二人ぼっち逃避行
麗音愛と椿は電車に揺られていた。
海で乗った時とは反対の電車。
少し麗音愛が動くだけで、椿は右腕に絡ませた腕に力を込める。
寄り添うようにして右手も握られていて
離れていた間の椿の寂しさが伝わってきて胸が締め付けられた。
こんなにも求められている……嬉しさと辛さ。
麗音愛はそっと椿の頭に、自分の頭を寄せて目を閉じる。
二人で携帯電話を学校の靴箱に押し込んで、そのまま逃げ出した。
すぐに銀行で下ろせるだけの金を下ろし
大型の量販店で、パーカーやジーンズ、帽子やリュックを買って着替えて電車に飛び乗った。
椿は不安も口に出さずに、着いてきてくれた。
今頃どういう状況になっているのか見当もつかない。
いつの間にか、もう夕方の陽が差し込んで
いつか海の帰りに見た幸せなオレンジ色で電車内は包まれる。
あの日も、隣に寄り添うこの温かさを守っていこうと決めて
自分の惹かれる想いに鍵をかけた。
それでも結局、想いを封じる事はできなかった。
今も結局、椿を選んだ――。
「……そろそろ降りるよ」
「うん」
電車から降りても椿は、ぴったりと寄り添ってくる。
「少し飛ぶね」
「うん」
数日分の食料も買って、麗音愛は椿を抱き上げて呪怨の翼で飛んだ。
紅夜会が自分達の居場所を把握しているのか、わからない。
できるだけ気配を消そうと、最小限の使用に留めた。
着いたのは山の中だった。もう辺りは暗い。
整理された道を少し歩くとキャンプ場に着いた。
1つだけ灯りの着いたセンターハウスに麗音愛は椿と入っていく。
「すみません、時間ギリギリで」
言われたままに、手続きの書類を描く。
全て偽名と、架空の住所だ。
「はいはい、斉藤さん……山田さん……ね。
ここの利用は初めてですよね」
「あの、咲楽紫千剣一さんと知り合いで何度か……」
「あぁ剣一君の? 後で来るのかな?」
急に明るくなった中年男性の笑顔に麗音愛も、笑顔で答える。
「近くまでは送ってもらったんですが、彼忙しいようで
でも来れたら……来るかも? 人数が増えたら連絡します」
こんな山奥に車も無しで現れれば、不審がられるとまた嘘をついた。
「そうか、そうか。大学生でどんちゃん騒ぎされると困るんだけどさ
剣一君の団体はいつもマナーいいから、良かったよ。
オフシーズンだからここのセンターハウスも、もう引き上げさせてもらうから」
幼く見える椿は、帽子を深くかぶって麗音愛の後ろで隠れるようにしている。
「数日、ここで標本の採取や研究をまとめたいと思っています」
「あぁここの山は色々採れるから頑張って。もちろん区域内でね。
じゃあゴミはこのゴミ袋に入れてください。
鍵はこれ。端のコテージの102です。あと数名いらっしゃるから夜はお静かに。一応ね」
「どうも」
山奥のキャンプ場だった。
雪が少なくスキー場もない為、冬は人気もない。
無事に鍵をもらってセンターハウスを出ると、椿は安堵のため息をついて
またすぐに麗音愛の手を握った。
「椿、借りれて良かったよ」
「うん、ドキドキしちゃった」
「疲れたよね、長い時間ごめんね」
「ううん、大丈夫」
「ゆっくり休もう」
「ここ来た事あるの?」
「実はない」
「えええ!!」
驚く椿に、少し笑ってしまった。
麗音愛の笑顔を見て、椿も少しホッとしたように微笑んだ。
兄の名前を借りたのは情けないと思うが、今は仕方ないと諦めた。
コテージの鍵を開けて灯りをつける。
「わぁ……すごい! テントじゃなくて、お家なんだね」
「うん、コテージだから。
台所もお風呂もあるし、テレビもあるし温かく過ごせるよ」
剣一が此処を気に入っていて、何度も来ている話を聞いていた。
ロフトタイプのコテージは、不自由なく過ごせる。
キョロキョロと椿が見回した。
「すごく素敵だね!」
「本当は綺麗なホテルでも泊まろうかなって思ったけど
年齢誤魔化せるか自信がなくて、ここの次はスーツでも買って、そういうとこに……」
荷物を降ろした麗音愛にボスッと椿が抱きつく。
「二人きりになれて嬉しい……麗音愛……」
「……うん……俺も……」
もう18時になっていた。もう外は暗い。
センターハウスの係員も車を出す音が聞こえる。
二人で部屋中のカーテンを締めて、荷物の整頓も終えて、暖房をつけてふぅと一息つく。
「じゃあ、ご飯食べよう?」
椿がにっこり明るく言う。
「そうだね」
まだ食欲はなかったが、色々と弁当や食材を買い込んできた。
三日は滞在できるだろうという考えだ。
「私、スープ作ろうか?」
「大丈夫だよ。買ってきたお弁当でいい。ゆっくりしよう」
「うん」
椿には話さなければいけない。
どう思われるのか、泣かれて拒絶されるかもしれない。
今までの想い出が悪夢になるかもしれない。
「……麗音愛……?」
微笑んでいても、すぐに不安そうな顔をする椿。
それは自分が虚ろな顔になるからだと麗音愛もハッとする。
「あ、なんでもない。ごめんね食べようか」
こんな状況で不安になるのは当たり前だ。
自分がより不安にさせてどうする、と麗音愛が笑うと椿も安心したように頷いた。
お弁当や惣菜を温めて、木のテーブルに並べる。
椿は麗音愛の前ではなく、隣に座った。
「はい、あ~ん」
卵焼きが口元に寄せられる。
「えっ」
「麗音愛、あーん!」
今の椿は恥ずかしさより強気が勝ってる。
「あ……あむ……」
既製品でも、甘じょっぱい卵焼きが口いっぱいに広がる。
ここしばらくは何を食べても味もせず、吐く事すらあったのに
柔らかく優しい美味しい味に、戸惑うほどだった。
「麗音愛痩せた……」
「……ん……そうかな……」
「うん……急には一気に食べられないかもしれないけど……
少しでも食べてほしいよ」
「……ありがとう」
「次は何食べる? 煮込みハンバーグもあるし
唐揚げも、コロッケもね、あとほうれん草のおひたしと……マカロニサラダも」
惣菜を色々見回す椿。
ふと気付けば、麗音愛が好きなものばかりだった。
食欲もなく、食材を買う時には椿が食べたい物をと伝えていたのに
椿は麗音愛の好きなものを色々買っていたのだ。
なんだか泣きそうになって横に座る椿を抱き締めてしまう。
「どんな話を聞いても、私……麗音愛の傍にいる」
「椿……」
それが『いけない』事になってしまうのに。
早く話さなければいけない。
そうは思うが、でも、まだ……。
「唐揚げ食べて? はい、あ~ん」
無理して明るく笑う椿。麗音愛も微笑みながら唐揚げを頬張った。
椿も初めて会った時のように、少し頬がやつれたように見える。
「椿も痩せた?」
「ダ、ダイエットだよ!」
そんな必要もないのはわかっている。
「はい、椿もあ~ん」
「むぐ……うん、美味しい。
麗音愛と食べるとなんでも美味しいな」
「……俺もだよ」
遅れて、離れたこの山にも雨が降ってきた。
夕飯を食べ終え、片付けてソファで二人で温かいココアとコーヒーを紙コップで飲んでいる。
ふと今頃、白夜団ではどんな騒ぎになっているだろうかと思い
そんな考えを頭から追い払う。
こんな生活を続けられるとは思ってはいないが、それでも今は考えたくない。
こんなワガママは許されない……それでも……
それ以上の想いはブチブチと引き千切るように考えないようにした。
椿はソファでも麗音愛の腕を抱いてぴったりくっついて離れない。
ふわふわした厚手のパーカーでも、椿の柔らかさが伝わってくる。
あぁこんな時に、と煩悩が恨めしい。
妹だ……と思えない自分がいる。
だからこんなに苦しんでいる。
「……椿、テレビでも見る?」
「……ううん」
携帯電話も置いてきて、二人でいつもしていたゲームもできない。
テレビ台の中にオセロセットがあるのが見える。
「オセロでもする?」
「……ううん……こうしてるだけでいいんだもん」
「……椿」
「私……最低だ……」
「え?」
「紅夜を滅ぼさなきゃ、罰姫と呼ばれても死んでも討つ……って思ってたのに」
紅夜の娘、としての責任を椿はいつも感じている。
感じなくてもいい、責任をこの細い肩に背負っている。
「今は……麗音愛とただ、こうしていたい……。
麗音愛と一緒にいたい……」
紅夜の娘でも幸せになる権利はあるはずだ。
恋愛して、幸せになる事もできたはずだ。
自分がその幸せさえ奪ってしまうのか。
兄として、妹の幸せを願う。
それが……できない。
「麗音愛……?」
自分を愛してくれる椿を、いつまでも騙してはいられない。
雨が窓を打ちつける。
遠くで雷も聞こえてきた。
「今から、俺が話すこと……聞いてほしい」
麗音愛は身を離そうとしたが、椿は離れようとしないので
抱き締めながら麗音愛は真実を話そうと唇を開いた。