第25話 フィロソフィーウィルス
スエンの言葉の通りに道は一本だけだった。
好晴から装置の入ったケースを受け取り先行するソウは非常用階段へ。続いて好晴もその階段をひたすら降りる。
好晴が息切れし始めた頃でようやくタワーの中層辺り。そこから廊下へ出れば良いと知らせるように、途中でシャッターが下ろされて封鎖された。
「もうすぐ君の母親がいる場所につく、頑張れるか?」
「へっ――はい、でもちょっとだけ……休憩を……」
ヘルメットを外して床に置くと膝に手を突きながらそう返答する。好晴は息を整えようと深い呼吸を繰り返した。いま二人がいる場所は世界システム七号機が置かれている大きな部屋へと繋がる渡り廊下の手前。
この先へ進めば、望眞幸に会うことができるだろう。好晴がヘルメットを置き忘れるのではと思い、ソウはそれを手に取った。暫くは空気をしっかり吸わせておくべきだろうと。
「気持ち、良さげな感じかもです」
「ここからは歩いて行こう。君のペースで良い」
ヘリポートで確認したユティのホログラムから大体のタイムスケジュールを割り出し、それぐらいは許容範囲だと判断を下した。
そうして好晴と共に渡り廊下を進んでいき、閉じられていた扉の前に立つ。赤いランプが点滅している。ソウが扉に触れても当然に開きはしない。暫くして扉の上に備えられたスピーカーから声がした。
『ようこそ、過去の世界へ――なんてね、ちょっと言ってみたかっただけさ。まあ入りたまえよ、歓迎する』
言葉の終わりにブザーが鳴ると扉が開かれた。
大部屋に入り、二度目だというのにそれでも世界システム七号機の気迫に二人は圧倒される。
『右の部屋だ――』
そう言われるがままに右を向けば確かに扉があり、その隙間が光の線で見えやすくなった。
黒一色の部屋で更には世界システム七号機がある以上、その存在に気づくことは難しい。
開かれたその先へと向かえば、ずぼらな私生活が透けて見えるような一室が。その手の学者のテンプレートのような部屋では、小柄な少女が白衣に着られて待っている。
回転する椅子に座ってくるりと回るとその顔がよく見えた。
「っ――!」
好晴は目の前の人物を見て言葉を失った。
その人は自分と瓜二つだった。それでも鏡を見ているようだとは思えなかった。
不思議な感覚を抱いていた。それは恐怖ではない。
嬉しいわけでもない。感動したわけでもない。
ただ自分という存在が塗り替えられていくような、そんな感覚に襲われていた。
「望眞幸、で間違いはないか?」
「愚問だよ」
横目で好晴の様子を伺ったが、彼女はずっと固まったままだった。胸に手を当てたままに、そこから何も読み取ることのできない表情をして。
「好晴……?」
きっと喜ぶのだろうとソウはずっと思っていたが、そうじゃなかった。だから今の心境を知りたくて、心配に思ってその名を呼ぶ。
「要件はなんだい? 時間がないなら結論からでも構わない」
やはり、好晴は何も答えない。
望眞幸からの問いにはソウが答えた。
彼女の言うとおりに今は優先するべき事がある。
「君は直に――殺される。この場にいては危険だ。君の死後には、恐らく世界システム七号機も破壊されるだろう」
一瞬その事実を語るのに躊躇ったのは好晴に気を遣ってのこと。肝心の好晴は何も反応を示さない。
「なるほどな。君はそれを観測したのかい?」
「ああ、確かに血だまりの上で倒れているのを確認した」
「なら未来ではどのように情報が広まっていた?」
「世界システム七号機が破壊され、望眞幸は失踪したと」
「ふむ、なら結論から言おう――」
そう言った彼女は立ち上がり、何も動じることのないまま告げた。
「聞いた限りでは、私の死も、世界システム七号機の破壊も回避できない」
「何故だ? まだ間に合うはずだ、猶予は――」
「――織り込み済みだと、君は二度も過去へ来て、一度たりとも思わなかったのかい?」
「っ……!?」
言い返す言葉なんてありはしない。
ずっと目を逸らしていた事実を、まさか望眞幸本人が口にするとは思いもよらずソウは戸惑ってしまう。
「君は時間を題材にした物語をどれほど知っている? サイエンス・フィクションの定番を様々な形で展開した作品群は、その数だけ我々の中に固定化された概念を植え付けた」
近くの棚を見てそこに綺麗に並べられた作品たちをなぞった後、主題となっている要素を挙げる毎に指を折った。
「タイムパラドックス、バタフライ効果、歴史の修正力――」
望眞幸の手元へと向けられたソウの視線はポケットの中に隠されると共に彼女の顔へと自然に誘導される。
「その数だけ思想があり、信者がいて、何一つ答えが決まらず時間という概念は曖昧なままに、空想の域をでることはなかった。無法地帯だったんだよ、定まっていないのが常識だった」
「なら、君はその時間という概念に法を定めたのか?」
「世界システム計画、それを公表した後に私が時間に対して条約を適用したのは知っているかい?」
それは作戦開始前の顔合わせの際にユティも言っていた。その手の関係者の中では一つの常識となっている。
「勿論、知ってはいるさ」
「私が時間にまで条約を適用させたのは抑止の為ではない。過去へと戻ることが可能である、あれはただそれに気づかせる為だけのパフォーマンスに過ぎなかった」
「それに、何の意味が……?」
「無意識のうちに一つの固定概念を植え付ける為だよ。過去へと戻るということは、時間を遡るということだ。つまりそれは一本の道に過ぎない、録画された映像のようにね。再生すれば知っている歴史が繰り返されるだけ。つまり、タイムパラドックスは起こりえないのだと」
またその事実を突きつけられ、思わずソウは反論してしまう。
「だが、それは君の語った幾つもある思想の一つにすぎないはずだ。何故そうだと断定できる?」
「私の論じたそれぞれの思想には共通する概念があるんだ」
「……なんだって言うんだ?」
「タイムパラドックスを起こすにはどうすればいい? 正確に答えてくれ」
問いを投げれば問いを返され、答えるしかないのだとソウは彼女の望むがままに口にする。
「過去へと戻って自分が産まれる前の両親を殺してしまえば、未来で自分が産まれたという事実が消えてなくなってしまう。それによって矛盾が生じ、タイムパラドックスは発生する」
「ならバタフライ効果は?」
これから全てに対して答えねばならないのだろうと悟ったソウは観念して考えを巡らせた。
「例えば現在で恋人が死んでしまったとする。それを回避するために過去へと戻り、恋人の身に起きる危機を小さなことでも阻止した結果、それらが積み重なることによって災害などの大きな悲劇へと繋がってしまう。それがバタフライ効果だ」
「次は歴史の修正力について――」
「どう足掻こうとも歴史は決まっている、その証明となる結論ありきの現象。今まさにこの状況のことだ。全ては織り込み済みだった……認めたくはないが」
「それで、それらの共通点はなんだ?」
そこまで望眞幸の言いなりになったソウは、彼女が心待ちにしている回答を告げた。
「……前提として、過去へ戻る必要がある。そもそも、これらの現象は過去に干渉しなければ成立しない」
「最後に、私の言葉を思い出してみたまえ。過去へと戻るということは?」
「だからなんだと言うんだ? 結局は同じで――」
「――固有世界観だよ。人類は秘密裏に何度も過去へと戻って思い知らされたんだ、今の君のようにね。そしてそれが情報操作や思想の浄化、哲学の規制がトドメとなり世界の常識となってしまった。事実目の前で起きたことによって、その常識は人から人へと感染する」
「……フィロソフィーウィルスか」
言葉を遮るようにして望眞幸はそう言った。
それでもソウは振り絞るように残された疑問をぶつける。もはや彼女の手の平の上だと理解していても、そうするしかなかった。
「それでも可能性は三つもあったはずだ。どうして歴史の修正力だけが初めに働いたと言い切れるんだ? 納得のいく説明がない限りは方便としか思えない。まさか君が決めたのか? 神にでもなったつもりか?」
最後の一言を耳にした彼女は、感情を隠しきれずに笑みを見せる。何かを言いたくて仕方のない様子で遂には歯を見せて可憐に笑った。
「知りたいかい? でも簡単に教えるつもりはない、ヒントをやろう――」
「――そんな時間は無い――」
「――まあ落ち着きたまえよ。そこにいる恵好晴という名の、私と見た目だけはよく似ている少女こそが、君の求める答えに繋がる」
「っ――好晴が……? どういうことだ」
「えっ――わたし? が、どうかしたんですかっ……!?」
名前を呼ばれたことで何処かへ飛んでいた魂が戻ってきたかのように、好晴は普段の調子で落ち着きなくそう言った。




