誰の心誰知らず
山積みの書類と資料を前に白夜団団長の直美が、ふぅと息を吐く。
目の前のローテーブルのソファ、書類を見ながら右手でノートパソコンを打っていた雄剣が声をかけた。
「直美。一度家に帰って休まないか」
「えぇ……雄剣さんこそ、もう休まないと……先に帰ってていいのよ?」
「ダメだよ、一人では帰らない。君がいないと僕は何もできないんだから」
「ふふ、嘘ばっかり」
それは雄剣の冗談で、片腕の生活でも一人で身の回りのことは大抵できるようになってきている。
それでもこうして夫婦で寄り添える事は、今の直美にとって心の安らぎだ。
雄剣もそれをわかっていて、わざと直美に言うのだ。
「君が倒れたら、みんなが困るんだよ……?」
雄剣の言葉は、いつも優しい。
だから身に沁みてくる。
「……白夜の子供達があんなに懸命に頑張ってくれているのに、私なんて結界のひとつもうまく張れないんだもの。書類仕事くらいやらなきゃ……」
直美は施設で結界を張る訓練はもちろん受けたが発動する事ができなかった。
あの冷たい女職員の柴崎がますます冷たい目で呆れたように見てくる時間――子供心にそれは自分の存在を否定される時間で辛く苦しかった。
その過去があるので、直美は白夜団に所属する事を強制もしないし、本家の絡みでの強要も禁じた。
それによって白夜団の所属員が一気に減り老人達からの風当たりも強くなったが、この使命は誰かに言われてやるものではないと直美は強く信じていた。
大切な息子二人が、運命の輪に導かれてしまった事は……正直、嬉しいとは言えないままだ。
それでも自分の意思で選んだ道を否定はしない、そう思っている。
「人にはそれぞれ役割がある。君がもし宿目家のような結界師だとしたら、その書類は誰がやる? そして団長は君しかいないのだからね」
「そうね」
「僕にとっての妻も、剣一と玲央にとっての母も君しかいないんだよ」
雄剣は以前からも優しかったが、死に別れを覚悟したあの日から一層気持ちを言葉で伝えるようになった。
それは夫婦にとっても家族にとっても、絆が深くなる効果しかない。
直美も微笑む。
「えぇ、わかったわ。でもこの書類を最後に目を通してから……ね」
「なんの書類だい」
微笑んだ直美の顔が、こわばったのを見て雄剣が直美に近付く。
「紅夜会所属重要危険人物のデータよ……」
「あぁ佐伯ヶ原君の個展に来たルカ……鮮明な写真が手に入ったんだな。本当に少年だ。闘真もそうだったが……」
「こんな子供達が、殺戮行為をしているんだなんて」
摩美が白夜団に加わり、ルカの新情報が入った事で紅夜会に所属している会員データがまた新しくなった。
そして元白夜団と記載されたページには、雪春と天海紗妃。
「天海紗妃という子は、椿ちゃんに凄まじい憎悪を抱いている一番の危険人物らしいね」
「えぇ……そう……でも、この子は……この子をこんな風にしたのは私達……いいえ私なのよ」
見守りたいと思い、ハガキを出し続けていても老人達の行いに気付けなかった。
椿も紗妃も守れなかった――。
「直美、そんな風に思ってはいけない。君だけの罪じゃないんだ……」
天海紗妃は使用武器の華織月の危険性もあり、即避難または総攻撃対象だ。
麗音愛にとっても殺さなければいけない対象。
それを感傷などで書き換えるわけにはいかない。
まだまだ天海紗妃は人を殺し続けるだろう。
その剣先はいつか椿に向かうのだ。
直美は書類に判を押し、無言で机に置いた。
◇◇◇
「ひゃははは!」
小さな無人島。
そこで華織月ではない剣を振り回す紗妃が歓喜の声で妖魔を切り裂いている。
「おい! 変態女! あんまり妖魔をいじめんじゃねーよ」
「うるさいよ闘真ぁ! さっさとお前のロッサも出せ! 試し切りしてやる!」
「ふざけんじゃねー! 誰が俺のロッサを!」
続けて闘真が何かを叫んでいたが、紗妃は構わず妖魔の首を斬り落とした。
妖魔は穢れや淀みから生まれる存在。
それを改造し続けている紅夜会。今回は試し切り用に開発された人型だ。
妖魔への感情は紅夜会でもそれぞれだ。
摩美のように殺してはいけない存在だと思う者もいれば、闘真のように自分用に改造した妖魔だけ愛する者もいる。
そして紗妃のように情もなく、道具のように殺して楽しむ者もいる。
それについても紅夜は何も言わない。
「よわっちい腐れた化け物ども! こんなんじゃない! 早くあいつを斬りたい……!」
紗妃が首を落とすたびに、思い浮かべる相手はただ一人――。
白夜団に入り、罰姫として扱われるはずが……桃純当主として皆に慕われ、男に愛されている椿への憎しみは日に日に増すばかりだ。
「手足を斬り落として紅夜会に連れ帰り、妖魔にいたぶらせてやる……あっはっはっは!」
「誰のなんの話をしてんだよ……やべぇ奴だぜ紗妃は……サイコパスってやつか」
試し切りが『椿を殺すための刀』だという事は闘真には知らされていなかった。
呆れた顔の闘真は自分で今切り倒した巨木の切り株の上に座り、その周りを薔薇の妖魔が取り囲んだ。
他の妖魔の切り捨てられた穢れた血を吸って大輪の花を咲かせだす。
闘真に褒められたいように咲かせた薔薇の花びらを闘真は愛しく撫でる。
先日の個展でルカが渡したブーケを受け取った椿の写真を闘真は眺めた。
その後はすぐに、白夜団の研究所に花が送られた事はなんとなくわかっていたが悔しさで眉間にシワが寄る。
しかしそれも薔薇の良い香りで、フッと和らいだ。
「あぁ……綺麗な花だなぁ……姫様が一輪でも耳元に飾ってくれたら侵食して永久に離れないのに……あぁ姫様に会いたいな、この世で一番美しい紅夜様の花嫁姫……」
ぶつりと花を引きちぎると、闘真の指からも血が滴る。
「きっと白くて美しい素肌に、この花だけをまとわせたらどんなに美しいだろう……ふふ」
二人が違う意味で笑う。
狂気の血の宴。
この惨劇が、次はどこで起きるのか。