1、双刀の狩人①
遡ること少し前。場所は『白夜の森』、東部入り口付近。
背後にある王都側。今はその空の上を古代魔導具の結界が覆っていた。緊急時の拡張機能は問題なく作動している。それが続くのも王都との境目辺りまで。
俺たちが進む先。東部に広がる森の奥までは届かない。魔物の排除は一切望めなかった。魔物が持つ最大の脅威は数であり、そこに飛び込もうとするのは無謀な行為に等しい。
……通常ならそうだろう。しかし、現在『白夜の森』は異様な静けさに包まれている。
「本当にこのまま進んで平気なのか?」
「ああ。この先にいるのは確実に一体だけだ。小型の魔物、その他の超特殊個体も寄りつかない」
「多数の魔物たちに囲まれる」――フレアが懸念することは起こらない。わざわざ死を選ぶ者はいないからだ。本能的に背を向け逃げ出す。それは魔物も同じこと。
俺たちは今まさに、張り巡らされた蜘蛛の巣の縁に立っているのだ。
「危険と分かってる場所に、自分から飛び込みにいく間抜けはいないだろう?」
「あら?ここにいるじゃない。魔物の餌になりそうな、生きた人間が三人も」
「……笑えない冗談はよしてくれ」
「ここにはあなたとフレアがいるのよ?気にすることはないわ」
ソフィアに戦う能力はない。だが、古代魔導具を起動させるためには、オストレリアの王族の正統な血筋が必要だ。
「最も危険な場所に赴くのは自分の役目」――ソフィアは決して譲らなかった。叔母のリズ・オストレリアは年齢的に難しい。妹のイルシアも論外だ。
国を治める頭を二度も失わせるわけにはいかない。無論、ソフィアに関しても死なせるつもりは毛頭ないが。王都に向かうよりも遥かに危険だと断言できる。
(おそらく、リーゼたちに現れるのは黒騎士だろう。
俺が一緒についていなくても、今の二人の実力ならどうにかなる相手だ)
確信があった。万が一にも最悪の事態は起こり得ないと。
「(問題は俺たちの方だろうな)」
「……ドワーズ、エドワーズ!聞いているのか?」
「いや、まったく聞いていなかったけど?」
「お前というやつは……!
気づいているだろう?これほどおぞましい気配を感じたのは初めてだ」
「私には分からないわね。どうなのかしら?」
ソフィアは魔力探知ができない。肌に感じるのは凍えるような寒さだけ。
森の中は、幹と枝だけになった木が間を開けて立っている。つまり、身を隠せるような場所はほとんど無かった。積もった雪の上には足跡ひとつない。それでも魔物がいた痕跡は残されている。
「雪の下に残る魔力の残滓……か。確かにこいつは凄まじいな」
「今まで戦ってきた中で一番の大物だぞ。討伐に成功すれば、私の輝かしい戦歴を彩ることは間違いない!」
「……フレアがアホで助かったよ。これを目の当たりにしても平気でいられるからな」
「どういうことなの?」
ソフィアは首をかしげる。この状況下において、平静を保つことができる者は極めて稀だ。
リーゼ、ティアの二人にもそれは当てはまる。
「悪臭と変わらない。魔物の魔力が体液のように振り撒かれている。まるでマーキングだ」
暗がり山の悪魔の死蛾、二ディスの沼地の水の支配者、他の超特殊個体種とは比較にもならない。おぞましい感覚が全身を支配する。首元に刃を当てられているようだ。
気を抜けば、目に見えない恐怖にのまれてしまうだろう。
「私たちの存在は気づかれているかしら?」
「こうして普通に歩けているところを見ると、まだだろうな。見つかっていたら、今頃この辺り一帯がまとめて切り刻まれている筈だ」
『聖木』を切り倒す際に使われた長射程の斬撃。あれが飛んできたら防ぐ手立てはない。【黄金の装具】でも無理な話だろう。かつての力を発揮できれば話は別だが。
今現在、当てにできなければ意味がなかった。
「この世の時を止めたように静かな場所ね」
「みんな逃げ出したのさ。魔物も他の生き物も。このまま進めば、じきにそうも言っていられなくなる」
「何が来ようと、我々の成すべきことに変わりはない。未だ敗北を知らない私の剣で叩き斬ってくれるっ!」
「……前言撤回。うるさいのがここに一人いたわね」
「一方的に腹を切られているのにな。大した自信だよ」
「面と向かって戦えば勝てる!」――フレアの声は自信に満ちていた。望みを持てる相手であれば、それに越したことはない。この計画に退路はなかった。失敗すれば命を落とす。この場にいる全員が、そのことをよく理解していた。
「目的の場所まではどれくらいだ?」
「もう半分以上来ているわ。私の足でも一時間かからない距離よ」
フレアに抱えられたソフィアが答える。特に何も変化はない、静けさに包まれた森の中。己の直感が「今すぐに足を止めろ」と告げている。
「フレア、一旦止まれ」
「どうかしたのか?」
「説明できない。少し考える時間をくれ」
辺りに残された魔物の痕跡、それが不自然に多すぎた。空気中に魔力は含まれておらず、澄んでいる。ファラウブムの近くでさえ、僅かな濁りが見られたというのに。自然の魔力が食い尽くされた結果、ここでは他よりも魔力探知が利きすぎる。
真っ白に染まる雪の大地に目を向けた。自らの狩り場を主張する魔物の痕跡。実際は他の目的で振り撒かれているものだとしたら?
「どうやらまずい事態みたいね?」
「まさしくその通りだよ」
突如、足下に広がる雪の層が舞い上がる。辺りは瞬く間に氷雪の嵐と化した。視界が遮られ、方向の感覚が完全に失われる。
――魔力を含んだ吹雪を目にしたら、その場所は必ず避けて通りなさい。そうしなければ命はないそうよ?
以前、ソフィアを通じて老将軍から受けた警告を思い出す。今まさにその只中にいた。判断を誤れば全てが終わる。吹雪の中を無策で駆け抜ける行為はもってのほかだ。
なら、取れる選択肢はひとつしかない。
「フレア。ソフィアを今すぐに降ろしてくれ」
「なに?そんなことをしたら……ソフィア様をより一層危険な目に遭わせることにならないか?」
「そのまま放っておけばね。心配ない、ちゃんと考えはある」
「もう十分危機的状況に陥っているわ。いいから言われた通りにしなさい。時間がないのよ」
フレアは悩む素振りを見せていたが、結局渋々ながら主の指示に従った。
俺は、片腕を伸ばしてすぐ近くの地面に触れる。
「付加魔法、【黄金の装具】」
付加する対象は足下の狭い範囲。『永久貯蔵魔石』から引き出した魔力を操作して成型していく。非常に強固な即席の隠れ穴が完成した。念のため内に段差も付けておく。
これなら小柄なソフィアでも、地上まで自力で上がってくることが出来るだろう。
「ソフィアを置いて、この場所からできるだけ遠くに離れるぞ。それで魔物の意識を俺たちの方に引きつけられる」
ソフィアの身の安全を第一に優先させるためだ。
俺とフレアは囮になるが、そうなることをむしろ望んでいる。
「エドワーズに無茶な真似はさせないように。
――フレア、分かっているわね?」
「俺が面倒を見られる側なのか?」
「あなたに何かあれば、リーゼとティアに対して申しわけが立たないわ。王国が誇るフレアを貸し出してあげるのよ?
だから無事に帰ってきて」
ソフィアを置いて二手に別れた。フレアと共に、互いの位置を見失わないようにしながら、氷雪の嵐の中を突き進む。
吹き荒れる風、肌を叩きつける雪の粒。一寸先も見えない視界。先ほどから魔力探知が機能しなくなっている。
フレアは【闘剣魔気】を身に纏った。巨大化した魔力剣を突き出して、進む先の道を強引に切り開いていく。おかげで速度が緩まることはない。
十分も経たずに、ソフィアのいる場所から数キロほど離れた地点にたどり着いた。
「前に話した計画のことは、覚えているよな?」
「ああ。しかし、どうするつもりだ?
奇襲を受けたこの状況から、うまく事を運べるとは思えないぞ?」
「概ね想定内だから問題ない。ここは魔力溜まりの中と似たような環境だからな。向こうも、俺たちのいる位置を正確に掴むことは出来ないだろう。
だから必ず目の前に姿を現す」
吹き荒れる吹雪は、俺たちを狩り場の中から逃がさないためにある。他に動きが見られない以上、こちらは動かず待ち構えていればいい。
「攻撃の要はフレアだ。頼りにしているぞ?」
「フフンッ!任せておけ。この私に倒せない相手などいないからな。ハーハッハッハッ!!」
現時点で『永久貯蔵魔石』の中身はすでに空。この戦いで【虹の魔法】を使用するには、それなりの対価を払うことになる。一度や二度ではおそらく済まない。出来るだけ早期の段階で決着をつける必要があった。
「おい!エドワーズ」
「今度はしっかり聞いてるよ」
「お前の眼のことだ。片方だけ何か……模様のようなものが浮かんできているぞ?」
言われて気づく。右側の瞳に映る聖痕のことだろう。自分の意思とは無関係に表に出ていた。引っ込めようと試みるが制御が利かない。
更に、熱した鉄棒を直に当てたような痛みが走る。
「グッ……!(なんだ?いったい何が起きたんだ?)」
思わず膝をつく。近くにいるフレアの口元は動いているが、声はこちらまで届かない。霞む視界の中から、僅かでも周囲の情報を得ようとする。
氷雪が吹き荒れる景色の向こう。巨大な黒い影が立つ姿を目にした。やがてその全貌が徐々に見えてくる。両椀の肘から先に付く断頭刃。双刀を掲げた異形の魔物が、空気を震わす叫びを上げて狩りの始まりを合図した。




