275 情報共有からの紅白戦
「あー、まあ、そうなるか……」
「こればっかりは是非もないね」
それは紅白戦当日である今日から遡ること丁度4日前。
即ち特別強化合宿初日に、俺に対して半ば宣戦布告のような発言をしたほとんどすぐ後にブルペンで見せた磐城君と大松君の反応だった。
ことの発端は投手コーチの皆田さんとブルペンコーチの久保内さんの指示。
要約すると次のような内容となる。
「活発な技術交流のため、可能な限り情報は開示すること」
これを受けて、2人は少しばかりモヤッとしたような表情を浮かべていた。
直前の言動からしても彼らが新しい武器を引っ提げてこの特別強化合宿に乗り込んできていたことは予想されたが、やはり事実だったらしい。
となれば、そういう反応になる気持ちも分からなくない。
情報にない球という有利を自ら捨て去ることになる訳だからな。
とは言え、表立った反応はそれだけで。
2人は特に不平不満を口にすることもなく、素直に従うことにしたようだった。
「まあ、あくまでも日本代表の特別強化合宿だからね」
理由は正に磐城君が若干苦笑気味に告げた通りだ。
この特別強化合宿の主な目的は代表選手同士の情報共有、守備における連携強化、そして個々の実力を更に向上させる1つの切っかけとすること。
個人個人の気持ちはどうあれ、紅白戦の意図もまた大まかには同じ。
少なくとも、昨シーズンのリベンジの場として設けられた訳ではない。
まあ、雪辱を真剣勝負のモチベーションとする分には構わないだろうが……。
本来の目的を見失っては、本末転倒としか言いようがない。
紅白戦程度で多少の有利を得るためだけに持ち球を隠し、代表選手が集まった合宿の貴重な時間を浪費するような真似はするべきではないだろう。
最終目標は打倒アメリカ代表、そしてWBW制覇。
首脳陣の指示は、それを果たすための1つの合理的な判断と言える。
だから、紅白戦が開催される特別強化合宿5日目となった現在。
磐城君や大松君は勿論のこととして、他のピッチャーについても。
昨シーズン終了以降に何かしら新しい武器を手に入れていれば、それがどのようなもので、実際にどう運用するつもりでいるのかはネタバレ済みだった。
俺もブルペンで今の磐城君や大松君の球を受け、実際にそれを体験している。
ピッチャー陣もほとんど横で見ていたし、2人がシートバッティングに登板した際には指示された通り惜しげもなく披露していた。
故に既に、チーム全体に情報共有がなされている状態だった。
「大松選手の新球にはどう対処すべきか……」
「習得して間もないんだろ? どこかに癖が出ているかもしれないぞ」
紅白戦の試合前。
俺とあーちゃんを含む紅組のミーティングでは、既にシートバッティングで大松君の新しい武器に苦しめられた選手達を中心に議論が活発だ。
「大松選手もまだ若いからな。可能性はある。癖も探すべきではあるだろうな」
「もし分かりやすい癖があって、それが敵にバレようものならWBWの致命傷になりかねませんからね。一丸になってフォームを観察しましょう」
「ああ。それがいい。手心を加えないのが、この場では優しさにもなる」
「……そもそも、加減する余裕なんてこっちにはねえけどな」
現状。
新球の存在を認識していて尚、大松君を打てずにいるバッターが多い。
このような状態では、事前情報のないピッチャーが立ちはだかってくる状況をシミュレートした方がいいんじゃないかとか考える以前の問題だ。
ピッチャー陣は丸裸にされて尚、抑えることができる引き出しを増やすため。
バッター陣はとにかくWBWでも上位レベルであろう投球としっかり意義のある形で向き合い、経験を蓄積するために。
改めて考えても情報の開示は必須だったと言えるだろう。
「しかし、大松選手と磐城選手はものの見事にタイプが異なるな」
「まあ、そこは性格の違いでしょうね」
「器用なもんだけど、これも厄介としか言いようがねえな」
対磐城君もまた然り。
昨シーズンの時点でもほぼほぼ抑え込まれていたのだ。
更に成長した彼ら相手なら言わずもがなだ。
「ですが、アメリカ代表のサイクロン・ファクト選手は同じようなことをしてきます。それも恐らくはより高精度に」
「……ピッチャーもバッターも、まだまだ力不足か」
「だからこその特別強化合宿です」
時期的にWBW本番までは時間がある。
磐城君や大松君にしても今の段階から情報を秘匿しようとするより、しっかりと使い込んで更なるブラッシュアップを試みた方がいい。
一般論として、今から本番まで完全に隠し切るなんて困難極まりないからな。
余程国内リーグの中で実力差がある訳でもない限り、代表選手に選ばれるためにはまずレギュラーシーズンで結果を出さなければならない。
トップリーグで実力を隠して代表の座を勝ち取るのは普通なら厳しい。
磐城君や大松君ならそこは安泰だとは思うけれども、俺達と対戦する時やWBW予選でまで隠し続けるということはないだろう。
決勝戦でぶつかる海外代表、少なくともアメリカ代表ならば、そういったところの情報も全て収集して分析した上で立ち塞がってくると考えた方がいい。
何せ、日本はスパイ天国と言われるぐらいだからな。
その防諜能力で防ぎ切ることができると楽観視しない方が無難だ。
持ち球は勿論、配球の傾向だって把握されていると思って動いた方がいい。
であれば、この紅白戦。
やはり互いの実力は概ね把握した上で行った方が後々のためになるはずだ。
落山監督もそういった考えで事前に情報共有を行うこととしたに違いない。
まあ、それでも。
隠すことができるものがあるなら隠すべきなのも確かだが……。
それをする余地があるのは今のところ俺ぐらいのものだろう。
いずれにしても。
そういったところがこの紅白戦の前提として存在していた。
「正直、白組の打線はエゲツないです。どこかで打ち崩さないと負けます」
「だろうな」
ミーティングの後半に俺が口にした結論に対して同意を示したのは、昨シーズンの公営パ・リーグ打点王。黒井力皇選手。
「クリーンナップは責任重大だな」
それに続いたのは同じく公営セ・リーグの打点王、白露尊選手だった。
彼は大松君の三冠王を阻む形となった野手だ。
結果、今年は誰も三冠王にはなっていない。
それこそ何か大いなる力が四球攻めや申告敬遠に厳しい目を向けさせようとしているかの如く、打点の部分で僅かに及ばなかった。
もっとも、あの野球狂神が一々そんな干渉をするとは考えにくい。
だから、実際は単なる偶然に過ぎないだろうとは思うけどな。
それはともかくとして。
彼ら2人は俺の中では山崎選手に次ぐスタメン候補だった。
「特に1試合目。ここで結果を出さないと俺達もケツに火がつくぞ」
「違いねえな」
白露選手の発言からも察せられる通り。
今日の紅白戦は2試合行われる予定となっている。
即ちダブルヘッダーだ。
その1試合目は主に俺や美海ちゃん、磐城君、大松君が登板する。
予定ではそれぞれ3イニングずつ。
俺に関しては右と左で合計6イニング投げることになっている。
紅組の残る3イニングは中継ぎや抑えのピッチャーで繋いでいく形だ。
勿論、打ち込まれてしまえばその限りではないが……。
1試合目で投げなかったピッチャーは2試合目に登板することになるだろう。
そんな内容であるだけに、1試合目の重要度は非常に高い。
ここでの結果が後々尾を引くことにもなりかねないレベルだ。
選手達も重々承知しており、紅白戦とは思えないような緊迫感がある。
そんな1試合目のスターティングオーダーは以下の通りだ。
【先攻】紅組
1番 捕手 野村茜 村山マダーレッドサフフラワーズ
2番 右翼手 飯山鉄朗 東京ラクトアトミクス
3番 一塁手 黒井力皇 福岡アルジェントヴァルチャーズ
4番 投手 野村秀治郎 村山マダーレッドサフフラワーズ
5番 三塁手 白露尊 神奈川ポーラースターズ
6番 中堅手 山 友義 兵庫ブルーヴォルテックス
7番 左翼手 畑口荘衛 兵庫ブルーヴォルテックス
8番 二塁手 田岡影秋 大阪トラストレオパルズ
9番 遊撃手 登坂聖也 千葉オケアノスガルズ
【後攻】白組
1番 捕手 倉本未来 村山マダーレッドサフフラワーズ
2番 左翼手 山崎一裕 宮城オーラムアステリオス
3番 遊撃手 大松勝次 東京プレスギガンテス
4番 右翼手 磐城巧 兵庫ブルーヴォルテックス
5番 中堅手 瀬川昇二 村山マダーレッドサフフラワーズ
6番 三塁手 岡原和徳 東京プレスギガンテス
7番 一塁手 城崎智司 福岡アルジェントヴァルチャーズ
8番 二塁手 佐藤世界 静岡ミントアゼリアーズ
9番 投手 浜中美海 村山マダーレッドサフフラワーズ
紅組は島井ヘッドコーチが、白組は落山監督が指揮を執ることになっている。
申告敬遠に関しては今シーズンのルール改正後よりも厳しく、全面的に禁止。
だからと、無闇にフォアボールを出したら評価が下がると告げられてもいる。
紅白戦の意図を考えれば当然だろう。
勿論、俺達は昨シーズンだって申告敬遠を1度も使用していない。
他のピッチャー向けの特別ルールだ。
「まずは相手先発の浜中美海選手。屋外球場ですし、ナックル主体でしょう」
「プラス彼女も新球に注意、と」
「誰も彼も爆速で成長しやがって。立つ瀬がねえわ」
「それでも、俺達も必死に食らいついていかないとな」
嘆息した黒井選手を宥めるように白露選手が言う。
「分あってるよ。格上と思って挑む。それだけだ」
気合を入れ直した黒井選手の言葉に俺も内心頷く。
紅白戦ながら、対峙するのは過去最強の面子であることは間違いない。
ここは挑戦者の気持ちで挑ませて貰おう。
さて、試合開始だ。