270 コーチングスタッフ
どうやら球場隣接のホテルには、いわゆる大宴会場がなかったらしい。
そのためか、日本代表の懇親会は球場の大会議室で行われることとなっていた。
試合前ミーティングとかもあるから当然と言えば当然のことではあるけども、世の球場には大体そういったことに使うことのできる部屋が備えられている。
このフォスフォライトスタジアム那覇もまた多分に漏れず。
その広さはWBW日本代表選手30人とコーチングスタッフ8人が全員入っても十分余裕があるぐらいのものだった。
「あー……ちょっと遅かったかな」
そんな懇親会の会場には、既に選手がほぼ揃っていた。
どうやら俺達5人が最後だったらしい。
中に入った途端、こちらに視線が一気に集中する。
一瞬気圧され、今更ながらもう少し早めに出ればよかったかと焦ってしまう。
まあ、一応まだコーチングスタッフの姿はないようではあったし──。
「5分前行動。問題ない」
あーちゃんが言った通り、別に遅刻した訳でもないが……。
「いやあ、先輩を待たせるのは体育会系的にはアウトっすけどね」
「僕達、間違いなく1番若いからね……」
その辺りを気にする人がいたら、厄介なことになっていたかもしれない。
「向上冠中学も高校も、村山マダーレッドサフフラワーズですら上下関係はかなり緩いから、完全に頭から抜けちゃってるのよねえ」
美海ちゃんの言葉に「そうなんだよな」と頷いて同意する。
ステレオタイプな体育会系のノリは、俺達の歩みの中では存在しなかった。
まあ、実際のところは単純に緩いというのとは違うけれども。
それこそ慣習になるような定まったシステムも、そんなことをしているだけの人的余裕も時間的余裕もなかったと言った方が正しいだろう。
「早く来過ぎても他のスタッフの邪魔になるだけ」
あーちゃんの主張もまた間違ってはいない。
ケータリングにしたって色々と準備があるだろうしな。
既にここにいる彼らだって、実際にどのタイミングで来たのかも分からない。
俺達はその辺りの暗黙の了解も知らない日本代表初心者なので、もし何か不備があったとしてもそこは許して欲しいところだ。
と言うか、恐らく問題ないだろう。
何せ、既に彼らの意識は俺達から外れているぐらいだからな。
こんな会話ができているのがその証拠だ。
見られたのは単に5人まとまって大会議室に入ってきたからだったのだろう。
集合時間前に来たのだから、普通だったら非難される謂れはない。
「そもそも、そんな旧態依然とした選手が日本代表になるなんて馬鹿げてる」
「うん、まあ、それはその通りだけどな」
本当に1流選手なら、固定観念に囚われない柔軟さはあって然るべきだ。
けど、前回までは海峰永徳みたいなのもいた訳だからな……。
ああ、いや。
彼のような己の才能を頼みにする人間は、むしろ伝統を壊すタイプか。
もっとも、年下には都合よく年功序列を振りかざしてくるだろうけど。
「よく考えたらここにいるのはアレを経験した人と、それ以外は初選考か……」
俺達なんて海峰永徳に比べれば聖人君子過ぎるぐらいだろう。
気にし過ぎだな。
変なところで小市民な部分が出てしまった。
それはともかくとして。
選手は全員集まったようだ。
しかし、今のところはチーム毎に固まっている。
時計を見ると午後6時丁度。
話をして親睦を深めようにも今は時間もない。
事実、間もなく大会議室の扉が開いてコーチングスタッフが入ってきた。
先頭は御存知、監督の落山秀充さん。
続いてヘッドコーチの島井育幸さん。
投手コーチの皆田久夫さん。
ブルペンコーチの久保内俊生さん。
打撃コーチの荒井博郎さん。
内野守備・走塁コーチの高内延太さん。
外野守備・走塁コーチの亀水善雅さん。
バッテリーコーチの村野則克さん。
いずれも評価の高いコーチングスタッフだ。
彼らは前の方で一列に並び、その中から落山さんが一歩前に出て口を開いた。
「日本代表監督の落山です。まあ、堅苦しい話は全部改めて明日やるから、今日のところは気楽に食事をして親睦を深めて下さい。無礼講で行きましょう」
落山さんの言葉を受け、ケータリングスタッフがドリンクを配布する。
20歳未満の俺達は当然ソフトドリンクだ。
「余り長々と話をしていても仕方がないので、日本代表の発展を祈って乾杯!」
「「「「「「乾杯!!」」」」」」
飲み物を一口飲み、それから各々動き出す。
俺達からすればほとんど先輩だが、当然その中でも先輩後輩はある。
先輩が更なる先輩に挨拶しているところに突撃する訳にもいかない。
なので、1番年若い俺達は待機。
とりあえず落ち着くまでは用意された料理の確認をしておく。
「料理は案の定ケータリングだったっすけど、何だか随分と沖縄っぽいっすね」
「沖縄に来たからにはってことかな。でも、僕ちょっとゴーヤ苦手……」
「まあ、アッチの方に定番の料理もあるみたいだから」
「うん。折角だけど、僕はそっちを選ぶよ」
現地料理を味わう機会を逸するのは勿体ないと言えば勿体ないが、口に合わないものを無理に食べても誰も幸せにはならない。
無論、廃棄するなら食べた方がいいに決まっているが……。
この場はトップレベルのスポーツ選手の宴だ。
38人もいれば誰かしらあの苦味に目がない人がいて、貪り食うに違いない。
ケータリングのチャンプルーにはガッツリ肉も入ってることだしな。
ちなみに。
本土ではゴーヤと言う人が多いが、うちなんちゅ的にはゴーヤーが正しい。
なので、沖縄出身者に言わせるとゴーヤ呼びは違和感しかないらしい。
そもそも正式名称は苦瓜。ゴーヤーは沖縄の方言だ。
拘っている感を出したければ、ゴーヤではなくゴーヤーを使うべきだろう。
「ゴーヤーの苦味成分は主に種とワタに含まれてる。そして水溶性。種とワタをしっかり取り除いて、しっかり茹でると苦くなくなるらしい」
「へえ。よく知ってるわね、茜」
「今はお母さん達に頼ってるけど、いずれ引退したらしゅー君のサポートは全面的にわたしがする。そのために今から少しずつ勉強してる」
「さすが茜っちっすけど、苦くないゴーヤって食べる意味あるんすかね」
「栄養素を考えるとある程度は苦味が残ってた方がいい。夏バテに効く。それと苦味を取るために茹で過ぎると、折角豊富にあるビタミンCも一緒に抜ける」
「ビタミンCは疲労回復効果があるって言うな」
「ん。ビタミンCも水溶性で、更に熱に弱い」
苦味が苦手な余り茹で過ぎると夏バテ予防効果も薄れるし、ビタミンCが抜けるわ壊れるわで色々台なしになるってことだな。
「夏バテと疲労回復効果ならグレープフルーツでいいかな、僕は」
「まあ、こと栄養補給において代用品がないなんてことは基本ないからな」
とは言え、同じものを食べ続けると飽きるものだ。
そういう時にこういう知識は栄養バランスを考えた料理を作る上で必須となる。
飽きない自信があれば別に構わないけれども。
「っと、そろそろ頃合いかな。俺達も挨拶に行こう」
まずは監督の落上さんのところから。
まあ、俺とあーちゃんは対談したこともあるので顔見知りだ。
美海ちゃんと昇二、倉本さんがメインとなる。
自分達の挨拶を済ませてから、それを見守っていると――。
「野村秀治郎君、野村茜君」
後ろから声をかけられ、俺とあーちゃんは振り返った。
そこにいたのは今回初めて投手コーチとなった皆田久夫さんだった。
次はヘッドコーチに挨拶するつもりだったが、話しかけられては是非もない。
「皆田コーチ、初めまして。同じ山形出身で200勝を挙げた偉大なピッチャーにお会いできて光栄です」
「こちらこそ。故郷のプロ野球球団を1部リーグに押し上げ、日本一に導いた歴史的な選手に会えて嬉しいよ」
互いに持ち上げつつ、笑顔で握手を交わす。
WBW本番での投手の起用に深く関わる人物だ。
可能な限り意思の統一を図りたいので、どうにか歓心を買っておきたい。
ステータスの好感度を見るに先程の発言は本心のようだが、だからと言って起用に口出しするのを容易に許してくれる程ではないだろう。
俺が村山マダーレッドサフフラワーズで好き勝手できているのは、あくまでもクラブチームからの成り上がりに貢献したおかげだ。
うまいこと選手としての信頼以上のものを勝ち取らなければならない。
のだが、実のところ彼に関しては少なくとも1つ。
借りを作る手段があったりする。
それをどこで切り出そうかと考えていると――。
「村山マダーレッドサフフラワーズジュニアユース創設のセレクション、丁度今やっているだろう?」
皆田さんの方から俺の頭の中にあった話題を出してきた。
渡りに船だ。
「……ええ。まだ書類選考の段階ですが」
「実はうちの息子が応募したんだ」
「ええ、存じてます」
「そうなのか?」
「はい。自分も選考に関わっていますから」
俺がそう言うと皆田さんは驚いたように目を見開いた。
まあ、一介の選手がそこまでやっているとは思わないだろう。
「……なら、知っていると思うが、ウチの子は学外野球チームに所属してもいなかったし、クラブ活動チームでもほぼベンチで実績がない」
「はい」
「実のところ、子供の頃に軽度の先天性虚弱症と診断されていたんだ……」
確かにステータスを見ても運動音痴と評価されて然るべき数値だった。
そうであっても不思議ではないと思った。
それでも書類選考に応募してきたのは、村山マダーレッドサフフラワーズジュニアユースの募集要項に実績不問とあったからだろう。
「2人もそうだったと聞く。だから、あの子は一縷の望みを託して応募したんだ」
それはそうだろう。
これが皆田さんの息子さんの人生において、野球選手の道を歩むことができる正に最後の可能性となる。
この野球に狂った世界における蜘蛛の糸。
掴もうとせずにはいられまい。とは言え――。
「別にコネで捻じ込んで欲しい訳じゃない。諦めるなら早い方がいいから、できるなら選考結果を教えて欲しかったんだ」
皆田さん自身も合格などあり得ないと思っているのだろう。
彼の息子にしても恐らくそう。
行動せずにはいられなかっただけだ。
だからこそ、父親である皆田さんは結果を欲している。
しかし、俺の返答は彼の頭のないものとなる。
「書類選考は通ってますよ。後は彼のやる気次第です」
皆田さんは俺の言葉を理解できなかったのか、呆けたような表情を浮かべた。




