絡まる身体
ホテルの一室に麗音愛と美子は2人きり。
「美子……」
やっと見えた顔は哀しみと切なさに揺れて、涙が滲んでいる。
あんな食事だけで癒やされるわけはなかった。
「タケル……」
ボロボロと涙が溢れる。
物心ついた時から、自分は美子が淡い憧れの初恋だったと思うし
美子はずっと兄を想っていた。
麗音愛は
呪いの事や白夜団の事を知り
感謝の気持ちで淡い初恋に終わりを告げたが
美子は違うのだ。
子どもの頃の淡い恋心は、お互いが男と女になってより強く
激しく
恋い焦がれて苦しんでいた……。
それが決定的に終わりを告げた今
彼女の心はどれだけ深い闇にいるのか……。
「よし……こ……」
「タケル……」
美子が抱きしめてきた。
まるで剣に刺されたように、麗音愛の心も痛み、立ち尽くす。
「剣一さん、ごちそうさまでした」
「もう帰っちゃうの?」
「はい、もう23時だし……眠くなってきちゃったので寝ます」
「可愛いなぁ。おやすみ椿ちゃん」
玄関で剣一と椿が話し別れた。
剣一は食材を色々買ってきてくれて、煮魚やおひたし、味噌汁などサッと出来上がった。
剣五郎と3人で楽しく夕飯を食べたが
1人になると笑顔はすぐになくなり
ふぅっとため息をついて自分の部屋へ戻る。
麗音愛は用事で……と剣一は言っていた。
責める筋合いも文句を言える立場でもない。
そんなつもりもない。
ただ少し寂しかった。
部屋のポストになにか入っている。
「手紙……」
随分重たく重厚な封筒
ぴらっとめくると、椿は戦慄した。
「……紅夜会・ルカ」
即座に破いて、手紙を確認する。
「北の倉庫街に今日の深夜1時に1人でお越しください。
お越しいただけない場合はそこから10キロ圏内の20人を
姫の罪の罰として死への旅にご招待いたします……ルカより」
動悸がする。
こんな風に平和が終わってしまうのか、とヨロリとよろめいて玄関に座り込んでしまった。
「……麗音愛……」
美子に抱き締められても麗音愛は、その身体を抱き締めることはなかった。
「ごめんね、こんなとこ無理やり」
「……入ったのは俺の意思だし……」
引きずられて入ったわけでもない。
美子は麗音愛の腕を
ぐっと引っ張ると、麗音愛を真ん中にあるベッドへ座らせた。
自動販売機型の冷蔵庫へ行くとお金を入れて缶飲料を2つ。
麗音愛に渡すと、美子は立ったままグーーッと飲んでしまう。
「……」
何も言えない麗音愛の前に発表会かのように、立つ美子。
「盛大にフラれちゃいました~~~!! あはは」
「……美子」
「やっぱり駄目だった~~~!! ってわかってた、あはは」
「茶化すなよ」
「タケルも飲みなよ、茶化す以外どうしたらいいの?バカでしょ私」
「バカじゃないよ」
もうアイラインが涙で滲んでいる。
麗音愛はもらった缶を握りしめる。
「フラれるのはね、わかってた……」
「……」
「だって1番私があの人の事見てるもん。恋人作らないってわかってた。
だから……」
ぷちぷちとワンピースの前ボタンを外していく美子。
「ちょっと、何して……」
「抱いてほしいって頼んだんだよ……でも駄目だって言われた」
「それは、それは兄さんだって美子が」
「幼馴染で大事ってどういうこと?」
バサリと美子の身体からワンピースが落ちる。
「そんな関係って何か役に立つの……?」
ブラとショーツだけの美子が目の前に立って、涙を流す。
「っ! 美子! こんな事っ」
ドン! と抱きつかれて、持っていた缶が絨毯に落ち
ベッドの上に2人抱かれ転ぶ。
「私は……魅力ないの……?
……そんなに駄目……?」
麗音愛に覆いかぶさり
胸元で震えるように泣く少女。
素足が絡まる。
「……美子は美人で可愛くて、頭もいいし、優しいし、みんなの憧れだよ」
「嘘だよ、そんなの」
「嘘じゃないよ」
その時、麗音愛の背中に潰されたワンショルダーの中の携帯電話が鳴った。
麗音愛の意識はそちらにいったが
「出ないで……」
ぎゅっと麗音愛に美子が縋り付く。
「タケル……お願い……」
「出ないよ」
「……」
「出ないから」
そのまま、電話は切れた。
「……タケル……なんとも思ってなくていいから、してよ」
動揺の鼓動がした。
「……」
「……やっぱり魅力ない?」
「あるよ」
「こんな下着買ってさ、誰にも相手にされないでバカみたいだよ」
あぁ……あぁそうか、
愛が届かなくて、寂しくて孤独で、美子もきっとそうなんだ。と麗音愛は思う。
見てもらえない寂しさは麗音愛には良くわかった。
「バカじゃないよ」
「でも……タケルも抱いてくれない」
美子の身体に、麗音愛は触れなかった。
手にも触れなかった。
「それは俺が情けないから。俺が美子に相応しくないから」
「なんで?私が抱いてほしいのに」
「幼馴染で大切だからだよ」
ぐっと、麗音愛の顔の前に顔を寄せる美子。
「またそれ? さっきも言ったよ、そんな関係……意味ないよ」
口付けしてしまう程、近い距離。
「でも、もし俺が美子を抱いたら、美子は後悔するよ」
「……しない」
「今の幼馴染の関係が壊れて、その意味を知っても、もう戻ることはできない
それでも?? 恋人以外にも大切な絆は沢山ある」
「……」
「兄さんを傷つけるために、自分を傷つけるのはやめなよ」
「……タケル……」
「あんなクソバカ女ったらしより、いい男沢山いるから」
ふっと、美子が笑って、胸元に戻る。
麗音愛も本心ではないが、生贄だ。
「剣一君のこと、そんな風に言えるのタケルくらいだよ」
「あの女ったらしが大事にする幼馴染って世界で1人、美子しかいない」
「……でも恋人になりたかった……」
麗音愛の胸元で目を瞑ると、また涙が溢れ落ちる。
「……そうだよね……俺もずっと見てたから、わかるよ」
「……」
「俺も兄さんの事が好きな美子をずっと見てたよ」
「………………玲央……」
「わかってるよ、美子がどれだけ兄さんが好きか……」
3人で過ごした幼い日々から、今までの歴史。
友情と愛情と、お花見に水遊びに、秋の夕暮れ、正月の挨拶。
少しギクシャクした思春期や、本気で恋い焦がれ苦しい日々。
そんな事が思い出されていく。
剣一は、美子を自宅前まで送った。
その時
優しい優しい眼差しと、声で
『よっちゃんは俺の大事な幼馴染だよ、気持ちに答えてあげられなくてごめん
でもずっと好きでいてくれてありがとう。
俺は強い兄貴でいなきゃな! って頑張れているよ』
そう言われた。
優しい優しい、酷い優しい酷い言葉。
「……うっうぅ……うわぁっ……」
声を上げて泣き出す美子。
その時初めて、細い肩に少し手を当てて支えた。
落ち着くまで、そうして
美子が服を着て、ベッドに2人腰掛けて、また缶飲料を飲んだ。
「ごめんね……」
「いいよ、落ち着いた? 寒くない?」
「うん……」
ぐすっと鼻をすする美子。
「いつも見守ってくれてた玲央に、酷いことして本当にごめんなさい」
「いいよ、気にしないで」
「いつも優しいね」
静かに笑う美子。
麗音愛は、缶飲料をぐーっと飲んだ。
「自分大事にしなよ」
「うん……」
「……玲央、私の知らないとこですっごくかっこよくなったね。
だから、抱かれたかった気持ちもあるよ」
「……かっこよくなんかないし」
また綺麗な顔で麗音愛は言う。
「俺達は後悔しない道を選んでいかないと……だよね」
「後悔してる……」
「え?」
「同化継承のことだよ……」
美子は、もう麗音愛には触れようとせずにベッドに倒れ込んだ。
「お父さんにもお母さんにも散々反対されて
でも剣一さんの傍にいきたかったの。
一番この世で近い場所にさ……白夜団に入ったら
もっと真剣に見てくれないかなって思っちゃって……
でも結局ただの同僚で終わっちゃった世界一のバカ」
「……」
「しかも、このタイミングで紅夜復活とかー!!
聞いてないよ!!
ただの除霊でも怖くて死にそうだったのに……」
さっきとは違う吹っ切れた顔だが、瞳から涙があふれる。
「あんなのと戦うとか……聞いてない……
もう滅んだからって言われてたのに!
怖いよ、玲央……
これからも、ずっと怖い仕事していかなきゃいけないの……
なんの意味もない……もう
命かけれないよ……もう……
普通に戻りたい……」
美子の動機は褒められたものではないかもしれないが
この、続く恐ろしい戦いに巻き込まれる若者が麗音愛には不憫に思えた。
それは自分こそ、そうなのだが
黒く停止した心だからなのか、妙に俯瞰して見てしまう。
「同化も白夜団も、やめたいの?」
「…………うん。こんな事、玲央以外に言えない……」
「できないのかな?」
寝転ぶ美子を、麗音愛は座ったまま見つめた。
「何か方法は、ないのかな?」
「ないよ、あったとしたって……108の武器、明橙夜明集の管理は……あ……」
「椿は桃純家の子だ……桃純家は明橙夜明集を管理するんだろ」
「でも同化剥がしは禁忌で……」
「禁忌と言われてるっては、絶対方法があるんだ」
「玲央……」
「方法を探そう!!きっと椿なら協力してくれる」
その時、
麗音愛と美子の携帯電話がビービー!! と鳴り響いた。
「!! なんだ!?」
「! 白夜団の特定非常警報よ!」
麗音愛が携帯電話を開くと、それは
桃純椿・行方不明の一報だった。