穏やかな時間・紅い月の光
剣一にやっと会えた椿。
「ハッ……あっ!」
椿は、自分が気を失っていた!? と慌てて飛び起きる。
そこはいつもの天蓋ベッドだった。
「大丈夫、起きなくていいよ」
優しい声、優しい微笑み。
それでも、いつも目を覚ますまで傍で見守ってくれる優しい恋人……ではない。
「剣一さん……私」
ベッドの脇に座っていたのは剣一だ。
また、その顔を見て安堵する椿。
優しく促されて、またベッドにもたれた。
「あれからずっと何も食べずに、ほとんど眠りもせずにいたんでしょ?」
「は、はい……」
剣一の言う通りだった。
食事には一切手を付けず、水も毒見をしつつ必要最低限の分量だけを摂っていたのだ。
睡眠も神経を張り詰め、何が起きた時にでも対応できるようにしていたし、何より剣一の事を考えると眠る事ができなかった。
先程の再会で号泣してしまった椿は、剣一に抱き締められ頭を撫でられながら意識を失ってしまっていたようだ。
「すみません……敵の前で意識を失うなんて」
「そこまで張り詰めさせた俺が悪いんだよ。辛い思いをさせたね」
顔を見ても声を聞いても、剣一は怪我ひとつなく元気そうだ。
ただただ、それが嬉しくて椿はまた涙がこみ上げてくる。
「夢じゃなくて良かった……」
「夢なんかじゃないよ。少し何か食べよう?」
手渡された真っ白なハンカチで椿は涙を拭う。
剣一は丸テーブルに用意されていたヨーグルトや果物などを盆に載せて運んできた。
白いシャツに白いズボン。
彼は手枷などはされていない。
「剣一さん、私達すぐにここから脱出を……」
「うん、でもかなり痩せちゃってるよ。まずは体力つけなきゃね」
確かに剣一の言う通りではある。
椿の好きないちごジャムのヨーグルト。
白いヨーグルトに紅い上質のいちごジャムを混ぜ合わせピンク色に変わっていった。
「はい、あ~ん」
スプーンが口元に差し出される。
「じ、自分で食べれます」
「手枷があると食べにくいよ。気にしないで。今は病人扱いさせてね。まだまだ顔色悪いよ」
「……すみません」
「謝らなくていいんだよ」
麗音愛とは対象的な兄。
本当は血の繋がりもなかった兄弟。
でも、二人とも優しさは同じだ。
「早く、戦える体力を取り戻さないと……ですね」
椿は素直に食べさせてもらったヨーグルトを飲み込む。
剣一と二人で自分の居場所へ、愛しい皆の元へと帰るために。
「もう少し休んだらいいよ」
「でも、目が醒めたら離れ離れにされているかもしれません……」
「大丈夫、俺も此の部屋で過ごせるようにしてもらったから」
「……そんな自由が許されたんですか」
「うん。おとなしくしている条件だけどね」
かなり暴れて手枷まで付けられた椿だったが、今は何より剣一と離れない事を最優先にした方がいいと考えた。
脱出にはかなり負担になるであろう手枷を付けられてしまった事が、今は恥ずかしく思える。
「私も今はおとなしくします。おとなしくして様子を見て二人で脱出の相談をしましょうね」
きっと剣一は冷静に今の状況を見据えて、色々と交渉したり敵の把握をしているに違いない。
その交渉の末が、今の彼の自由さだ。
一人ぼっちで剣一を失ったかもしれないと孤独のなかにいた椿は、二人でいるだけで勇気と希望が湧いてくる。
「じゃあ、しっかり食べてしっかり寝よう」
「はい。剣一さんが無事なのわかったら少し食欲でてきました」
紅の空が窓から見える。
時計は夕刻だ。
「いいね。じゃあ夕飯は……」
「あの……綺羅紫乃は大丈夫ですか?」
「綺羅紫乃……?」
「はい、私はこの手枷のせいで緋那鳥にも干渉できなくなっちゃって……」
剣一は、少し苦笑する。
「こんな時に綺羅紫乃の心配までしてくれて……椿ちゃんは本当に優しいね」
「えっ……あ、あの明橙夜明集も大事な相棒だから」
「うん、そうだよね。綺羅紫乃も大丈夫だよ」
「良かった……! じゃあ今はどこかに保管されて?」
「うん、しっかり保管させてるよ」
「はぁ~良かった~」
椿が微笑むと、剣一も微笑む。
穏やかな時間だ。
少し暗くなってきたので剣一が枕元の灯りを点けた。
「ありがとう……沢山、心配かけたね。髪も伸びてしまって」
椿の伸びた長い髪が、ベッドの端にまで垂れている。
その髪に触れようと手を伸ばしやめた。
「もう少し何か食べる?」
「じゃあ剣一さんも一緒に」
「じゃあ、おかゆを温めようか。卓上コンロ用意させたよ」
「そんなものまで!」
「へっへっへ」
言葉は少なかったが、穏やかな時間が続く事が今はただ嬉しい。
二人で食事をとって椿はまたうつらうつらし始めたので、剣一はそのまま眠りにつかせた。
気を失った時よりも、頬も少し紅みが戻り安心したように眠っているのを見て剣一も目を細める。
「嘘は嫌いなんだけど……ごめんね、椿ちゃん……」
哀しげに剣一は微笑んだ。
紅い月の光が窓から入って、彼を紅く照らした――。