わたくしのメイドさんは変わっています
「鏡よ鏡よ鏡さん。世界でもっとも美しいのは、どなたですの?」
映し出された、わたくしの姿を確認します。
金髪の縦ロール。細いまゆ毛、くるんと曲がったまつ毛。つり上がった青い目。その周りは唇同様ほんのりと紅いお化粧をほどこしてあります。
いつ見ても素晴らしいですわよ。
……ですが。
瞳は血管が目立ち、髪の毛とお肌はかさついてしまっていました。
鏡から幼い声がしました。
「はい! それはアデライードお嬢様でございます!」
お部屋全体が揺れたように感じました。
口に人差し指を当てて小声を出します。
「このおバカ。今何時だと思っていますの?」
「これくらいの大きさでなければいけないと、いつもおっしゃっているではありませんか」
「それはみなさんがまだ起きている間だけでしょう!」
「……お嬢様も大きいじゃないですか」
笑われているように感じました。いえ、きっとそうに違いありません。ピクピク動く口をもみほぐして、ゆっくり喋りました。
「お黙り。口答えはゆるさなくってよ。お父様に言いつけて返品してもらいますわよ」
静かになりました。耳をすませば、すすり泣いているのがわかります。
「ど、どうか。それだけはご容赦ください……」
慌てて声をかけました。
「ちょっ、じょ、冗談ですわよ。悪かったですわ。お、落ち着いてくださいまし」
鏡の後ろから少女が現れました。
暖炉に照らされた彼女は震えています。手のひらを合わせていました。
それを優しくさわると、顔を少し上げて言ってきました。
「わ、私。これからもここにいていいのですか?」
前髪が長すぎるせいではっきりとはわかりませんけど、きれいな瞳をしているはずです。
ずれているカチューシャ、足首が隠れるほど長いエプロンドレスを整えてあげました。
「あ、ありがとうございます。お嬢様」
「メイドの身なりは主人であるわたくしの評判に繋がりますわ。気をつけなさい」
「申し訳ございません」
カーテンをめくると、空は少し明るくなっていました。あくびを手で隠しながらたずねます。
「それでこんな時間に起こしていったい何の用なんです? クララさん」
昨夜のことです。
彼女から夜明け前に大切なお話があると言われました。
普通でしたら、使用人の戯れ言などいちいち聞いていられません。
……ですが。
振り向いてクララさんに目をやりました。
わたくしの下で働かせてあげて、まだ日は浅いとはいえ素顔を一度も見たことがありません。
なぜなら彼女の顔は、包帯でぐるぐる巻きになっているからです。
商人のお話によると、数年前に事故で火傷を負ったそうです。
以来、ロウソクや暖炉といった熱を帯びる物には、痛くて近づけなくなったと聞きます。
それは太陽の光も同じこと。だから彼女は昼間はお部屋のすみで元気なくおすごしになります。活発になられるのは夜の間だけですわ。
お父様がお帰りになられたら、このことを話ます。そうすれば良いお薬が手に入るでしょう。
親指を噛みながらお庭を見下ろします。
わたくしはまだ当主ではありません。王様はもちろん格上の貴族にも、メイドのためのお願いなどできないのです。
クララさんの声が聞こえます。
「お嬢様、外へ出ませんか?」
長い赤髪と包帯でわかりません。しかし、明るく笑っていると思います。
イスに座り足を組み、あごに指を当てました。片方の手を暖炉に近づけて、あたたかさをさわります。
「あなたねぇ。傷のことはおかわいそうにと考えていますわよ。ですがまだ夜も明けていないのに、若い女が出歩くわけにはいけませんのよ」
そう言うと、帽子掛けにかけてあったコートを持ってきました。
「どうぞ。まだ冷えますから」
「いえですから、わたくしは眠いんですの」
「ぜひとも私の顔を見てほしいんです」
「――え?」
口に手を当て、ゆっくりと立ち上がります。
「お嬢様には大変よくしていただきました。だからこそ私が生きていられるのです」
大げさですわ。いえ本当のことですけど。
「今後もお嬢様の下で働かせてもらうためにも、素顔を見てほしいのです」
考えを改めるつもりはないようですね。メイドのくせに生意気ですわ。
しかし……嫌な気持ちではありません。
その時、暖炉のまきがはぜる音を立てました。なでられているみたいに心地よく、イスに座って天井を見ました。たくさんの羊が装飾されており、一匹ずつ数えていますと、目を閉じてしまいました。
ふと、クララさんのことを思い出し立ち上がりました。彼女は鏡の後ろに隠れています。
全くしょうがない子ね。
おびえた身体を優しく抱きしめてあげました。
――体温が全く感じられません。
「ちょっとあなた! 大丈夫なの!」
肩をつかんで、激しく揺らしてしまいました。具合の悪いかたに、これはあんまりでしょうに。
「だ、大丈夫です。お嬢様ご心配なく」
「何を言っていますの! すぐにお医者様を連れて来ますわ!」
間違いだとわかっているのに、まだ揺らすのをやめようとしません。このまま続ければ、もしかしたらあたたかくなるのではなくって。
その時、彼女の顔からふたつの赤い光がギロリと輝きました。
「ひっ!」
驚きのあまりクララさんを突き飛ばしてしまいました。小さな身体は、ドア横のクローゼットに激突。跳ね返って来たので、前かがみで受け止めました。
「ごめんなさい、ごめんなさい! お気を確かに。どうか死なないでくださいまし」
ああもう、最低ですわ。
本来であれば幸福を与えてあげなければいけないのに、不幸にしてどうなるのでしょう。
気づくと涙が流れていました。
クララさんはますます冷たくなったようです。
かくなる上は、お父様にお願いして平民に格下げしてもらうしかありませんわ。いえ、それよりもまず彼女のご家族に謝らなければいけません。どこにお住まいなのかわかりませんけど、必ず見つけなければ。
そしてしかるべき罰を受けるのです。
斬首ですか?
車輪ですか?
このアデライード、逃げも隠れもしませんわよ。
ああ、いつかお嬢様から女王様に進化したかったですけど、仕方ありませんわね。息絶えるまで大きな声で笑ってさしあげましょう、おーほっほっほ。
突然、ひざ枕で寝ていたクララさんは飛び上がりました。彼女の頭が、わたくしのあごを直撃したのです。
「んごふぉ!」
酔ったおじ様のような悲鳴を出し、ひっくり返りました。あごを押さえたまま、床を転がりまくってしまいました。
骨折したらどうしてくれるの。お父様に言いつけて、一日中逆立ちしてもらうわよ。
「大丈夫ですか?」
手を差しのべられました。それを取って言い返します。
「ふん。あなたこそお元気そうで何よりだわ」
コートを羽織ると、彼女はドアを開けて待っています。
横をむくと、クローゼットの中から何着ものドレスが飛び出していました。片づけるのは後でいいですね。
ランプを片手にわたくしはゆっくりと歩いています。
反対にクララさんはさっさと進んでいきます。灯りもなしに足をつまずかないのかしら。
風で音を立てる窓ガラス。規則正しく並べられている、いくつもの花瓶。異国から取り寄せた豪華な装飾を施されている絨毯。
昼間は何ともない廊下も、こんな時間だととんでもなく不気味です。あのバカメイド、幽霊に呪われでもしたらどうしてくれるの。
若い女がふたり、おバカなことをしています。こんなところ他の人には見せられませんわ。特に執事とメイド長はご高齢ですから、余計な心配はかけてはいけません。クララさんはともかく、わたくしはしっかりしなくてはいけないのです。
「さ、お嬢様早く。夜が明けてしまいます」
ランプに照らされた包帯が動いているみたいです。
――あ、あれ?
市場で買ったときは、たくさん人がいたせいで気づきませんでした。お屋敷に来たときもそう。昼間は薄暗いお部屋で床掃除。夜は活発に働いているようですが、わたくしは自室でお勉強。ですから彼女とはあまり会っていないのです。
だから、初めて、初めて、知ったのです。
クララさんに影がないことに。
「さあ、お嬢様。こちらです」
明るい声なのに、包帯のむこう側は笑っていないように思えました。