おさななじみふたり
長雨が続く日々。
学校へ行く余裕はなく欠席が続いているが、特別措置がとられ欠席にはなっていない。
しかし今日は夜の学校に、麗音愛はいる。
椿と剣一は別次元に連れ去られた……それが麗音愛の今の予想だ。
水環学園
あの夜から全てが始まった。
そして此処で麗音愛と椿、美子は紅夜の世界に引き込まれた。
何か手掛かりはないかと、そう思ったのだ。
白夜団関係者が数名、校庭や校舎内もそれぞれ分散し穢れの濃度や邪流の流れを計測している。
麗音愛と、そして美子も自ら志願して学園調査に参加した。
「玲央、昼間は他の場所で妖魔退治もしてきたんでしょ。少し休もうよ」
図書館を調べに来た二人。
美子は図書室内の部室の鍵を開けて、すぐポットを手に取った。
「もうそんな時間か」
「班長には好きに休憩とってって言われてるしさ。おにぎり作ってきたの」
「ありがとう」
気持ち的には休んではいられないが、麗音愛も周りに心配をかけている事は痛いほどにわかってる。
美子に言われるまま椅子に座った。
まるで、あの始まりの夜のようだ。
「美子」
「ん~? コーヒーより、お茶だよね? おにぎりは鮭と昆布と梅干……」
「大丈夫?」
「ん?」
椿と剣一がいなくなって、皆が動揺した。当然の事だ。
そんななか美子は荒れている佐伯ヶ原と爽子をなだめたり、梨里や龍之介の精神面でもサポートしているようだと椿の補佐をしていた字気から聞いたのだ。
しかし今回、行方不明になっている剣一は……美子の長年の想い人。
だった、と言っていいのかも麗音愛にはわからない。
「俺も……すごく動揺して、情けないくらい泣き喚いたりした……今も、こうやって美子の優しさにも支えてもらってる」
「うん……」
「だから美子も無理しなくていいから」
「な、なによぉ……無理なんて……」
「俺にはいつだって、なんだってぶつけてきただろ……?」
苦笑いしながらアルミホイルのおにぎりを両手で持っていた美子。
ぐっと下を向き、おにぎりを握りしめた。
「玲央……け、剣一君……」
「うん」
きっと、その問いはタブーだと誰もが口にしないでいる。
「剣一君……死んで……ないよね?」
致死量の血液が残されていた。
それは血液の持ち主の死を表す。
「死んでない」
麗音愛は言い切った。
美子の瞳から涙が溢れる。
佐伯ヶ原や爽子も、皆が剣一が生きていると信じている。
美子も信じたいと強く思ってはいるが、麗音愛に確かめる事ができなかった。
「兄さんの魂はどこにもいない」
「……じゃあ本当に生きているんだよね?」
「死んでたら、絶対化けてでるだろ。あの兄貴がさ。タダで死ぬわけないよ」
「……うん……うん……」
「絶対、帰ってくるよ」
「私……私本当にバカでさ……」
いつも冷静に見える幼馴染。
だけど、その内心は普通の十七歳の女の子だ。
泣いて怒って叫んで、傷つく普通の女の子だ。
「自分勝手に……槍鏡翠湖と同化して……それなのに怖くなって自分勝手に逃げたくなって……! それで……玲央と椿ちゃんにっ……」
美子の頬に大粒の涙が伝って、しゃくり上げるように話す。
麗音愛は椅子から立って、美子の傍に行く。
「いっ命をかけて……同化剥がしを……しっ、してもらったのに……」
「うん」
「あっ……あの力があったらっ……も、もっと私も、強かったら……ふ、二人は、さらわれたり……しなかったかもっって……」
「美子、違うよ。そんな事ない」
「い、今あの力が……槍鏡翠湖があったら……ふっ二人を、た、助けられたかもしれないのに……もっと役に立てたのに……」
溢れる涙。
少しでも、皆のサポートをする事が今の自分にできる精一杯だと美子は懸命に動いていたのだ。
恋心を抱いていた男と、仲の良い友人が行方不明になる傷を負いながら、ずっと槍鏡翠湖を手放した罪悪感にさいなまれて……。
「沢山助けられてるよ、みんな美子に……」
「玲央……剣一君は無事だよね? 椿ちゃんは無事だよね……?」
「あぁ絶対帰ってくる、俺が見つける……そして取り戻す」
「うっ……剣一君……椿ちゃん……私、あの時も何もできなかった……」
「何言ってるんだよ。あの日、学校から脱出できたのは美子のおかげだよ」
「うっ……うう……玲央」
椅子に座っている美子に手を伸ばされ、麗音愛も美子を抱き締める。
「紅夜の腹に穴開けられる兄さんと、桃純家の当主の椿だよ……絶対に大丈夫」
それは何度も皆から言われた言葉。
麗音愛自身が何度も自分に言い聞かせている言葉。
その言葉を今、あの死闘を一緒に乗り越えた幼馴染に告げる。
「うん……うん……私も頑張るから……」
「うん、辛い時はみんなで吐き出していこう……俺もみんなの事を頼ってるから……」
「うん……」
美子が落ち着くまで、と兄がするように美子の頭をなでた。
こんな役目を自分にさせて兄はどこへ行ったのか……。
少し目を閉じる。
「おーい、此処にいるのか? わ!」
「あ」
「さっ佐伯ヶ原君!?」
やましい気持ちなど麗音愛にはなかったが、慌てた美子に突き飛ばされ二人は離れた。
「サ……サラすみません、ノックしたんですが」
団服を着た佐伯ヶ原も、少し慌てている。
ノックの音は麗音愛も珍しく気付かなかった。
「いや、ごめん。俺も気付かなくて……迂闊だった」
「咲楽紫千……あんた……」
佐伯ヶ原の後ろに、摩美が立っていた。
言葉を飲み込んでいるが『姫様がいるのに』という鬼の形相をしている。
そして、その後ろには宿目七がいた。
摩美は拘束されてはいるが、それは紅夜会に寝返ったと思われないための対処だろう。
「摩美、亜門。ただの幼馴染同士の支え合いでしょう。落ち着きなさい」
七がいつもの調子で静かに言う。
「わ、わかってますよ」
「お、俺も別に落ち着いてますよ」
さすがに摩美も麗音愛の憔悴具合を見ているので『浮気者』とは言わない。
「れ、玲央が慰めてくれただけなの」
「ふぅん、そうかよ」
「な、なによ佐伯ヶ原君」
「だから、別にって言ってるだろ」
話す二人を横目で見て、麗音愛は摩美と七を見る。
「……摩美も来てくれたのか」
外からは見えないので七が摩美の腕の拘束を解いた。
学校の図書部室でこのメンバーに会うのは変な感じだ。
「うん。姫様の手掛かりを少しでも……私も力になりたい」
「ありがとう」
「此処は、やっぱり少し紅夜様の空気を感じる」
さすがにまだ『紅夜』と呼び捨てにはできないのだろう。
そこに異議を唱えるものはいない。
「この場所は、あの日紅夜の異空間と繋がった場所だ。此処から紅夜の城に行く手掛かりが掴めるかもしれない」
「あなた達が死闘の末に脱出できた術は古に白夜様が施していた極み術なのです。あの一度で術は消え、新たに術を施せるものはもう誰もいません。異空間に干渉できる槍鏡翠湖も錫杖の朗界も桃純当主が所有しての……行方不明……」
七の言葉を聞いて、美子が下を向く。
槍鏡翠湖の事を考えたんだろう。
「それでも俺は諦めません。少しでも希望があるなら」
「えぇ、もちろんです」
七も摩美も頷く。
「美子も槍鏡翠湖の持ち主として教えてくれたら嬉しいよ」
「うん……! なんでもするわ!」
美子も涙を拭って強く頷いた。
麗音愛もどんな状況でも、心だけは負けまいと必死に抗っている。
しかし確かな椿の足取りは掴めず、『人間妖魔化現象』の患者は更に増え続けていた――。