何かが起き始めた
紅夜が眠っていた穴から飛び出てきた無数の妖魔。
琴音は驚きを隠せないが、椿は予想できていた。
確実に妖魔は椿と琴音に襲いかかってくるだろう。
パァン! と椿が青い炎を散らすと、散らされた炎をはドーム状の結界になる。
この地域から一匹も逃さないが、もちろん中はひしめき合う妖魔との地獄絵図になるということだ。
チラリと遠目の琴音を見たが、特に臆する事もない。
これで椿への攻撃はとりあえずは止むはずだ。
時間を稼げば、きっと雪春が来てくれる。
その後にどうなるかはわからないが、この場を納めてはくれるだろう。
もう、それに賭けるしかないのだ。
「ふんっ! こんなやつら!! 黄蝶露と骨研丸の錆にしてやるわ!!」
琴音は、二刀を振り回し妖魔の群れに突っ込んでいく。
椿の魂胆はバレているのだろうが、この群れを放おっておくわけにはいかない。
琴音の白夜団としての正義感は椿もわかっている。
此処で椿に攻撃し、椿が倒れれば妖魔は空に放たれるのだ。
それをおこなうリスクは十分にわかるはず。
大きな野犬のような妖魔が突っ込んできて、椿の思考も戦闘に集中させる。
「はぁっ!!」
どんなに浄化をしても紅夜が数年眠っていたことで猛毒のような呪いの土壌になり、妖魔も格段に強化されて牙も角も硬く手強い。
予想以上だった。
前回の麗音愛と剣一がいた事が、どれだけ心強いことだったか思い知る。
「くぅっ!」
「加正寺さん!」
取り囲まれた琴音の援護でつい青い炎を燃やしてしまった。
結界を張ったままで、かなり力は使っているので効力の弱い炎だ。
しかしその援護を受け瞬時に琴音が斬り落とした。
そのまま、炎は紫の炎になり琴音の傷を癒やす。
「私の怪我まで直すだなんて……余裕なんですね」
「……私は……」
「ふっ……さすがです」
「コウヤ……サマ……コウヤサマ……」
「サラ……サラシ……」
「「!!」」
カチカチと揺れる牙から、まるで人のように言葉が紡がれる。
ゾクリと二人の背筋に冷や汗が流れた。
「コウヤ……サマ……コウヤサマ……」
「サラシセ……サラ……サラシ……サラ……シセ……ン」
紅夜を崇める声、そして紅夜会にとって宿敵となっている咲楽紫千……
咲楽紫千麗音愛のことだ。
妖魔は少しずつ進化している――。
「穢らわしい化け物め!! 玲央先輩の名を気安く呼ばないで!!」
琴音は激高し、更に斬撃を早めていく。
◇◇◇
「じいちゃん!! 何があった!?」
緊急警報はすぐに解除されたが、麗音愛は許可を得て現場に向かった。
初めて来る場所だった。
小さいが美しい神殿のような建物。
非常警報のランプがところどころ点灯している。
そこには剣五郎と他の団員が毛布をかけられ座り込んでいた。
白衣を着た医師団が診察をしている。
「怪我は……!」
「怪我人はおりません、内科医の診察はここまででです」
「え……?」
「混乱が激しい患者もおりますので、専門を今呼んでいます。病院での診察になるでしょうが……」
怪我はないのに、混乱が激しい?
麗音愛は座り込んだ祖父の顔を覗き込む。
「玲央……儂は……儂達は……」
「一体どうした!? なにがあったんだ……」
「う……奪われてしまった……いや、儂らが、自ら渡したのか……何故」
剣五郎の手は震えていた。
大事なものを包むような手は空虚を掴む。
麗音愛が握りしめる。
「団長から返答はそういう指示はしていないと! やはり略奪行為です!」
どこからか団員の声が聞こえた。
「略奪? 一体何を奪われたんだ? 明橙夜明集?」
「……篝さんの……篝さんの……」
「篝さん? ……椿のお母さんの桃純篝さんの?」
「遺骨だ……」
「……遺骨……」
その答えに、麗音愛も動揺する。
実感はなくとも、麗音愛にとっても生みの母。
紅夜会に間違いはない――!
そう確信する。
「誰だった!? 闘真か!?
皆怪我もなくて……本当によかった」
「違う……渡してしまったんだ……何も抵抗もできず」
「え……? 遺骨を抵抗もせずに……?」
「抵抗どころか……当然のように」
「じいちゃん……何が……」
「まさか……彼が……そんな」
「……かれ……?」
剣五郎、他の団員の狼狽する様を見て麗音愛も緊張が走る。
何かが起き始めた――。
◇◇◇
椿、琴音と妖魔の闘いは続いている。
数は減っているが、こちらの体力も損なわれている。
「はぁ……っ、椿先輩……」
「な、なにっ」
「このまま闘いながら、聞いてください……」
「了解」
戦闘中、敬語を使うのは辛い。いや、これが本来ではなかったかと椿はそのまま素で答えた。
自然に琴音は椿と背中を合わせた。
周りに妖魔が取り囲んでいる。
白夜団としては自然な動きだ。
「……多分、白夜団のなかに裏切り者がいます」
「えっ……!?」
まさかの琴音の言葉。
「静かに……! どこかでそいつがきっと見ています」
「……まさか……」
「私を手中で転がし、椿先輩に危害を加えるように誘導した気になっていることでしょう」
「じゃあ……加正寺さんは」
二人が揃った事で、妖魔もまだ手出ししない。
椿も息を整える。
「私が、椿先輩を傷つけてどうするっていうんですか」
「……嫌われてるのかと……」
「それは、もちろん嫌いですけど」
「そう……だよね」
「それで、椿先輩を陥れて傷つけたり殺したりしたって、そんな事で私は満足しませんよ」
「……う、うん」
「でも玲央先輩を魅了の呪いで惑わしているのなら今すぐやめてください」
「私は……そんな事してない」
「いつかその呪いは私自身で解いて見せます……」
魅了の呪いに関しては、何を言っても信じてもらえないようだ。
「でもそれを餌に私を釣ろうだなんて、言語道断。悪は許せない」
「でもまさか白夜にそんな……」
「まさか、なんて言えない組織ですよ。まだ信じてるとか? 馬鹿ですか……
もちろん紅夜会の可能性もありますけど、必ず此処に現れるはず……!」
「だから騙されたふりを……?」
「そうです……私を利用しようだなんて、何様のつもり? 言語道断……!
ふざけた悪は必ずこの手で斬り落としてやりますよ」
琴音が振り返り、自信に満ち溢れた顔で微笑んだ。
ほんの少し裏返れば狂気に満ちた笑顔。
寒気がしてしまった椿は、身の周りの炎を熱く燃やしたが、でもこの場を切り抜けられる気がしてきた。
しかし、そうなると雪春がこの場所に来てしまったら、その裏切り者と鉢合わせてしまうかもしれない。
早く琴音に言わなければ、そう思った時に巨大な妖魔が二人を分断した。
ひらり、ひらりと一枚、二枚、桜の花が揺れ落ちる。