紅夜城ふたりぼっち
紅夜城の夜。
泣き喚く椿は剣一を自分のベッドに引っ張り込んで叫んだ。
「今日は剣一さんと寝る! あなた達は出て行って!」
「ひ、姫様! 婚姻前になんという事を……!」
「う、うるさい! この人は……えっと、わ、私を守ってくれる人だからそういうんじゃないの!」
沢山のフリルのついたネグリジェ姿の椿は、手枷をまわして剣一の首元を抱き締めたまま離さない。
「しかし、こんな事は許されませんよ」
「二人共、もういいから下がれ」
抱き締められたまま、剣一が言い放つ。
「貴様勝手に何を……!」
「いえ、ルカ。此処は……」
ヴィフォはルカに耳打ちし、二人で二言三言話している。
「わかりました。それでは剣一、貴方に姫様をお任せ致します」
「あぁ。任せてくれ」
剣一を離さない椿はヴィフォとルカの方は一切見ない。
ヴィフォは明日の朝の湯浴みの手伝いをすると言って不満げなルカを連れて出て行った。
ドアの閉じる音は聞こえたが、椿はまだ剣一から離れない。
胸元に抱き締められている状態なので椿の温かさと心臓の鼓動が聞こえる。
『最期だ』と思った瞬間に見た、椿の泣き顔を思い出した。
「……姫様……」
大切なものを守るように、剣一も椿を支える。
「け、剣一さんまで……そんな風に呼ぶなんて酷いです」
「あ、ごめん……」
きっと恥ずかしがって、すぐ離れるだろうと思ったが椿は手枷をできるだけ口元から離すように両手を下に向ける。
そのまま剣一の肩に顔を乗せるようにし、身体を預けて更に密着してきた。
「つ、椿ちゃん……!?」
「しーっ……剣一さん……この手枷にタオルかシーツを巻いてください……」
「……あ、あぁ、なるほど」
手枷に盗聴器が付いているかもしれないと椿は思っているのか、と剣一は悟りタオルを手枷の上から巻いた。
「これで、耳元で話せば……なんとか聞かれずにすむかなと思って」
かなり身長差があるので、椿は膝立ちで剣一の肩に頭を乗せている不自然なポーズ。
剣一は椿を支えて、二人で寝転んだ。
枕を調整して、剣一の右の耳元に椿の口元がくるようにしてくれる。
「この方が楽だね」
枕の下に隠してあったジュエリーポーチも一緒にずらしてくれるところが剣一らしかった。
「は、はい……あの、すみません……突然にこんな方法で」
鼻先に揺れる剣一の髪が濡れている事に気付いた椿。
また気ばかり焦ってしまって剣一を巻き込んでしまった。
「……貴女が何も気にすることはないよ」
「……あ、ありがとうございます……」
逞しい剣一の腕に椿が寄りかかるような状態だ。
仕事で二人きりになる事も多かったが、もちろんこんなに密着するのは初めてのこと。
しかし椿にとっても、剣一は兄のような存在だ。
恥ずかしがる余裕もない。
今は剣一の許しに甘えて話を進めることにした。
「それで、俺に何を話したかったのかな?」
剣一もいつも通りに、小さな声で椿に尋ねる。
「はい、此処からの脱出方法を……探したいんです」
「……うん……」
「ここって……私達の世界とは違う次元ですよね」
「……そうだと思う」
「ここから出る方法……あの……剣一さんでも、わからないです……よね?」
「……うん……いや、うん……わからない」
「いえ、私も何もわからなくて……」
椿が出来る事は、窓の外を見る事。
そして身の回りの世話をするナイト達の様子を伺う事だけだ。
でも剣一なら何か知っているかも、と思ってしまっていた。
「……ごめんね……」
「そ、そんな。私は自分で何もできないのに……すみません」
焦るな焦るなと思っているのに空回り、と椿の心はまた落ち込む。
「帰りたいよね」
「はい……それはもちろん……剣一さんと一緒に、麗音愛のところに帰りたいです」
「玲央のところへ……」
「はい……きっと麗音愛も剣一さんの事すごくすごく心配しています」
「玲央……」
呟いた剣一が、急に頭を押さえるようにして身体が揺れた。
「剣一さん!?」
「だ、大丈夫……ちょっと……頭が痛くなっただけ」
「ごめんなさい、急にこんな話をしちゃって……」
「いや、元の世界へ戻れるように……俺も努力する……よ……ぐっ!」
剣一の苦しそうな声に、椿は慌てて身体を起こしたが顔を見る前に抱き寄せられた。
「剣一さん、大丈夫ですか?」
「ごめん、大丈夫大丈夫」
「お薬をもらいましょうか……」
「大丈夫、すぐ落ち着くよ」
そうは言っても、剣一に抱き締められている状態で耳をつけると心臓の音がかなり早く聞こえてくる。
「動悸も……」
「大丈夫……深呼吸してれば治るさ……少しこのままでいてほしい……」
「は、はい……剣一さん怪我の後遺症が……? お医者さんに」
あの時、確かに剣一は心臓を貫かれていた。
以前と変わりなく元気だと思ったが、それは表面上なだけだったかもしれない。
「全然大丈夫だよ……ちょっと疲れたかな? いや運動不足かも」
ははっと剣一が笑って、胸元が揺れる。動悸は落ち着かず、早いままだ。
「……俺も……情報集めるから……」
「む、無理しないでください」
「はぁ……うん……ありがとうございます……ごめんね離れないと……」
「剣一さんが楽な体勢でいてください……今は無理に動かないほうが」
動こうとした剣一を椿が止める。
「恐れ多いからね……」
「なんですか、それ」
「はは……怒られるって事さ」
「れ、麗音愛はこういう状況ですもん、怒りませんよ」
いつも間に麗音愛が入って『離れろ!』と言っていた事を楽しかった思い出のように思い出す。
今は、この城に二人ぼっち。
寂しさでまた胸が痛む。
「……そうだね……」
「……それに私も安心します……」
「うん……」
「この城にいたら……私が私じゃなくなってしまいそう……で……」
ここに『桃順椿』はいない。
必要とされているのは紅夜の娘であり花嫁にされる『寵』だ。
「……俺もだよ」
椿は剣一も、そう答えるとは思っていなかった。
剣一でも敵に囲まれた本拠地にいれば、孤独になってしまうのか。
二人で支え合う事が今は一番大切だ……椿は改めて思う。
「剣一さんは、みんなに愛されている剣一さんです。二人で一緒に此処を出ましょうね……!」
「……あぁ、必ず椿ちゃんを玲央の元へ返す」
いつもの自信に満ちた声と力強さの声、椿にはそう聞こえた。
しかし剣一の顔は、痛みに耐える苦痛に満ちていた。
それでも彼は、椿の肩を優しく抱き締め続けた。