273 特別強化合宿の始まりは代表ユニフォームと共に
今日から始まる特別強化合宿は、当然ながら日本代表チームの正式な活動だ。
自主トレーニングなどの非公式の練習とは全く意味合いが異なってくる。
その象徴的な差異を1つ挙げるとすれば、トレーニングウェアとして公式のユニフォームを使用することが許されるか否かだろう。
そして、この特別強化合宿における公式ユニフォームとは。
野球に狂った今生の世界において憧憬の的となるであろう装い。
即ち、日本代表ユニフォームだ。
この場に招集されたからには、俺達もそれを着用することとなる。
これらは支給品だが、今回は各選手の部屋に事前に用意される形となっていた。
「しゅー君、早く早く!」
「いや、そんな急かさなくても。昨日だって試着してみたじゃないか」
懇親会の翌日。早朝。
ルームサービスで朝食を部屋の中で食べ、少し食休みをした後のこと。
あーちゃんにせがまれ、俺は日本代表のユニフォームに袖を通した。
部屋を出るにはまだまだ早い時間。
なので、しばらくはラフな格好をしていたかった気持ちもなくはないが……。
最終的には着ていくことになるのだ。
まあ、別に構わないだろう。
「しゅー君、カッコいい!」
「……うん。ありがと、あーちゃん」
昨日と全く同じことを言っている彼女に、とりあえず微苦笑しながら応じる。
客観的に見ればカッコいいのはユニフォームであり、馬子にも衣裳に過ぎない。
彼女のそれはいつもの惚れた欲目でしかないだろうとは思う。
とは言え、褒められて悪い気はしない。
「あーちゃんも、似合ってるよ」
こちらは贔屓目ではない。
100人が100人、その凛とした野球少女の姿に感嘆を上げるに違いない。
「ん!」
そんな俺の返しに、あーちゃんは喜色満面(当社比)の笑みを浮かべる。
それから彼女はスマホ片手にすすすっと傍に来て、くっついてきた。
どうやら自撮り機能を使ってツーショット写真を撮ろうとしているらしい。
これも昨日、全く同じことをしていたのだが……。
楽しそうなあーちゃんに水を差すのも何なので、野暮な指摘はしない。
彼女の望み通り、バカップルの如く肩を寄せ合いながらピースをしておく。
……む。
もっと密着しないとバランスが悪いか。
「ん。ぎゅー」
それから何度となく。
あーちゃんは撮影画像を真剣に吟味しつつ、異なるポーズを要求してくる。
「もっとピッタリ」
「はいはい」
「…………バッチリ」
しばらくしてようやく満足したのか、彼女は1つ深く頷いてスマホをしまった。
欲望塗れの行動に見えるが、これは自分の欲を満たすためだけの行動ではない。
「お母さん達も喜んでくれるはず」
あーちゃんが言った通り、この写真は双方の両親に見せるためのものだ。
家族の記念写真の一種だな。
あくまでもプライベートの一幕を切り取ったものということになる。
しかし、俺達の日本代表ユニフォーム姿が世間一般に初出となるのは今日。
正にこれから広報写真の撮影もあり、今日の内にプレスリリースとなる予定だ。
なので、両親に送るとすれば一応はその後にしておいた方がいい。
誰より信頼している身内でも、何かの間違いで流出しないとは限らないからな。
僅かな時間にせよ、広報戦略の妨げとなる状態を作るのは職業倫理的にマズい。
野球の技量とは全く関係のないところで変に足をすくわれては困る。
石橋を叩いて渡るように、予防しておくに越したことはない。
「後でみなみー達とも記念撮影したい」
「そうだな。でも、写真のやり取りは公式で掲載された後だぞ?」
「ん。ちゃんと分かってる」
そんな念押しをしていると部屋を出ようと思っていた時間を少し過ぎており、俺達は上から日本代表公式のパーカーを羽織ってロビーに急いだ。
日本代表ユニフォーム姿のお披露目は球場で。
初日の移動の際は必ずパーカーを着るように指示を受けている。
そのため、ロビーで待っていた美海ちゃん達も俺達と全く同じ格好だった。
「2人共来たわね。ちょっと遅かったじゃない」
「いや、ちょっと手間取って」
主にあーちゃんの写真撮影が。
まあ、途中からは俺も楽しんでいたが。
「みなみー、何かいつもよりキリッとしてる」
「そりゃね。憧れの日本代表のユニフォームを着てるんだもの。身も心も引き締まるわ。こう、やってやろうって気持ちになる」
「広報向けのコメントはそれで決まりっすね」
女性陣3人が集まり、一気に賑やかになる。
当然ながら女性選手がWBW日本代表に選ばれるのは史上初の出来事だ。
勿論、WBWの公式戦に出場してこそ大手を振ってそう言える訳だが……。
現時点でも彼女達の注目度は非常に高い。
その発言にも、大きな関心が寄せられていることは間違いない。
尚、それはあくまでも比較の問題であって。
何も彼女達に限った話ではない。
日本代表選手が耳目を集めるのは自明の理だ。
「コメント……下手なことは言えないわよね、今の私達。特に茜」
「む。心外」
「茜っちは素直っすからね」
「何にせよ、一挙手一投足、誰に見られてると思って慎重に振る舞わないとな」
「そ、そうだね。このユニフォームに恥ずかしくない行動をしないと。うん」
言いながら、昇二が少し体を強張らせる。
さすがにそこまで入れ込んでしまうのは逆に健全とは言えない。
舌の根の乾かぬ内だが、フォローしておいた方がよさそうだ。
「……まあ、俺達は自然体で大丈夫だろ」
「大松君とか、ここぞとばかりにはしゃいだりしないかしら」
「俺を何だと思ってるのサ」
「っと、噂をすれば、大松君じゃない」
「いや、さっきからずっといたんだけど……」
「あ、ははは」
彼の隣にいた磐城君が苦笑する。
女性陣からの大松君の扱いの悪さったらないな。
それはともかくとして。
「折角掴み取った代表の座。大松君も短絡的な行動で手放したりしないよ」
擁護になっているのか少々微妙な擁護を口にした磐城君に顔を向ける。
「大松君と一緒だったのか?」
「丁度エレベーターで一緒になっただけだけどね」
懇親会ではよく知った間柄ということで他の代表選手と親睦を深めることを優先し、2人に対しては軽い挨拶で済ませておいた。
そもそも交流が絶えている訳ではない。
そして中学からのつき合いの彼らだ。
言葉を積み重ねるよりもプレイで語れば十分だろう。
そうこうしている内に選手達が集まり、全員で歩いて移動を開始する。
こういった場合は通常バス移動だが、今回は練習場所であるフォスフォライトスタジアム那覇が宿泊先のホテルの目の前にある。
WBW日本代表に対してマナー違反の出待ちをしようものなら晒されてしまうので、ファンもメディア関係者も精々ホテルの敷地外で遠巻きに見ている程度だ。
そのため、特に問題が起きたりすることもなく。
スタッフの先導を受けながら道路を渡って球場に入った。
「まずは写真撮影からね」
「で、その後は全体ミーティングっす」
最初にグレーンバックが用意された部屋で日本代表ユニフォーム姿の広報写真を撮り、それから昨日と同じくフォスフォライトスタジアム那覇の大会議室へ。
当然ながらケータリングのあれやこれやはすっかり片づけられており、中は極々普通の会議室の様相を取り戻していた。
いくつも規則正しく並べられた会議用テーブルの内、部屋の後方に設置されたものとセットのパイプ椅子に座って全体を見渡す。
前方正面にはコーチングスタッフ。
後方には日本代表の歩み的な特別番組を撮影しているだろうカメラマンがいる。
選手達は全員日本代表のユニフォーム姿。
中々見ない特別な光景だけに、大会議室には緊張感が漂っている感じがする。
「では、全体ミーティングを行います。まずは落山監督の挨拶から」
スタッフの1人がそう促すと、横に並んだコーチングスタッフ達の中央に座っていた落山監督がマイクを手に取って口を開く。
「改めて、この度WBW日本代表監督となった落山です」
彼は昨日の懇親会の時とは打って変わり、厳しい雰囲気を伴って告げた。
俺も含め、選手達も背筋が自然と伸びる。
「まず何よりも言いたいことは、我々は今回本気でWBW制覇を目指すということです。そのためであれば0からチームを作り直すことも辞しません」
その意識を共有できないようであれば、WBW予選直前であっても大幅な入れ替えを行うことも十分あり得る。
そういうことだろう。
とは言え、これは監督就任以降常々メディアの前で口にしていることだ。
今回招集された選手達もまた重々承知しているはず。
今後入れ替えが起こるとすれば、徹底的に合理的な判断によるもの。
それ以上でもそれ以下でもない。
「WBWの起用法は勿論のこと、現時点では特別強化試合でのスターティングオーダーも白紙です。合宿は短い時間ですが、ここでの評価を基に決定します」
これもまた当然のことだろう。
言っては悪いが、日本代表は前回惨敗しているのだ。
これまでの実績は灰燼に帰したと考えていい。
「若手もベテランもありません。より高みを目指す1人の野球人として素直な気持ちを持ち、互いに吸収できるものは全て吸収しようという貪欲さを見せて下さい」
だからこそのキャプテンなし。
その試みも含め、主にベテランに対する注意喚起のようにも聞こえる。
だが、むしろ。
この落山監督の言葉は、新人でありながらWBW日本代表に招集されて彼らと肩を並べるに至った俺達もまた肝に銘じなければならないことだ。
ここにいる選手達の成長の一助になろうと物怖じせずに意見するのはいい。
しかし、決して導いてやろうとか傲慢になってはいけない。
彼らのこれまでの歩みから、俺自身も何かを学び取っていかなければならない。
経験則を鵜呑みにすることはできないが、正しいものも中にはあるのだから。
それこそ吸収できるものは吸収すべきだ。
「では、皆さん。この特別強化合宿を有意義なものとしましょう」
自分に言い聞かせていると、落山監督はそう挨拶を締め括った。
対して選手達は全員、声を揃えて「はい!」と応じる。
そうして、日本代表の特別強化合宿が始まったのだった。




