あなたがいたから
初めて食べる料理に、初めての音楽、踊り。
戸惑いながらも手で舞い踊った椿は、可愛いと前のステージスペースに連れ出されてしまった。
記念に貰った写真を片手に、花の首飾りを付けたままの椿は車で感動と満腹の溜め息をつく。
「お腹いっぱい……ありがとうございました。すごく楽しかったです
沢山ご馳走になってしまって」
「当然の事だよ、喜んだ顔が見れてよかった」
支払いは終わっているよと言われ、椿は財布を出す事もなく帰りの車のなかだ。
麗音愛に帰宅すると伝えると、マンションの玄関で待ってると返事が来た。
「これ、ホワイトデーのお返しだよ。玲央君と食べて。
あ、お出迎えだね」
マンションに着くと、有名チョコレート店の紙袋を渡される。
出てきた麗音愛が頭を下げたので、雪春も片手を上げて応えた。
「えっ……こんな立派な……お菓子」
「遠慮はなしだよ、お返しなんだから。
玲央君以外にも、甘えられる存在がいたっていいでしょう」
「……ありがとうございます」
「僕も楽しかったよ、ありがとう」
また御礼を言って車を降りる。
駆け寄ってきた麗音愛と一緒に頭を下げ、雪春は帰っていった。
「麗音愛、ただいま」
「うん、おかえり……」
繋いでいた手を離して、椿をジッと見つめる麗音愛。
「なぁに?」
「今日も可愛い」
「え!?」
「俺達、全然似てないのになって思ってさ」
雪春に『僕は椿のお兄さん』と言われると、つい自分達の関係性を思い出してしまう。
「……麗音愛はすごく綺麗だもん
母様にきっと似てるのかも」
「俺が? ……あの絵の写真見せてもらってもいい?」
「うん」
二人でマンションの玄関ホールにあるベンチに座って椿の携帯電話を見る。
油絵の篝。
優しい美しい笑みをたたえている。
「すごく綺麗な人だよね」
「うん……」
姿を見ても、やはり自分の母だとは実感は湧かない。
椿は麗音愛と篝を交互に見ると、確かに面影があるような気がした。
「……あの夜に、おばあさんに会ったの覚えてる?」
「うん、お祖母様……泣いて抱き締めてくれたよね
……私達を……ううん、きっと麗音愛を抱き締めたんだよ」
屋敷の廊下で会った、椿の祖母――つまりは麗音愛にとっても祖母だった。
まさか戻って帰ってきた孫二人を、抱き締めにきたのだろう。
「椿の事もだよ。
赤ちゃんの写真、ごめんね。椿の写真だと思ってたのに、俺の写真だったなんて……」
麗音愛的には、椿の写真を少しでもと思い必死に持ち帰ってきた写真だったので
自分だと言われると申し訳ない気持ちになる。
「ううん、母様は大事に飾っていたんだよね
あそこにあった絵や折り紙も、きっと麗音愛の……」
「うん……まぁいいや」
「え?」
「兄妹の実感が湧いてきて」
「うん」
「キスできなくなったら困る」
「も、もう……!」
ポカポカされたので、抱き寄せて軽くキスをした。
防犯カメラもあるので、これ以上はできない事が歯がゆく感じてしまう。
あの二人での逃亡生活は本当に甘い蜜月だったと、実感する。
「俺も、加正寺さんとコーヒー飲んだのに、ごめんね
でもやっぱ嫉妬……」
「……ううん……ごめんね」
椿は、雪春からの告白を麗音愛に話すべきだと思っていたが
今日の雪春の態度は今までの距離感となんら変わりなかった。
むしろ落ち込んだ自分を慰めるための言葉だったのでは? とも思ってしまい
それを、わざわざ言わなくていいのではと椿は言わないことにした。
「違う、椿は悪くないんだ。車もあって、いい店知っててさ、そういうのカッコイイって思う俺が
カッコ悪い嫉妬をしてるだけなんだ」
「今日のお店も、楽しかったよ。でも……」
「うん」
「今のこの明るくて綺麗で、素敵な世界に導いてくれたのは
麗音愛だもん……麗音愛がいなかったら何もなかった」
「そんな事ないよ」
「そうだよ、だから今の全ては麗音愛がプレゼントしてくれたものなの」
「椿……」
二人がまたキスを交わした夜……。
地方都市の人通りの少ないビル。
何かの集会でも行われたのだろうか、『明けの無い夜に』がかかっている。
「あ……いやだぁ……死にたく……な……喰うな……俺を……やめろぉおおお」
先程まで死を、終末を叫んでいたはずの男は
それを最後に後ろから襲いかかった妖魔に喰われていく。
《サラ……サラサラシセン……サラシ……サラ……》
はっきりと言葉にしだした妖魔を見た違う妖魔も同じように
口ずさんでいく、呪いの言葉。
血に濡れた牙が、咲楽紫千の名を繰り返す。
◇◇◇
窓から入る陽がまた少し暖かくなってきた、ある日。
教室で女友達に囲まれ、モデルのような笑顔の琴音。
「なぁ~加正寺さん、今日の放課後遊ぼうよ」
声をかけてくる男子を一瞥する。
「私好きな人がいるから」
「……ねぇあのダサ男でしょ? 二年の駆け落ち男? やめとけって~」
まるで呆れたように、男子は笑う。
琴音の笑顔は凍りついて、冷たい瞳で男を見た。
「玲央先輩意外のこの世の男はゴミクズ。
塵芥と同じだと私は思ってるからさっさと消えて」
「なっ……」
「消えなさいゴミ」
琴音の取り巻きは、麗音愛を貶す話題が禁忌な事は知っているため
慌てた男の背中を押して退かした。
しかしイエスマンばかりでも、それ以上の仲にはなれないと日頃から思っていた女子がいい機会だと琴音に話す。
「ねぇ玲央先輩との出逢いってなんだったの?」
「んー? すっごく運命的よぉ
命を救われたの」
「えー本当に!? すごい」
「えぇーそれは好きになっちゃうかも」
この現代にそんな場面あるわけないだろ。と思いながらも指摘する女子は誰もいない。
加正寺家の令嬢に好かれたい欲望。
令嬢でもありインフルエンサーでもある。芸能界との繋がりもある。
彼女の特別になれば、自分にも何かチャンスが巡ってくるはず、とこの場の女子全員が思っている。
そして、琴音もそんな事は承知だ。
「玲央先輩は
つまらない、死んでもいいと思ってた日常を一変させてくれた……
あの日に、私は死んだの……今の私を玲央先輩が導いてくれた。
玲央先輩がいなかったら……今もきっと死んだように生きてたなぁって思う」
どこか遠くを見るような目で、琴音は囁く。
周りはもちろん何を言ってるのか意味不明だが、曖昧に返事をする。
美子は逃げ、皆にも反対された白夜団戦闘員だったが
SNSのいいねだとかフォロワー数だとか、人気者の男子に好かれるだとか
みんなが興味津々のエッチな事をしてみるとか
そんな事の何十倍も妖魔との闘いは琴音にとって刺激的でとても楽しい。
頭の良い家柄も良い、イケメン当主達との会議も楽しい。
高校生のクラスメイトなど、本当に塵芥に思えてしまう。
その強さの頂点に『咲楽紫千玲央』はいる。
地獄すら操る身悶えする強さに、美しさ。
「でも、渡辺椿と付き合ってるんだよね」
うっとりした琴音が現実に戻された顔をして、周りが発言主を慌てて見る。
「あっ……なんか、このままでいいのかなって思って」
「そう、そうだよね~、二人の幸せを見守ってる感じなのかな?」
「私は絶対琴音ちゃんの方が似合ってると思うな!」
ご機嫌を損ねられると自分が困ると、皆がフォローしだした。
「そうそう、渡辺椿なんか大した事ないんだよね」
「だよねぇ、おかしいよね」
「いいの? このままで」
「いいのかって……??」
ふふっと琴音が微笑んだので、少しホッとした取り巻きだったが
「いいわけないでしょ」
そう言った時の笑顔を見た全員が背中に強い寒気を感じた。