思い出迷路の、その先に
暗い椿の部屋のドアを開けた。
山中に剣一の血痕が残って、椿と剣一の姿がない異常事態。
紅夜の娘である以上、裏切ったのではないかという意見もあり椿の部屋の調査もおこなわれた。
しかし部屋にあったのはごく普通の女の子がもつ日用品だけ。
そしてベッドの下に隠された麗音愛の誕生日パーティーの沢山の手作りの飾りだった。
折り紙を切って輪にして繋げた飾り。
お誕生日おめでとうと書いた画用紙。
バルーンに誕生日主役のメガネ。
毎日少しずつ作っては、買っては溜めてあったんだろう。
それを見た時、麗音愛は心が張り裂けそうなショックを受けて――よく覚えていない。
留守の合間に怒るよな、と思いながら……麗音愛は椿のベッドに横たわった。
もふもふくんともふもふちゃんが二人。
麗音愛のわがままで、兄からのプレゼントのもふもふちゃんはリビングのソファに座らされている。
「椿の香りがする……」
もふもふくんともふもふちゃんを抱きしめると、二人でベッドに腰掛けて話した記憶が蘇る。
『えー? 俺の誕生日のお祝い?』
『うん! だってもうすぐでしょ』
『でも、俺の誕生日は本当は椿と一緒の日なわけで……その日でいいんじゃないの?』
麗音愛の誕生日は直美が偽装した嘘だった。
『ダメだよ! ずっと麗音愛の誕生日はその日にお祝いしてたんだから咲楽紫千麗音愛の誕生日は変わらないでしょ!?』
『そんなもんかな~今年は家族も忙しいだろうし、祝う暇もないと思ってさ』
『だから、私が盛大にお祝いするんだもん!!』
『そんな気にしなくていいよ~?』
でも椿は納得がいかないようだ。
『え~どうして、いいよなんて言うの!? 私の誕生日を祝わないと! って祝ってくれたの麗音愛じゃないの~~!』
麗音愛の脳裏に、あの出逢ったばかりの屋上での花火が浮かぶ。
ボロ布男だと思ったら、男の子みたいなボサボサの女の子で……あの日に、きっと恋をした。
『そうだけど……自分のことだとね』
あはは、と笑ってみせるが椿は頬を膨らませる。
『ダメ~! 私ずっと色々考えてたんだから……! ずっと、麗音愛の誕生日には何しようかなって!』
『椿……ありがとう。じゃあお祝いしてもらうよ! でも椿の誕生日も、いっぱいお祝いしようね』
『……私の誕生日は……何が起きるかわからないから』
椿の誕生日に紅夜は目覚めた。
十八歳の誕生日。
一体何が起きるのか、白夜団もその日を重要視して警戒して動いていたのだった。
『椿、俺が絶対守るから』
何度も何度も蘇る記憶、ここでまた強い吐き気がする。
何が守るだ。
何が絶対だ。
ふざけるな、このバカ野郎が。
過去の自分をボコボコに殴って殺したくなる。
でも、その時の椿は嬉しそうに微笑んで、自分を抱き締めてくれる。
暖かくて柔らかで愛しい存在。
『ねぇ、麗音愛~誕生日プレゼントなにがほしい?』
キラキラした瞳が自分を見つめてくれる。
『んー? 俺がほしいのは……う~ん』
『また、やらしい顔してるー!』
『え!? いや、そんな事……あるんだけど……』
もう、どうしようもなく目の前の女の子に夢中だ。
やらしい顔をしてしまうのも、考えてしまうのも仕方ないと諦めている事は椿にはナイショ。
『も、もう~! 他のプレゼント考えてよ~!』
当然の返答だけど、こういうのも楽しい。
『じゃあ、カレーが食べたいな。椿のカレーは最高だもん』
『プレゼントだよ?』
『椿だって、バッグとかアクセとか欲しがらないでしょ』
『そっか、じゃあカツカレー作る! あ……あとは……そっちも……ちょっとなら……』
花のような笑顔のあとに、そっぽを向いて恥じらいながら言う美少女。
いつもより頬が赤くて、唇がひよこみたいになってる。
『え! ほ、本当?』
まさかの、まさかの幸せリーチ!?
締まりのない顔もしておくもんだ! と福音が聞こえる気持ちになった。
『わ、わかんない! 勉強しないと……わからないから……』
『え! そんなの俺と勉強しよう! 一人で勉強ダメ絶対!』
勢いで色々すごい事を言っている自覚もあるが、少しグイグイいかないといけない事もあるのだ!
『もう~、恥ずかしいから、この話は終わりね!』
もふもふくんと、もふもふちゃんをぎゅ~~っと抱き締めて椿はベッドの端に逃げていく。
『椿が可愛いから……じゃあ、その前に、前祝いにキスしてよ? 椿さんから……』
『えっ』
『そしたらなんでも頑張れるから! お願い椿さん!』
『う~……じゃあ目を瞑ってね』
なんだかんだで、お願いを聞いてくれる恋人。
目を瞑って、しばら~く待って……唇が触れて、笑う。
『椿、大好きだよ』
『わ、私も大好き……』
恥じらう笑顔がこの世で一番可愛い。
優しい微笑みと、柔らかい温かさ、温もり。
それが今どこにもいない。
無い無い無い無い無い無い。
暗闇――。
椿達を探しながら、紅夜会の本部も探し続けている。
摩美の話では紅夜の城があり、そこで暮らしていたという。
どこか別の次元だと思うと……しかし、出入りの仕組みはわからない。
どこかに入り口があるのか、それをずっとずっと探している。
だけどそれが見つからない。
ないないないないないない。
沙藤の家の残骸も何も手がかりにはならなかった。
お偉方に事情聴取をしても、なにも手がかりがない。
無い無い無い無い無い無い。
「……つばき……」
薄暗い部屋……。
部屋の壁に飾ってあるコルクボード。
麗音愛の瞳には昼間のようにハッキリ見える。
みんなで行った海の写真。
椿の故郷の夏祭りで撮った写真。
二人で行った海の写真。
修行旅行で白夜団のみんなで撮った写真。
告白をした、ダンスパーティーの写真。
クリスマスの遊園地とディナーの写真。
お正月の写真。
文化祭の写真。
バレンタインの写真。
白夜団での七当主ミニパーティーの写真。
写ってはいないが、摩美と西野とのダブルデートのお茶会の写真。
伊予奈の結婚式の写真。
ボやけた自分の隣に、笑顔の椿がいる。
普通の女子高生の、幸せがいっぱい溢れた写真。
椿が椿としての時間を過ごした精一杯の幸せな時間。
それが、もう無い――。
何が起きたかわからない。
でも、もう此処にはいない、無い――!!
一気に潰される心、想い。
「うあああああああああああああ!!」
幸せな記憶に押し寄せる残酷な現在の波。
たまらなく叫んだ麗音愛。
「玲央!」
龍之介が部屋に飛び込んできた。
「ああ……あああっあ……! つばきぃ……!」
頭を抱え、また心が乱れて呪怨に食い千切られる身体。そして心。
涙と血が流れる。
「玲央……! しっかりしろ!」
「俺が、俺が……俺が……俺のせいで……椿が! 俺は俺はぁあ!」
「馬鹿野郎! お前のせいなんかじゃねぇ! しっかりしろぉ!」
麗音愛を支え、針状の結界術で麗音愛を襲う呪怨を押さえる。
龍之介の張りのある大きな太い声は、叫ぶだけで呪怨が鎮まるようだった。
「……龍之介……」
「お前は……よくやった。一人でみんなを守ったじゃねえか。馬鹿野郎は俺達だ……。お前に、剣兄に、椿に頼り切ってた俺達なんだ……お前以外の人間が、みんな馬鹿野郎なんだ! 情けねぇのは俺達だ!!」
グイっと力任せに、寝転んだままの麗音愛の顔がタオルで擦られて血と涙を拭かれる。
「……そんな……」
「そうだって言ってんだろ! もうやめろ! お前がそうやって自分を責める意味はねぇから!」
そう、この繰り返しは意味が無い。
意味の無い、過去の幸せと今の地獄の繰り返し。
「自分を責めるんじゃねぇよ。今、一番何がしたいんだよ」
「……椿を探したい……」
重い沈黙。
だが、龍之介のいつもの肩パンが麗音愛の右肩を襲う。
「もちろんだぜ! 椿を見つけるんだろ!?」
「あぁ……絶対見つける」
「そんで紅夜をぶっ殺すんだろ!?」
「あぁ……そうだ……」
いくら呪怨に噛み付かれても何も感じなかったのに、龍之介の肩パンがジンジンと痛みだす。
哀しみと絶望の暗闇に、まるで登校時の皆で笑っていた朝の光が差し込んだようだった。
「そんで椿は誰よりも強い女だろが!」
「……椿が……」
更に叩かれたような衝撃。
わかっていたはずなのに、わかっていたはずなのに……。
「あいつが、黙って連れ去られる女か!? 」
「あ……」
「お前が一番知ってるべ!」
「……椿……」
「あいつが、考えなしでお前から離れるかよ!?」
「……つば……き……」
「思い出せ! 馬鹿野郎! そこだろ!? 今思い出すのはよぉ!」
可愛い健気な少女。
その裏で彼女がどれだけ壮絶な闘いに立ち向かってきたか――!
胸の中で微笑む可憐な少女。
でも彼女は最後まで、どんな時も諦めない!
炎のような気高い少女……。
血を吐いても闘い続ける!
きっと、今も立ち向かっている……。
麗音愛の幸せが、椿のように、椿の幸せもまた麗音愛だ。
バリン! と黒のガラスが割れる思いがした。
愛して大切で、儚い可憐さばかり思い出して、気が狂いそうで、彼女の強さを忘れていた……。
心配なのは変わりない――でも、大切にしていた此の場所へ戻ってくるために椿が闘っているのならば、
自分は此の場所を守らなければいけない――!!
麗音愛は、グイと溢れた涙を拭った。
「兄さんも生きてる!」
「あったりめーだろ!! 剣兄が椿を守ってくれてるな!! 絶対な!!」
致死量に達した血液量が発見された剣一は、白夜団では暗に『殉死』扱いされている。
麗音愛自身も呪怨を纏う自分には、聖なる剣一の魂が見ることができないかもしれない――そう思ってはいるが、兄が生きていると信じたかった。
それを強く肯定し叫んでくれた。
皆が剣一の死を、そして奪われた椿の未来を絶望としか感じていない。
実際に何も状況は変わらない。
それでも……光が差した。
「じゃあ、まず飯食うべ。俺の作った最強鶏だし中華粥が出来たところだ」
暗闇に開いたドアから、廊下からの光と良い香りが届いてきている事に気が付いた。
「……龍之介ありがとう」
「キモい事言うんじゃねーよ」
「確かに」
「てめぇ」
何も状況は変わらない。
それでも、少しご飯を食べることができるようになった。