気付いていく、心
夜、学ランのままの麗音愛は摩美の拘束部屋に訪れた。
「じゃあ……俺が変わりますから」
「では、私は失礼いたします」
横たわる摩美の前で拘束結界を張り続ける宿目七が立ち上がる。
が、四方の補佐は動かない。
「あ、ここの皆さんも全員どうぞ休んでください」
ピクリと宿目七の空気が変わる。
「俺一人で、大丈夫です」
「……そうですね」
「はい! 任せてください」
慣れないが満面の笑みで麗音愛は微笑む。
張り詰めた空気。
しかし七もすぐに空気を戻し『それでは』と皆で出て行った。
「ふぅ~」
宿目家の拘束が解け、摩美の顔も体も拘束がとれる。
麗音愛は部屋と同じ形に呪怨の結界を張ったが、摩美には何も拘束はしない。
部屋にも護符や結界術式がほどこされているが、麗音愛は普通に部屋の電気をつけた。
ストレッチャーの上で起き上がる摩美。
「まぶし! あんた……どういうつもりよ」
「どうって……夕飯持ってきた」
「……はぁ?」
「そのまんまの意味だよ、夕飯食おう。
椿が弁当作ってくれたから……机ないから、床でいいか」
「ひ、姫様が!?」
此処は元は加正寺の別荘。
今は土足で使用しているが拘束部屋には不似合いな高級な絨毯が敷いてある。
麗音愛は椿に託されたお弁当セットを開くと、もふもふくんのレジャーシートまで入ってる事に気付く。
「さすが椿! ほら見ろよ! 可愛い椿のレジャーシートだ。これを敷いて座ろう」
まるで遠足のように、麗音愛はレジャーシートを床に広げて弁当を広げ始めた。
「……お前! 姫様に何をさせてんのよ!」
「俺のためじゃないよ。お前のためだろ」
摩美の目を真っ直ぐ見て、麗音愛は言った。
「な……」
「食べられないものあったら教えてくれってよ。
おにぎりは、これがツナマヨでこれがチーズおかか、これが明太子。うまそー!
おかずも色々あるぞ。ほら、いいから座れよ」
「……」
摩美は絶句したまま、それでも座った。
「朝と昼もちゃんと食べてるのか?」
紙皿と箸を摩美の前に置く。
摩美は麗音愛を睨む。
「……初日は液体栄養食だったけど……パンとか市販の弁当になった……それもあんたのせい?」
「父さんと母さん……団長達のおかげかな」
宿目七が用意していた食事をすぐに改善させてくれたのだ。
想いが伝わった事を麗音愛は安堵したが、もちろん顔には出さない。
「はんっ! お優しい白夜団のつもり!?
私を懐柔させる気だったら残念だけど無理だから!」
「懐柔っていうか……俺が知りたかったからだよ」
「なにを」
「『摩美』という人間がさ。いただきまーす」
麗音愛はツナマヨおにぎりを頬張った。
無防備な普通の男子高校生のようだ。
「紅夜会について、何も話すつもりはない!」
イラつき、摩美は叫ぶ。
「そういう事さ、西野にも言ってないんだろ?」
「当然でしょ! あ、あんな馬鹿に何を話すのよ!」
摩美は、西野を巻き込もうとはしていなかった。
『明けの無い夜に』を配った時も、西野がいつも無理矢理に着いて行っていたと聞いたので確認したかったのだ。
「……うん、安心した。
俺はさ、西野が好きになったっていう女の子がどういう子か知りたいだけだよ」
麗音愛は、ぱくりと唐揚げを食べる。
「……はぁ!? なにそれ! 変態じゃないの!?」
すぐに摩美の怒声が響く。
「はは……俺は西野が好きな女の子には無事でいてほしいんだ」
「ふざけるな! 紅夜様のために、死ぬのは我らの本望!」
堅い誓いのように摩美は叫ぶ。
それならば、どうしてあの夜にお前は西野を助けようと必死だった? とは麗音愛は言わなかった。
「うまい! 椿が最近覚えたって唐揚げすっごくうまいんだよ」
「きも……ひ、姫様じゃなくて! お前がきもい」
「西野はまだ入院中、まだかかるって」
「どうでもいいけど!」
「それでも元気だよ。さっきも会ってきた。
猫も家で元気にしてるって」
「……そう……」
「二匹とも落ち着かないから、おばさんの妹さんが日中来て面倒見てくれてるって」
「……」
摩美が聞きたいだろう事を呟きながら、麗音愛は二つ目のおにぎりを頬張った。
「宿目さんと交代になったら、ご飯食べられないからさ。
もたないぞ。一個でも食べろよ」
わざと携帯電話を見ながら興味がないというように、摩美におにぎりを投げ渡すと摩美は受け取り、黙ってモグモグと食べ始めた。
可愛い花模様のアルミホイル。目の前の唐揚げに刺さったハートのピック。
白夜団に投降すれば、凄惨な拷問、死刑が待っていると思っていた。
摩美は困惑する。
毒も呪術も何も入ってない、おにぎりは美味しかった――。
それでも、おかずには手をつけないまま一時間が過ぎた。
「もうすぐ時間だ。じゃあ、明日また来る」
「キ、キモイこともうやめてよ! 拷問でもなんでもすればいいでしょ!」
弁当箱を片付ける麗音愛に、摩美は立ち上がり上から言葉を吐きつける。
それでも麗音愛は、弁当箱を風呂敷で包み、レジャーシートを畳んで……
それから立ち上がった。
「お前は……摩美は、西野を助けただろ」
「……そ、それは……た、助けてなんか……」
「俺の大事な友達を助けてくれて、ありがとう」
「……え……」
「摩美が西野を守ってくれなければ、西野は死んでたよ」
「……死んで……」
「うん……死んでしまったら、人間はそれで終わり……だから」
二度と会えない、死の重さ。
二人の記憶にまだ新しい、妖魔の咆哮、血の匂い。
牙の喰い込む痛み、齧られる音、引き千切られる叫び。
ぎゅっと、摩美は目を瞑る。
一番恐ろしい体験だった。
死闘で咲楽紫千の圧倒的な強さを見た時よりも――
沙紀が心臓を貫かれた時も――
妖魔達が白夜団に殺されていく時よりも……
『でも頑張って生き延びて……また一緒に猫のとこに帰ろう 』
あの絶体絶命の時の、優しい声がまだ残っている。
自分が拷問されて死ぬよりも。
そう言ったあの男が自分を抱き締めながら……
妖魔に食い破られ死んでいくことが一番恐ろしい……そう思った。
あの男の死が怖かった――。
誰かにまた会いたいと思うことなど、無い。
そう、思っていた。
それなのに今、胸に溢れる気持ちは……。
そして、その男を助けたのは……目の前の咲楽紫千玲央。
「だから、俺は……俺と椿は、摩美と友達になりたいんだ」
潤んだ片方の瞳から涙が溢れた摩美に、麗音愛は優しく言った。