第36話 春の名残
今日はやけに暑かった。
年を越す毎に失われていく四季はもう夏に差し掛かるのかと。梅雨を前にして少女は思う。
季節を想えばあれから二ヶ月も過ぎ去ったのだと気づいた。春の桜に雪が積もったような色合いの衣服を纏う少女は、あの日から時間の進む速度を早く感じている。
世界、というものを少女が知ったのはそれからすぐのことだった。それは少女が望んだからこその経験。
同盟を結ぶと発言したのは紛れもなく彼女の意志だった。
「ようこそお越しくださいました。望眞幸様、会えて光栄でございます」
そう言ったのは高級車から降りてくる少女を出迎えた一人の男。訪れたこの場所では彼女から同盟を結びたいと一報入れた各国家の首脳が集まる予定だ。
広く高い丘の上、その人口的に造られた大自然の中に建てられたこの場所。外は白い建材を中心に構成され、小さな水の都をコンセプトとした造りになっている。
明日に控え一足先にここを訪れた少女は、誰よりも信頼する黒スーツに身を包んだ青年に手を引かれて車を出た。
「ここは――素敵な場所ですね」
「ええ、歴史に名を残すに相応しい場所と自負しておりますので……ささ、どうぞこちらへ」
オーナーの男は笑みを浮かべながらそう言って少女のことを手招きした。先へと進むと丁寧に一礼する人々が出迎えてくれる。
彼女らはここで雑務を熟すアンドロイドのようだ。
日は沈み空の端っこが紫がかってきた。
各所に置かれた草木の周辺はライトアップされ、この場所の美しさをより引き立てている。
流れる水の中にも灯りがともり、ゆっくりと歩きながら景色を堪能した。
ふと、虫の音が耳に入り少女が言う。
「今日は夏かと思うぐらいに暑かったですし、蝉が勘違いして出てきちゃったんでしょうかね」
「……鈴虫だな」
「えっ――?」
「鈴虫だ」
「……ええ、まあ……良く聞けば鈴虫だってわかりましたけどね」
ソウに困惑されながら指摘され、少女は良く聞いていなかっただけと言い訳をした。
沈黙が続く。少女はそっぽを向いていた。
当然そのやり取りはここのオーナーにも聞かれていて、同じように困惑した様子でソウに耳打ちする。
「あの、暑さでやられてしまったのでしょうか?」
「そうかもしれないな」
「っ……!? 救護! 救護を……!」
「いや、冗談だよ。天才というのはなんとやらだ」
「え? ああ、なるほど。常人には理解できない境地なんですね、変わってらっしゃる……」
「ただ間違えただけでいいじゃないですかっ……!? 少しのミスぐらい見逃してくださ――」
そのやり取りに我慢ならなかったのか少女は声を荒げてしまう。途中でしまったと思い、口を閉じるとニコっと苦笑いをして誤魔化そうとした。
流石に無理かと思っても。
「……どうやら私が想像していたよりもはるかに、あなたは親しみやすく愛嬌がある方、のようですね」
そう好意的に解釈したオーナーは娘を見守るような暖かな笑みを浮かべていた。顔を少し赤くした少女は空が暗くなっていて良かったと思いながら建物の中へと入る。
そこはおとぎ話か何かで見かけた舞踏会が開かれるお城のようだと、彼女の瞳には映った。
大きなシャンデリアが照らし出すこの空間は、まるで黄金に輝いているようだ。
「……綺麗――」
無意識にこぼれ落ちたその言葉を聞いてオーナーはこれ以上になく嬉しそうにしている。
「そうでしょう? ですが満足するのはまだ早いですよ」
広々とした幾つもの部屋を案内される少女は何処へ連れて行かれても楽しそうな反応を見せていた。
一通り案内をされた後には客室へ。
テーマパークの帰りのように少女の足は疲れ始めていた。
廊下の赤い絨毯に暗い木材と白の建材のコントラストに見とれながら、上京したばかりの田舎娘のようにくるりと回って至る所を隅々まで確認していく。
案内された部屋に入るとオーナーは夕食の準備に取りかかると去って行った。
二人だけの時間、これで一息つくことができる。
真っ先にベッドに飛び込んだ少女は枕を抱きしめて今日の出来事を思い返した。
廊下の色合いと同じで落ち着いた雰囲気の一室にはシングルベッドが二つ。柔らかいソファと机に木製の椅子が置かれ、そこには茶菓子なども。
古き良き時代を再現した趣のある場所だとソウは思った。対して少女は自分の育った世界に限りなく近いこの場所に懐かしさと安心感を覚えている。
彼女にとってこの世界は思っていたよりもキラキラとしていた。それも、目が眩んでしまうほどに。
「君の考えを資料としてまとめておいたんだが、あの名称は自分で考えたのか?」
少女の手荷物を運んだソウは明日に備えて資料の確認を行っていた。既に各首脳補佐にデータを送信済みでミスがないことも確認してある。
その上で個人的に気になったことを久しぶりにゆっくりできるこの時間で尋ねた。
「これからずっと残ることだって思ったので、決めるのにかなり時間が掛かっちゃいました」
欠伸をしてからふわふわとそう語る少女は体の向きを変えて横になったままソウを見る。パタパタと足を動かしてすっかりリラックスモードに。
「M.Y.T.H.同盟、君はこれにどんな意味を込めたんだ?」
それを問われると少女の足は止まった。
枕に顔を埋めるようにして、考えてから口にする。
「同盟である以上は文化が違いますし、人種も違う。私たちは幸いに同じ言語を喋ることができますから、その利を活かしてまずは互いに知っていく必要があると思うんです」
「それは同盟を組むのに最も必要なことだな」
「はい……それぞれに歴史があり、思想がある。それによって争いが生まれてしまうのなら、まずはそれを正すのが私の役目なんだと……」
「難しい話だ」
「……難しい話です。このままでは二大国家の思うがままに争いは続いていく……それを止める為にも、私たちは一つにならなければなりません」
自分で考え出した結論。それを少女は忌むべきことだと理解している。綺麗事では何も為せない。だからせめて、自らの意志で汚れを受け入れるべきだと。
「共通の敵を作る。それがバラバラになった人々を束ねる最適な方法だと、歴史が証明しています。場当たり的でも、確かに時間を稼ぐことはできます」
「確かに、それなら三すくみも成立するだろう。連邦も、共和国も、望眞幸という存在を理解しているのなら迂闊に手は出せない。そもそも、その二大国家同士が疑心暗鬼になるだろうな……先に手を出してしまえば、次の金脈になるのは自国だと」
「……均衡は長くは持たないとも歴史が証明してます。それまでに、なんとか――」
「――好晴。この話は終わりにしよう。俺から聞いてなんだが……あまり気負うな」
語るほどに少女は思い詰めるようになっていた。
枕を握る拳にも力が入って焦るように。
その名前を呼ばれると少女は止まった。
思えばずっと考え事ばかりしていたのだから、ちゃんと今だけは休まなければと。
彼の優しさに甘え、いつもの調子を思い出す。
「もう、プライベートだからといってその名前で呼ぶのは控えてくださいね? いざという時に咄嗟に間違えちゃったらどうするんですか? 普段から気をつけてそのお口に馴染ませておいてください」
「いや――すまない……ついな」
頭を掻いて謝罪するソウを微笑みながら眺めた。
「愛されてるなぁ……わたしは――」
彼には聞えないように静かに呟いて、少女はそっと瞳を閉じる。
「眠るなら俺からオーナーにでも伝えておこうか?」
「いいえ、ソウさんとご飯が食べたいです」
「……そうか。なら、それまでは仮眠するといい。時間になったらぐずっても連れて行くよ」
「むう……それは意地が悪いのでは?」
「君の願いを叶える為だからな、やむを得ないさ」
冗談を言いながら立ち上がったソウは少女のいるベッドに腰掛けた。
そして優しく頭を撫でる。
「おやすみ、好晴――」
反応はない。
彼女はもう、眠りについていた。




