3、双刀の狩人③
(倒したか?)
フレアが、驚いた様子で剣を引く。飛び退いた瞬間、その位置をなぞるようにして巨大な鎌が通り過ぎた。蝿の王は、力尽きることなく立っている。
傷口から吹き出ていた体液の流出は止まっていた。今は表面を薄い膜が覆い始めている。
「チッ!あと少しのところで……!」
(深傷は与えている。魔力の供給元……核を破壊するには足りなかったか)
フレアの額には、多量の汗が浮き出ていた。度重なる技の使用で、体内の魔力が底を尽きかけている。そうでなくても近い状態だろう。
だから止めを刺しきれなかった。
俺の方も余裕がない。『簡易魔導砲』の魔石は使い果たしている。あの硬い外皮を破れる魔導具は他に無かった。
魔鋼糸と、一本限りの避魔針。これだけではどうにも出来ない。【極彩の魔剣】は使えて一振。その場合、残る右腕が対価になる。
「フレア。【闘剣魔気】は、あとどれくらいの間維持できる?」
「この腕を切り落とされない限りだ!」
「真面目に答えてくれ。二人揃って、あの世に行きたくなければな」
「今の状態で出せる技は三度ほど。そのあと魔力が尽きたとしても、そこそこの時間は動ける筈だ」
「本当に?強がりで言ってない?」
「できると言ったらできる!私のことを信用しろ!」
「なら役割変更だ。奴の傷口を覆う外皮の厚みはまだ薄い。俺の魔法なら貫ける。うまくいくように援護してくれ」
「承知した。今度は私の剣で、道を切り開いてやろう」
頷いたフレアが先陣を切る。俺もすぐにその背を追った。蝿の王はただ待ち構えている。
魔力を帯びた鎌の刃先。この戦いの中で初めて目にする形状に変化した。
(こいつ……フレアの【闘剣魔気】を真似たのか!)
槍で突くような一撃が通り過ぎた。まるで剣に見立てた攻撃。視界を埋める手数が行く手を遮る。ほぼ回避する余地がない。フレアが見せた剣技、【絶え間ない連撃】の動きと似ていた。
間違いない。奴は非常に賢く、戦いの中で学びながら成長している。
「構うことはない。そのまま飛び込め!」
(……!ここはフレアを信じて行くしかない)
脚を止めずに突き進む。串刺しにされる直前、鎌の向かう先が僅かに逸れていった。フレアが二撃目の【加速剣】を鋭く差し込む。魔物の上腕、魔法が付加されてない部位を突き上げた。
目の前に、人一人が通れるほどの道が開く。
(近づくだけじゃダメだ。確実に首を狙える位置をとらないと)
巨体の真下に潜り込む。四方から、木の幹のような脚がこちらを突いてきた。地を揺らすほどの衝撃が響いたが、内側深くまでは届いていない。間を抜けて、魔物の背後に回り込む。
(見られているな)
蝿頭のみが、真後ろに百八十度グルリと動いた。顎牙が開かれた瞬間、喉奥から高圧の液体が射出される。
やはり魔力探知は機能していない。『幻影の首飾り』で生成した分身体が射貫かれた。俺は、魔物の足下に身を隠している。タイミングをずらして飛び出すと、一気に蝿の王の背の上を駆け上がった。
《………?》
「今さら気づいたところで、もう遅い」
首もとにある薄い膜、魔物の外皮に直接手を押し当てる。周囲を覆う刺に肌を裂かれた。血が流れるよりも早く、確実に仕留められる距離で【虹の魔法】を使用する。
「【極彩の魔剣】」
光剣を、手刀のように突き立てる。傷口を大きく抉ることで万全を期した。腕を引き抜くと同時に、フレアが【破壊する重撃】を叩き込む。
強度が弱まった蝿頭の首が吹き飛んだ。グラリと、魔物の上体が倒れるような動きを見せる。
「やったぞ!これで――」
「……ッ!?いや、まだだ!」
袖に血を含み、重さを増した右腕を持ち上げて狙いを定めた。フレアの体を【属性魔矢】で吹き飛ばす。目的は、攻撃が届く範囲の外に逃がすため。
瞬きの間に、魔物が持つ鎌の刃先が俺の目前に迫っている。
――キィィィィンッ!
空中で体をひねり、鎌の側面を『反射の籠手』の機能で弾く。受けた衝撃で、全身の骨が軋みを上げた。恐ろしい速度で地面に叩きつけられる。雪クッション代わりになり、かろうじて生き延びられた。
(クッ……ソ……!)
息をするのも苦しい。視線のみを動かして前を見た。
頭部を失った蝿の王。しかし、首から下の肉体は今も生きている。流れる魔力が答えを決定づけていた。核ではない、何か別のものが奴の生命力を繋ぎ止めている。
「無事か?エドワーズ!」
「……この通り。生きてはいるよ」
駆けつけたフレアが息をのむ。俺の両腕は血にまみれ、周囲の色を赤く染めている。目も当てられない状態だ。
「リーゼに知られたら、なんて言うかな?」
「お前に同行した私の首が締め上げられる!」
「間違いない。この状況をどうにかできたら、の話だけどな」
吹雪の檻が俺たちを逃さない。魔物が持つ鎌の刃先は、俺たちの方に向いていた。腕の間接を隙間なく覆う黒い刺。その部位がみるみる膨れ上がっていく。
フレアは、俺を庇うようにして剣を構えた。蝿の王から分離した鎌が投擲される。膨張したコブが空中で爆ぜた瞬間、無数の刺が矢のように撒き散らされた。轟音と衝撃にのまれた俺の意識は、そこで途切れる……。
*****
気がつくと、俺は雪の大地に倒れていた。
フレアの姿がない。目に入るのは、数百の砲弾が撃ち込まれたような破壊の痕。黒く光る魔物の刺が、針山のように突き刺さっている。そのうちの一本が俺の肩を貫いて、地の上に縫いつけていた。
(まずはこれをどうにかしないと)
現状のままだと長くは持たない。寒さに凍えて力尽きるか、魔物に喰われるのを待つだけだ。
真下の地面を土操作で掘り起こす。体を横に倒してから、身長ほどの長さがある刺を引き抜いた。すぐに止血しないと命に関わる。流れる血の量が、肩に空いた傷の深さを示していた。
(傷口を焼くのはなしだ。その場合、二度と腕が使えなくなるかもしれない)
そうしたところで、うまくいく保証はない。俺の魔法で治せる傷は、せいぜい薄皮程度のものだろう。
【黄金の装具】で、貫通した肩の穴を塞ぎきる。『永久貯蔵魔石』無しでも覆うことができる最小限の面積だ。ジワジワと脈打つような痛みが走る。あくまでも応急処置。いずれ限界がくることに変わりはない。
この場に留まり続けるのは時間の無駄だ。俺は、力の入らない体を引きずるようにして足を動かす。
(フレアは?戦っていた魔物はどこに消えたんだ?)
何かおかしい。霧のように舞う雪粒の中に影を見つける。フレアよりも小柄な体つき、肩幅の狭いシルエットで誰かわかった。
まさか……そんなことはあり得ない。
「……エドワーズ?あなたなの?」
(なんでソフィアがこんなところに!)
「気づいたらここにいたのよ。動かずに待っていたら、あなたが来て――」
血に染まる俺の両腕を目にした瞬間、ソフィアは青ざめた表情をして息をのむ。
「怪我をしているの?尋常じゃない血の量よ!」
「そこまで酷いものじゃない。今のところは大丈夫だ」
「そんなわけないでしょう。黙って、大人しく傷を見せなさい」
有無を言わさぬ圧を感じた。仕方なくされるがままにする。
ソフィアのことは、かなり離れた場所に置いてきた筈。身に纏わせた【黄金の装具】は本物だ。魔力探知が利かない中で、周囲の状況に目を凝らす。
(……空間が捻れている?ダンジョン化の影響か)
それは今も進行していた。環境を作り替える際、そういうことが起こり得る。要因は、双刀の腕を持つ魔物。蝿の王が放つ魔力は異質なものだった。短い時間で辺りの侵食が進んでいる。
(ソフィアは、空間の裂け目に呑まれてここに来た。だからといって、もう一度同じ場所を通すわけにはいかない)
無事に戻れる保証はないからだ。そのような危険を冒すわけにはいかない。
ソフィアは、自身の髪と衣服に血が付くのを構わず、俺の傷の具合を見ていた。いつものような余裕がない。まるで自らが負傷しているかのように、表情を歪めていた。
「ひどい状態よ。ここではどうにもならないわ。
王都に戻れば誰かいるはず。すぐに治療を受けないと――」
「ダメだ。俺たちの役目はまだ終わってない」
「死んでしまうかもしれないわ!立っているのがやっとでしょう?」
「失敗すれば、次の機会は二度とない。ソフィアもわかっているだろう?俺よりも頭が良いからな」
「……ええ、そうね。私はあなたよりも賢いわ。だから止めようとしてるのよ。どう見ても無謀な行為だから」
俺は重傷で、まともに戦うことは難しい。フレアの方は、近くに現れた空間の裂け目に呑まれた可能性があった。無事かどうかもわからない。
「これ以上は無理よ。あなたを失うことになるかもしれないわ」
「そうはならない。俺も考え無しってわけじゃないからな。ここで引き下がるつもりはないぞ」
暫くして、ソフィアが先に目を逸らす。
「……私が何を言っても聞く気はないのね?」
「その通り。だから手伝ってくれると助かる。
まずは俺の腕に付いた装備を外してくれないか?」
ソフィアに頼んで、『反射の籠手』の留め具を外してもらう。地面に落ちた装備から、収納された魔鋼糸を引っ張り出した。魔力操作で、意図した形に編んでいく。
他に必要となる物。地に突き刺さる刺の奥、落ちている場所は大体見当がつく。前と同じ方法で見つけることができた。魔力の供給は絶たれているが、その形が今すぐに崩れだすことはないだろう。
「エドワーズ」
「……?」
「あなたが死んだら、私も死ぬわ」
「このタイミングで言い出すことか?」
「リーゼも後を追うかもしれないわね。残されたティアは……立ち直れないほどに深く悲しむはずよ。
だから何がなんでも無事に終わらせて」
ソフィアが腕を伸ばす。柔らかな両の手が、俺の頬を包み込んだ。引き寄せられた額に、唇がそっと触れる。驚く俺に対して、ソフィアは「まじないのようなものよ」と口にした。
「効果のほどは実証済みよ。誰と言わなくてもわかるでしょう?」
「確かに(どうせフレアのことだろう)。加護のような力を貰った気分だ」
「私にできることはこれだけ。約束を違えることは許さないわ」
「仰せのままに。俺は嘘をつかない人間だからね」
「私よりも歳は若いはずなのに。底が見えない不思議な人。ローレン様があなたを選んだ本当の理由、それが分かった気がするわ」
白く染まる世界の中、色を垂らしたような気配を感じ取る。蝿の王は遠くない場所にいた。俺を呼んでいるらしい。なら、その誘いを受けるとしよう。本当の目的はその先にある
「もうすぐ会えるな」




