真っ暗闇の孤独
夜、うなされる椿。
「……かあ……さ……ま……?」
あの誕生日の夜……。
母に頭を撫でられる椿。
『……なければ……』
母に抱きついて、微笑む椿の頬に落ちる涙。
『……母様……?』
『守らなければ……』
『まもら……?』
『守らなければいけないの……ごめんね……』
『なにを……?』
『ごめんね……可愛い寵……』
ぎゅう……と強く抱き締められる。
何もわからず、椿はケーキを早く食べたいと思った事を思い出す。
そして目を醒ました。
朝を告げる目覚まし時計の音。
びっしょりと汗をかいて、泣きすぎて瞼が腫れているのがわかる。
泣き腫らしたのは、麗音愛を想っての事だったが、夢でも泣いていたのだろうか。
もそ……と起き上がるが、また寝転んでしまった。
携帯電話を見ても、あれからお互いに何も連絡をしなかった。
友人達のグループメールの未読が増えているだけ。
椅子にかけてあった、母の形見の羽織をぎゅうっと抱き締めた。
思い出した母の言葉。でも椿には意味がわからない。
あの後に自害した母。
それが何を守ることになったのだろうか。
娘を残して逝く以上に何が大事な事があるのだろうか。
結局その程度の価値しか自分にはなかったんだと、椿の心が一層暗くなっただけだった。
麗音愛に対しても椿なりに勇気を出して訴えた言葉が届かなかった。
誤魔化されたと確信はあるが、それからどうすればいいのか、もうわからない。
◇◇◇
咲楽紫千家の朝。
静かな朝だ。
麗音愛と直美が、朝日の入るリビングにいた。
「玲央……顔色がすごく悪いわ」
「……別に、大丈夫だよ」
朝食はもちろん、コーヒーも飲まず水だけ飲む麗音愛。
「任務を無理して入れてない?」
「全然。人手足りてないんでしょ。いいじゃない」
「……そうね、助かってはいるのよ。ありがたいと思っているの」
「うん」
「……でも」
「はよーっす!! 今日の朝飯はパン??
……どした? 親子揃って顔色悪いぞ」
元気にリビングに出てきた剣一を、二人が見つめる。
「おはよう」
「おはよう剣一、まあ疲労も溜まってるからかしら」
「母さんも少し休めよ~。
……んで玲央、お前連日任務入れてるだろ~」
この悩みも、何も知らない兄には話せない。
今日の当番の直美が剣一のコーヒーを注ぎに台所に行ったので、剣一が耳打ちする。
「椿ちゃん、心配すっぞ」
「あぁ……大丈夫」
「本当かよ」
「今、大技開発中なんだよ、はは」
誤魔化すようにして、笑う。
「浄化までお前がしてるって話を聞いたんだけどよ」
「うん……少し勉強してるだけさ」
「治るったって、みんな心配するんだ。
母さんも、恋人だって。もちろん家族も友人も。だから自分を傷つける行為はするなよ」
「……あぁ……わかってる
兄さんこそ、あれだけの強さなんだからそろそろ恋人作ったら?」
「生意気言うな、弟が」
コツンと拳を額に当てられ、ニシシと剣一が笑う。
何も知らないで、自分を弟だと大事にしてくれた兄。
幼い頃からの想い出。
それすら自分が騙していたかのように思えてくる。
「俺、もう行くね」
「んー? 早いな、いってら」
「れ、玲央……」
玄関に向かう麗音愛を直美が追いかける。
「……なに?」
「あの……家族の絆は何も変わらないのよ、剣一もおじいちゃんも、母さんも父さんもね」
剣一には気付かれないように、小声でしかし訴えるように直美は言った。
「……うん……」
かすれた声での返事。
「椿ちゃんだって……うちで……家族に」
それ以上は聞きたくない。
「椿のために別れる必要があるのはわかってる……」
「伝えたの……?」
「まだだよ……じゃあ行ってくる」
ぼんやりとした様子の麗音愛を見て、直美も辛そうに涙を拭いリビングに戻った。
「おはよう椿」
「おはよう」
いつも明るい太陽のような微笑みを見せてくれるのに、今朝は玄関扉の方を向いたまま
椿は先に歩きだす。
麗音愛は少し急いで隣を歩いて、お互いに前を向いたままポツリポツリと話をして学校へ向かう。
「私も、任務入れるね」
「え?」
「麗音愛もいっぱい頑張ってるから、私も頑張る」
「椿……でも」
「大丈夫、お互いに大事な戦力だもの。しっかり考えて分散して入れてもらうよ」
それはつまり、麗音愛との任務配置はしてもらわないという意味だろう。
「椿……」
「うん、じゃあまたね。寄るとこあるから先に行く!
麗音愛は風邪早く治るように……安静にね」
こちらも見ずに、行ってしまおうとする椿。
「……椿、待ってよ」
振り返った椿は、腫れた瞼、泣き腫らしたような瞳で……。
言葉が出なくなる。
「あははっ、昨日映画見て……泣いちゃったの! えへ恥ずかしいなー」
「そ、そう……なの?」
「うん、じゃあ」
それ以上は追えなかった。
『別れを切り出す』なんて上から目線もいいところだ。
椿を傷つけて、泣かせたのは自分だと麗音愛もわかった。
作り笑顔なんかでは騙せない絆があるのだ。
何度向かい合って、笑って、想いを伝え合ってきたのか。
誤魔化している事などすぐにバレてしまう。
意味もわからず距離を置かれて、椿が麗音愛を嫌う可能性なんて普通にある。
そんな酷い男と親友でなんていられるわけもない。
「……椿……」
だけどそれ以上、追えるわけもない。
椿に嫌われても、椿が他の男を選んでも、何ももう言えないのだ――。
◇◇◇
椿が教室に着くと、佐伯ヶ原が驚いた顔をする。
「小猿? とてつもなく不細工な顔になってるぞ?」
「あははー!!」
参ったぁとオーバーリアクションで椿が笑った。
「ばっかやろう……冷やしたか?」
「あぁ……冷やせば戻るんだね」
「アイスノン、アトリエにあるから持ってきてやる」
「あー別に」
「こっちが困る」
「……ごめんなさい」
最近もまた佐伯ヶ原の絵のモデルをしていた椿。
「何があった?」
「何も……わからない、から何もないんだと思う……」
「あ?」
椿の正直な答えだった。
周りからも心配され何度も『映画を見て泣いてしまった』と椿は言ったが椿のファンは何か二人の交際であったんだろうと心配しつつも陰で喜ぶ者もいた。
「椿ちゃん、サッカーしようぜ!」
その情報を聞きつけたのか、川見も教室に来るようになる。
椿は苦笑いしながらも皆と話をしたりして日常を過ごしていた。
佐伯ヶ原も何か思いながらも、口を挟めない空気を感じる。
◇◇◇
椿も今まで以上の任務を希望し、人手不足のため一人での作業となった。
麗音愛とのメールや電話は、続いている。
それでも、差し障りのないメール。
『今日は俺も任務12時過ぎまでかかりそう、椿も気をつけて。おやすみなさい』
『麗音愛も、気をつけて。おやすみなさい』
しばらく携帯電話を見つめて、そう返信をした。
「じゃあ、お願いします。桃純さん」
「はい」
林の中に一人。
こんな任務は、どうってことない。
そう思っていたはずなのに、恐怖も痛みも慣れっこだ――そう思っていたはずなのに。
怖い――。
真っ暗な林で、一人で妖魔と闘う椿は恐怖を感じた。
負けはしない、圧倒的な強さで妖魔を殲滅はできる。
だが、あの、いつも守ってくれる腕が、血まみれになりながらでも微笑んでくれる存在がない。
どこかで、期待していた自分が浮き彫りになる。
ずっと傍にいてくれるのだと、自分の価値を感じられてもいないのに期待していた。
ずっと一緒だと信じていた。
あの屋敷で当たり前だった暗闇の孤独。
愛の光と、温もりを知った今、あまりにも恐ろしい暗闇の孤独。
自分の炎がどれだけ輝き、照らしても、心は深い深い黒き闇に包まれる。
これから一人、この真っ暗な闇のなかを一人で歩いていかなければならない――。
あの日、屋敷を飛び出してきた時よりも格段に強くなったはずなのに……。
林の奥の真っ暗な闇、それはこれからの自分の未来。
独りぼっちで闘っていく絶望のような暗闇、それを感じていたのは麗音愛も同じだった。