育成ゲームですら忌避していた俺だ。
そんな選択は断固拒否するし、そもそも人材というものには数に限りがある。
貴重な彼らを使って賭けをすることなどできる訳がない。
であれば――。
「後はもう、今回の特別強化合宿のように練習の質を高める以外ないでしょう」
「やっぱそれしかねえ、か……」
「はい。そして、練習の質は最終的には選手の質との相関になるでしょう」
今回のバッティングマシンのような小細工で一部を補うことはできるだろう。
ただ、やはり最後は人だ。
人と人とが競い合うスポーツである以上、その質が何よりも重要になる。
「結局のところ大リーグの選手の能力が平均的に高いのは、まさしく能力の高い選手が共に練習し、試合をし、常に切磋琢磨しているからです」
少なくとも今生の世界においては。
大リーグでは紅白戦で戦うサブメンバーですら、日本最高峰のプロリーグの一般的なレギュラー選手を遥かに上回る最終ステータスの持ち主となる。
更にはバッティングピッチャーやブルペンキャッチャーなど。
球団スタッフに至るまで平均的に、比べものにならないぐらいレベルが高い。
これは勿論【体格補正】という要素も含めてのことだ。
強豪校が強豪校たる所以の1つに、レギュラー争いを演じるチームメイトという最も身近なライバルが弱小校よりも圧倒的に優れているというのもある。
アメリカ大リーグは、正にそれの国家規模の究極版とでも言うべきだろう。
単純極まりないことだが、こと練習環境という点でそれに勝るものはない。
日本とアメリカとでは、そもそも土台の部分からして大きな差があるのだ。
「つまるところ、日本野球界全体をレベルアップさせること。それがひいては自らのレベルアップに繋がります」
「……まあ、それも当然としか言いようのない話だね。だけど――」
「長期的な計画になるな。次回WBWまでだと形にするのも厳しい話だ」
岩中選手が同意を示しつつも物足りなげな表情。
言葉を続けた白露選手は難しい顔だ。
「俺が現役でいる内には、恩恵にあずかれなさそうだな」
佐々藤選手も若干嘆息気味。
しかし、こればかりは仕方のないことだ。
偽っても何の意味もないしな。
尚、先輩側にあってこちら側の山崎選手は空気を読んで沈黙を守っている。
まあ、何にせよ。
黒井選手の求めに端を発した話の結論はそんなところだ。
岩中選手の言う通り、当たり前のことしか言っていない。
それ故に【好感度】は現状維持から微減というところ。
この流れの中ではマシな結果だろうが、ここらで巻き返さなければと思う。
話を少しずらそう。
俺は軽く咳払いをし、全員の注意を引いてから口を開いた。
「決して誤解していただきたくないのは、こうした試みは確かに長期的な計画ではありますが、次回WBWを見据えてのものではないということです」
「……どういうことだ?」
「この日本を常態的にWBWで優勝争いを演じることができる国にする。アメリカと同レベルの野球先進国とする。あくまでもそのためのものです」
俺が口にした内容は理解したが、その上で何を言いたいのか。
そこが分からないとばかりに、山崎選手を含んだ5人の視線が俺に集まる。
「自分は次回のWBWでアメリカ代表を打倒し、優勝することを本気で目指しています。そして、そのためには皆さんの力が必要不可欠です」
「今の状態でも、か?」
「当然です。野球は最低でも9人必要なスポーツですから」
「勿論、数合わせで言ってる訳じゃない」
何も補足しなければ、そこに引っかかりを抱かれる懸念があったのだろう。
それを【直感】的に感じ取ったのか、あーちゃんが間髪容れずにフォローする。
落山監督が全体ミーティングで今回はWBW制覇を目標として掲げると宣言していたはずだが、彼らの中にはどこか冷めた部分があったのかもしれない。
あるいは、この特別強化合宿の中で仄かに芽生えてしまったものか。
そうした部分を意識しながら頭の中で言葉を選んで再び口を開く。
「打倒アメリカは厳しい目標です。勝つ確率は限りなく0に近いでしょう。それでも全く勝ち目がない訳ではありません」
前回までは正に大人と子供の戦い。
何度戦ったところで可能性は0だっただろう。
だが、今回は大分状況が違う。
何故なら――。
「かつてなく戦力が揃っていますので」
サッカーなどとは違い、野球はどんな弱小でも3割は勝てる。
その文言に出てくる「弱小」よりも、次回WBWで立ち塞がるアメリカ代表から見た日本代表の方が遥かに脆弱だろう。
だが、それでも万に1つぐらいの勝機はあるはずだ。
1発勝負の大舞台で頼りにするには心許なさ過ぎる可能性に過ぎないが。
あるとないとでは大きな隔たりがある。
「自分と茜、昇二、倉本さん、磐城君、大松君。山崎一裕選手。野手として考えると現状この7人がほぼスタメン当確。残るは2人」
更に率直に告げる。
これは自惚れではなく、客観的な評価によるものだ。
黒井選手達もそこに異論はない様子。
もっとも、正樹も加わればパイは更に減って1人になるだろうが……。
いずれにしても現状、最低1人。
アメリカ代表と直接対峙しなければならないの確かだ。
「ピッチャーに関しては、それこそ何人いたっていい」
こちらは特に、日程や試合展開次第では不足する可能性だってあるからな。
だからこそ――。
「名前を挙げた選手以上にそれ以外の選手が重要になります。全員が全員100%の力を発揮しなければ、勝利を手繰り寄せる権利すら与えられないでしょう」
元々の可能性が限りなく0に近いのだから自明のことだ。
「そこで必要なのは、何よりもチーム全体でビジョンをどれだけ共有することができているかということです」
当然、代表チームである以上は最低限の実力は担保されている。
その前提での話ではあるが。
「ビジョン……」
「はい。WBW制覇という目標を全員が本気で掲げて戦っていく。そこで足並みを揃えることができない選手は、むしろ足手纏いになります」
影響の度合いは違えど、それこそ海峰永徳みたいなものだ。
足を引っ張る身内程、邪魔なものはない。
「……WBW制覇、か」
「代表監督は毎度毎度、掲げるだけ掲げはするからな。そのお題目」
「今回の落山監督は本気だと頭では理解していたつもりだったんだが――」
「一丸になろうとは言いながら、まだまだ熱量が足りなかったのかもしれないね」
大分やけくそ気味に腹を割って話したが、おおよそ飲み込んで貰えたらしい。
冷めた部分は冷めた部分としてありつつも。
彼らの中には間違いなく熱もあったのだろう。
大分纏まって増えた【好感度】がその証明だ。
しかし、まだ80には至らない。
もっともっと仲間意識というものを形成していかなければならない。




