紅夜城の椿姫
紅い空が広がる紅夜の城。
大きな白い天蓋ベッドで椿は目を開ける。
朝も昼も夜もわからない紅い光に照らされる部屋。
気怠い。
豪華な装飾のホールクロックを見て、やはり朝という事がわかった。
「姫様! おはようございます~♪ 今日はカリンが御髪を梳かしに参りましたよー!」
ニコニコで現れた紅いゴシックロリータワンピースの少女カリン。
その手には櫛や化粧道具が入った籠を持っている。
椿は無表情で返事もせずに、鏡台の前に座った。
その手首には手枷が付けられていて、真ん中に生花の薔薇が咲いている。
カリンは座った椿の後ろに立って、良い香りのするオイルを付けたあと優しく椿の髪を梳かし始めた。
「うふふ、やっぱり姫様は長い御髪がよくお似合いです~♪ と~っても綺麗な髪! 私はカールして派手なツインテールにしたいんですがぁ、元気のない姫様のために今日もいつものハーフツインテールに結いますね」
あの惨劇の夜。
泣き叫びパニックになった椿の髪は伸び、今は腰より長くなっていた。
それでも艶があり、カリンの櫛が通る髪は美しい。
毎朝椿が自分で結っていたように、ハーフツインテールに結ばれる髪。
それを椿は無表情で鏡を見つめている。
「今日のドレスもお似合いですね~さすが紅夜様のご令嬢です」
その言葉に椿は眉をひそめる。
椿が着ているのは、純白のドレス。
ビスチェタイプの胸元に腰からはレースがあしらわれたロングドレス。
まるで花嫁のようだ。
「さぁ今日こそは、少しでもお食事をとってくださいね。鶏出汁の中華粥を作らせましたよ~」
「……いらない」
「もう~わがままな姫様ですね。さぁ少し白粉とツヤツヤのリップグロスをつけましょうね」
傷だらけだったはずの椿の身体は目が醒めた時には、もう無傷だった。
「この傷はどうして治ったの? 誰が治してくれたの?」
「さぁ? 勝手に治ったのでは? と何度も言っておりますよ」
カリンは赤子をあやすかのように、クスクス笑う。
しかしあの『斬姫刀』の効き目は本当だった。
目が醒める前に椿は感じた……温かい光に包まれるような、まるで紫の光のような。
幻覚なんだろうと思う……でも?
謎ばかりの今の生活。
「あの人を呼んで」
椿の声が静かに告げる。
「誰ですか? 今日のお相手は私ですよ~。素敵なお洋服も沢山取り寄せてありますから!」
「絡繰門雪春を呼んで」
「だから~あの人はすっごく多忙で無理だと言っておりますよ~」
ハーフツインテールに合わせるようにリボンや花を髪に合わせられるが、椿は払い除けるように首を振った。
「じゃあ剣一さんに早く会わせて!! 剣一さんはどこへ行ったの!?」
「あぁ~姫様、落ち着いてくださいませ~朝ご飯を食べて、お茶を飲んでゆっくりしてからでも~」
「落ち着いてなんかいられない! あれから何日経ったの!? 剣一さんはどうなったの!?」
「せっかくお家に帰ってきたんですから、今までの疲れをじっくり癒やして~スパもありますからどうですか?」
「ふざけないで!! こんなとこ私の家じゃない!!」
普段の椿では考えられないような激しい怒りを顕にする。
更にカリンが差し出した花を手枷で振り払った。
「姫様ぁ~また一日拘束の罰や手枷の薔薇を増やさないといけなくなりますよ。落ち着いてくださいませね」
カリンはニコニコしたままだ。
ギリと椿は睨みつける。
炎を出そうとしても、この手枷の薔薇に力を吸い取られているのか封じられているのか何もできない。
「こんな風に騙して、私を幽閉しておいて……!」
「まぁ、誰も騙してなんかおりませんよぉ。姫様ご自身が望まれてのご帰宅だって聞いてますよ~」
「それは……!」
椿の脳裏の蘇るあの時の会話。
…………剣一の心臓を雪春の『斬姫刀・血ノ夢』が貫いたのを見た、あの惨劇の夜。
目の前の剣一の命の炎が消えていくのを目の当たりにして、椿は叫んだ。
「助けて! 剣一さんを助けてぇ! 麗音愛! 麗音愛助けてぇ! いやぁああ!」
半狂乱で無意識に起こる爆風。
髪が伸びて泣き叫ぶ椿。
血を流し、もう動かない剣一にすがりつく椿の姿を雪春は上から見下ろすように立っていた。
少し遠くにいる紅夜会・天海紗妃はいつの間にか雪春の結界で拘束されている。
口だけ叫んでいるのがわかるが、何も聞こえない。
響くのは椿の悲痛の叫びだけ……。
「剣一さん! 剣一さん! 死なないで! 剣一さぁん! いやぁあ!」
「私達なら、助けられますよ」
静かな雪春の囁き。
「……え……?」
「私達なら、剣一君を助けられますよ」
冷静な医師のような言葉。
「本当に……?」
「えぇ、その代わり、貴女も一緒にお付き添いください」
自分の爆風に煽られる椿の髪。炎で揺れたように瞳と涙が照らされる。
「剣一さんは……みんなに愛されている……こんなところで死んじゃいけない人なんです……私なんかのせいで死んじゃいけない人なんです……」
「その通りですね。彼は人類の宝とも言える聖騎士です」
剣一の血で濡れた『斬姫刀』を持って何を言うのか……しかし椿にはそんな事も考える余裕もなかった。
自分を助けて、剣一が命を落とすなど椿には考えられなかった!
「なんでもするから! 剣一さんを助けてください……! お願い!」
「えぇ、助けます……必ず」
「早くして! 剣一さんが死んじゃう! 私はどうなってもいいから剣一さんを! 早く助けて! 助けてください!」
「わかりました、姫君……」
「剣一さんを助けて!」
もうピクリとも動かない、冷たい身体がまだ生きているのか誰にもわからない。
ただ半狂乱に、ただ純粋な願いとして剣一の生を望んだところで椿の意識はなくなった。
そして目が醒めて数日……この城の一室で過ごしているのだ。
剣一に会えない日々で自分は騙されたのかと暴れた事もあった。
その度に拘束され、今は手枷も付けられている。
何の意味もなかったカリンとの会話のあとは無言のまま、無表情のままの椿はテーブルで冷めていく料理を見つめるだけで終わった。
カリンはため息をついて、食器を下げたあとは気にせず紅茶を淹れ始めた。
自ら紅夜の城に拘束されてしまった……と椿は何度も考える。
雪春の言う事を信じてしまった椿は今、自分を殺してしまいたいほど愚かで馬鹿だと悔いていた。
それでも剣一を救えることができるなら……自分の命より大切な誰からも愛される輝かしいあの人を、大切な人の兄を救えるのなら、自分はどうなっても構わなかった。
でも、今は彼の安否もわからなくなってしまった。
どうすれば良かったのか……どうしたら良かったのか……。
教えて……助けて……いつも最後に脳裏に浮かぶ愛しい人。
「……麗音愛……っ」
気丈に無表情でいる椿の顔が歪む。
自分などどうなってもいい、という気持ちが歪んで心を刻む。
涙が溢れそうになるのを必死で耐えて頬が痙攣する。
「姫様ぁ?」
「あ、あっちへ行って!」
つい、カリンが持ってきた紅茶をはらいのけてティーカップが倒れた。
紅いテーブルクロスに赤黒い染みをつくる。
「誰も部屋に入らないで!」
そう叫んだ椿の部屋にノックの音が響く。
「まぁ、誰だろう。あの方かしら?」
割れたティカップのかけらを指で跳ね飛ばして、カリンは童話のような口調でトテテテとドアに向かう。
椿はティカップを割ってしまった罪悪感とも混ざり合い、ごちゃ混ぜになった気持ちから逃げるように寝室へ向かおうとした。
「あぁ! 姫様~! 来ましたよ! さっき言ってた男!」
椿がドアへ振り返る。
「ごきげんよう、麗しき姫君」
そこには絡繰門雪春が唇を少し上にあげるような微笑みで、一礼していた。