1、プロローグ
『異世界転生』。
それは、誰もが一度は夢に見るであろう……うん?誰もが?
ともかく不特定多数の者たちが、それぞれの夢の中で思い描く、理想の楽園。
別に妄想するだけならいくらでもタダだし、それに関して他人から、とやかく言われる筋合いなどない。
人類の三大欲求である、食欲、睡眠欲、性欲。
そこにあと一つだけ、付け加えられるとするならば、俺は是が非でも異世界転生願望というものを進言してみたいものだね。
無論、ただの転生では意味がない。
異世界という素ン晴らしいっ!……ワードが入ってこそ、その言葉は俺にとって初めて価値のあるものへと変わるのだ。
現在高校生である俺は、盛りがついたばかりの青少年である。
学校に通い、勉学を学び、性の文学というものを学び、順風満帆な普通の日常生活を謳歌させてもらっているつもりだ。
顔はフツメン。肌は色白。
女性経験は一切なく、彼女もいない。
この歳になるまで、自らの童貞を護り続けている
――言わば神に選ばれし、清らかな聖職者だ。
友人はいるので一応ボッチではないが、親友と呼べるほどの身近な間柄の奴は存在しない。
変に目立ちもせず、騒ぎもせず、慎ましやかに生きさせてもらっている。
両親に関してはもういない。既に死んでしまっている。
俺が八歳の時に交通事故で。
二人とも共に命を落としてしまったのだ。
かなり悲惨な事故だったらしい。
休日に家族全員で仲良く買い物に出掛け、海沿いのガードレールを突き破り、乗っていた車体ごと、真っ暗闇の海の中に転落したそうだ。
事故の原因はスピードの出し過ぎと脇見運転。
まぁ、いわゆる注意不足というやつである。
車なんぞ、運転したこともない俺には分からないが、そういう事故は起きるときには起きてしまう。そのようなものだと思う。
それが自分の運命だったのだと、開き直って諦めるしかないだろう。
幸いというべきか、事故の被害者は俺を含む、家族三人だけだった。
数時間後に通報を受けて駆けつけた救急隊によって落ちた車は救助され、現場で父と母の双方の死亡が確認された。
さて、ここでひとつ問題がある。
海中に沈んだ車の中に同乗していたはずの俺は、
いったいどうなってしまったのだろうか?
答えは簡単。俺だけ何故か別の世界に
――俗に言う、異世界転移をしてしまったのだ。
当時は訳も分からなかった。父の運転する車に乗っていた筈なのに、気づいたときには見知らぬ草原の真っ只中だ。
どこからか獣の……あとで知ったのだが、魔物の発する遠吠えが聞こえていたし、俺の命は文字通り風前の灯だった。
そう。あの時偶然、あの場所を通り掛かった、
最高位の魔術師としての称号を持つ、異世界チックな格好をした美少女に拾われるまでは。
そこからの俺の人生は、まさに今流行りの王道ファンタジーというやつだ。
命の恩人である師匠の元で魔法についての基礎から学び、一人前の使い手となり、やがては人族の歴史上では史上初となる魔術師最高位の称号を名乗ることを許された。
ぶっちゃけ世界最強!とまではいかないまでも、それに近い地位と力を手に入れた俺は、やがて異世界ファンタジー特有の世界の危機とやらに真っ向から直面することになる。
当時の俺は、まだ精神的な部分が歳相応に幼かったため、分かりやすい無謀な正義感が丸出しだった。
そのことが仇となり、様々な理由があって命の危機に晒されてしまった俺は、信頼していた師匠から元いた世界への強制送還を一方的に決められてしまう事となる。
「いいですか?よく聞いておきなさい。
今日から一年後。あちらの世界へ戻ったあなたのために、私が以前から研究しておいた古代転生召還魔法を発動させます。
あなたにかけられている例の呪いに関しては、恐らくそれで解除することができるでしょう。
――だから絶対、忘れないようにしっかりと覚えていないとダメですよ?
もしもあなたが全てを忘れてしまって、そのまま永久に私の元にまで帰ってこない……なんてことになったら、きっと一生死ぬまで恨み続けてやりますから……」
「約束ですよ?」――俺と別れる最後の瞬間、師匠は綺麗に整った自分の顔をクシャクシャに歪めながら、子供のように感情的になって泣いていた。
俺も一緒になって泣いた。とにかく、馬鹿みたいに泣いていた。
異世界に迷い込んだ子供の俺を保護し、一人前の魔術師として育て上げてくれた、命の恩人。
「いつか、彼女に対して恩返しをしよう」――その決意と共に、俺は十四歳となったあの日の瞬間、偶然訪れた異世界の地を去ることになったのだ。
そして、あれから早数年後。
理由は分からないが、何故か元の世界にまで帰ってきた俺に対して、未だに敬愛すべき師匠からの転生魔法とやらを利用したお呼び出しが掛からない。
――いったい何故!?
「はぁ……」
今日も今日とて、いつもと変わらず。
俺は誰もいない路地裏の通りを、テンションだだ下がりの気分で普段通りに歩いている。
最近は色々と暇すぎて、適当な自作のポエムを音読しながら、自らの住んでいる町内を歩き回っていたくらいだ。
先ほど、俺は「慎ましやかに生きさせてもらっている」などと話していたが、あれは嘘だ。
人間、誰にだって開放的になりたい瞬間はある。
もしも家の近所で不審者が出たと通報が入れば、きっと俺のことだろう。
ここ数年で俺という人間は、完全にダメ人間へと退化してしまっていた。
かつてあの異世界で英雄と呼ばれていた面影など、
もう微塵も残っちゃいない。
これが悟り。いや、真理というものだろうか。
もしかしたら俺という存在は、
異世界にいる師匠から、見捨てられてしまったのかもしれない。
わざわざ転生なんてさせてまで、こんなダメ人間を異世界に呼び出す価値が、本当にあるのだろうか?
いや、ないだろう。そんなの誰にだって、簡単に理解できることだ。
自分自身でも、あまりの情けなさに涙が出てくるね。
俺のことをまるで本当の弟のように、本心から可愛がってくれていた師匠。
彼女は、今頃どうしているのだろうか?
まさかあの頃の純粋無垢な心を持った少年が、
こんな頭のおかしな奴に成長してしまっているとは、夢にも思うまい。
などと、俺が卑屈な想いで自らの置かれた境遇について、本気で嘆いていたその時。
俺の進行方向に見えていた道路の真上に、懐かしさを覚える淡い光の輝きと、複雑な円形の形をした模様が浮かび上がってくる。
「おいおい、いきなりかよ!」
突然の出来事に驚きつつも、俺は待ってましたとばかりに躊躇なく、目の前に現れた魔法陣の上へと飛び乗った。
どうやら師匠は俺という不出来な弟子の存在を、見捨ててはいなかったらしい。
異世界に行くのは二度目になるが、転生となると初めての体験だ。
緊張はあるが、不思議と恐怖はない。
何故なら俺の師匠が持つ辞書に、失敗という言葉は書かれていないからだ。
やはり、転生するなら赤ん坊の頃からなのだろうか?
それならそれで、最初は色々と面倒事や不自由がありそうだな。
良いことといえば、合法的に自分の母親のアレ(つまり世の中の男たちの夢が詰まっているアレだ)を、堂々と人前でも吸えることだけか。
美人さんなら別に問題ないが、辺境に住み着いているようなモンスター顔の母親だと困る。
流石の俺でも、いざという時には躊躇してしまいそうだ。
できればだが、俺がよく知る師匠のように、
顔のパーツが綺麗に整っている女性を、是非とも希望したいものだね。グヘヘ。
そんな邪な願いと共に、
俺の意識は一瞬でブラックアウト――。