二人きりになりたい
「玲央!!」
お互いに、距離を置いたような日々が過ぎたある日。
昼休みに美子が現れた。
「ねぇ? どういう事?」
「……なに……?」
「椿ちゃんとの事、噂になってて……」
「あぁ……」
麗音愛の耳にも『別れるんじゃないか』と噂になっている事はわかってた。
今までは校内でも付き合っている事が嘘のように言われていたのに、こうなると『別れ』を望まれる。
皮肉もいいところだ。
「あれ……渡してないの……?」
「あぁ……うん……」
あれとは、もちろん指輪のことだ。
まるで魂が抜けたような麗音愛は、黙って参考書を読んでいる。
「ねぇ! どうしたの? 話なら聞くから……」
「玲央せんぱ~~い」
麗音愛と対象的に、お肌も艶々の笑顔の琴音が現れた。
「……あなた……まだ玲央のとこ来てたの?」
「えぇ? 藤堂先輩、怖い顔してどうしたんですかぁ?
週末のお泊まりの話したくって~」
「なに? お泊まりって何よ?」
「あ~えっと、アルバイトですよね」
「……任務だよ……」
周りには聞こえないように、麗音愛は呟く。
琴音は相変わらずだったが、校内で話しかけてくるのは久しぶりだった。
目立つ美少女二人に話しかけられ、教室内でも廊下からも注目の視線が集まった。
さすがに最近の気落ちしている麗音愛を見て、カッツーや西野も石田も深くは追求せず見守っている。
そこへ、たまたま廊下を歩いていた龍之介が麗音愛と女子二人を見て激昂し教室へ入ってくるなり怒声を上げた。
「てめぇ! 玲央!!」
座っていた麗音愛の机を蹴り、学ランの胸元を掴み無理矢理立たせる。
「なに、椿泣かしておいて
てめぇは女とイチャついてやがんだよ!?」
「……離せよ」
いきなりの修羅場に、教室内にカッツーの悲鳴が響きカッツーはどこかへ走り去っていった。
西野も石田も傍にいたが、龍之介のあまりの形相に恐ろしさで動けない。
「龍之介、なに考えてるのよ!!」
「きゃー龍先輩やめてくださぁい!!」
「うっせーよ!!
お前が勝手にラブコメしてよーが俺はかまわねーけどよ
椿にあんな顔させといて何しやがってんだよ!!」
「……黙れよ……」
「なんだと!!」
「……離せ……」
何も響かないように、麗音愛は虚ろのまま言う。
龍之介が麗音愛の頬を殴り、そのまま後ろの机に吹っ飛び、また悲鳴があがる。
声の中には『そうだ、さっさと別れろ』や『ざまぁ』というような中傷も混ざっていた。
「てめぇ俺がバレンタインデーの時に
家を留守にしたのが、騙された結果だとでも思ってんのかよ!!」
麗音愛の口から血が流れるが、片手で拭い立ち上がる。
「俺はなぁ、椿の幸せを考えて
お前みたいなクソ野郎でも……! 俺は!」
『椿の幸せ』を何度も考えた。
何度も何度も何度も。
「……うるせぇよ……」
「この野郎!!」
美子や琴音の静止も聞かず、また龍之介は麗音愛の胸元を掴み殴りかかろうとした。
「やっやめて!! 釘差君……!?」
カッツーが呼びに行ったのか、教室の入り口で椿が叫んだ。
机が散乱し、今にも殴ろうとしてる瞬間に椿が飛び込む。
「何をしてるの!?」
ふわりと、麗音愛と龍之介の間に入って二人を離れさせる。
腕はしっかりと、麗音愛の腕を掴んで寄り添う。
今までと同じように。
「……椿」
「麗音愛、大丈夫?」
痛みも何も感じなかったのに、椿に触れられたら切れた唇がズキリと痛んだ。
「かばうなよ、椿!
お前が毎日泣いてんの知ってんだぞ!!」
「な、泣いてなんか……」
「なんも無理して、こいつといる事ないだろう!」
登校は一緒にしていたが、不自然なほど話さずお互い前を向いて学校へ向かう様子を龍之介は毎日見ていた。
「私は……無理なんか」
「てめぇそれでも男かよ!?
好きな女泣かせて、ここまでクソ野郎だと思ってなかったぜ!!
この場で白黒つけやがれ!!」
龍之介が間に入る問題ではないはずなのだが同じように野次を飛ばす者も多数いる。
好き勝手に『別れろー』と言う声がする。
「玲央先輩は優しい方ですから、同情しているのかもしれませんよ」
誰に言っているのか琴音だけが麗音愛を擁護し、美子は後から走ってきた佐伯ヶ原に事情を話していた。
「中途半端に泣かせてるなら
今この場でハッキリさせろ!!」
「……! わ、私は……」
「椿は黙ってろ! こいつに聞いてる!!」
麗音愛の腕を掴む椿の手に力が込められた。
小さな華奢な手、少し寄り添うだけで感じる体温。
それだけで涙が出るほどに感じる……椿への愛情。
「……椿……」
その手に麗音愛も触れた。
椿も、また優しい温もりに胸が熱くなる。
どんなに今の状況から察して、諦めようとしても溢れる愛情は椿も同じだ。
いつの間にか、お互いに手を握り合っていた。
「……麗音愛……」
「話が、したい」
「……うん……私も」
「うん、行こう」
麗音愛はそのまま、椿の手を握って教室から出て行こうとする。
「おい! 玲央!!」
「お前にも、ここにいる誰にも、椿は渡さない」
それは、どういう立場で言ったのか麗音愛にもわからない。
恋人としてなのか、兄としてなのか。
また、キャーと周りの歓声があがって麗音愛は椿をそのまま連れ出す。
龍之介が追いかけようとしたが佐伯ヶ原が飛び蹴りを食らわし
切れた龍之介が大暴れしだして梨里も駆けつけて乱闘が始まった。
麗音愛は外へ出ると、屋上へ椿を抱いて降り立つ。
もちろん立入禁止で他に人はいない。
まだ冷たい風が二人の頬を撫でる。
それでも椿の心はさっき麗音愛が言った言葉に、胸が熱くなっていた。
「……麗音愛……」
麗音愛は、このまま抱き締めていたい思いを断って、椿を下ろして離れた。
椿も麗音愛の顔をしっかり見たのは久しぶりだったが、憔悴しきった顔を見てショックを受けた。
そして、悟る。
「……私達のこと……知られてしまった……の?」
ボロボロになって傷付いた顔。
下を向く麗音愛の瞳から、涙がひとつ溢れたのを見て
椿の瞳からも大粒の涙が溢れる。
「だから……? 麗音愛……私……」
椿はきっとバレて反対される時がくれば、白夜団に呼ばれ自分が厳重注意や処罰されるだろうと思っていた。
あの優しい団長・直美もきっと態度を変えるのではないかと思っていた。
何も態度の変わらない、むしろ優しく接しくれたあの直美の影で
麗音愛が苦しんでいたとは――思いもしなかった。
「……もう、なにもかも嫌なんだ……」
初めて聞く、麗音愛の弱音だった。
「……もう、何も考えたくない……」
「麗音愛……ごめんなさい、私の、私のせいで……ごめんなさい……」
「違う……椿は、何も悪くない……」
ダンスパーティーの夜。二人で踊って、結ばれた屋上。
肌寒い曇り空から、冷たい雨が少しずつ降ってきた。
コンクリートの床をより深い灰色に染めていく。
「俺は……椿と一緒にいたいんだ……
もう他の事なんて考えたく、ない」
「……麗音愛……」
その言葉を聞いて、椿は麗音愛を守るように抱き締める。
「もう……椿と二人きりの世界に行きたい……」
「うん……」
麗音愛が情けないとは思わなかった。
椿はむしろ今、愛しさで胸が張り裂けそうで、
酷い状況には間違いないのに、麗音愛の言葉が嬉しくて涙が溢れてくる。
「でも……話さないといけない事があるんだ……」
麗音愛も、椿を抱き締めた。
抱き締めれば心が痛むが、今はもう抑えられない気持ちのまま抱き締めた。
「うん……うん……」
麗音愛がここまで苦しむという事は、何かよほどの事だろうと椿も覚悟する。
それでも抱き締め合うだけで、椿はもう涙が溢れて溢れて必死で麗音愛を抱き締める。
「私、今は何も聞かない……だから……」
「……椿……」
「……誰にも何にも見つからない場所に行きたい
二人きりになりたい……お願い麗音愛……そこで……話そう」
自分を押し込めるばかりの椿の、切なる願い。
それは麗音愛も同じだった。
「うん……俺と一緒に来てくれる……?」
「うん……うん……もちろんだよ……麗音愛……うん……」
冷たい雨が二人を濡らしてもお互いの温もりを感じて、また強く抱き締めあう。
これから何が起きるかわからなくとも、唯一の愛が消えていない事だけが嬉しくて椿の瞳からは涙が溢れ続けた。