哀しい嘘
任務から帰宅した椿。
マンション前には麗音愛がすでに待っていた。
今朝と逆の立場。
麗音愛は雪春に軽く頭を下げると、雪春も手を軽く上げて車は去って行った。
「雪春さんに送ってもらったんだ」
「うん……麗音愛、夕飯いらないなんてどうしたの? お昼は食べたの?」
「寝てたから……」
「……食べてないの? 大丈夫?」
「全然、平気だよ」
そうは言っても、麗音愛はふらふらして辛そうな様子だ。
車のなかで電話をかけて聞いたが、夕飯はいらないと言うので椿が少し強引にコンビニに行こうと誘った。
雪春のテイクアウトの提案は断ってしまったが雪春は優しく笑っただけだた。
「少しでも……食べよ?」
「雪春さんと一緒だったら美味しい店とか連れて行ってくれたんじゃないの?」
「テイクアウトのお店……言われたけど……」
「言われてたの?
……じゃあコンビニじゃなくて、そうすればよかったのに」
「私は、麗音愛と……」
「雪春さんなら、どこでも連れてったり、なんでもしてくれるんだろうな」
「……麗音愛……?」
「ああいう人と付き合うのが……幸せ……なのかな
大人で優しくて、強くてさ……」
椿も見ずに、かと言ってどこを見ているのかわからない瞳で麗音愛は話す。
「麗音愛……」
「絡繰門の当主だし……かっこいいし
俺なんかより全然……張り合ったってどうしようもなかったよな……」
自虐的に笑うが、痛むのは椿の心もだ。
「どうして、そんな事ばっかり言うの?」
「いや……付き合うなら、ああいう人がいいんじゃないかなって……」
「私が雪春さんと付き合えばいいって思ってるの?」
「…………そうじゃ、ない」
少しの間が空いての返答に、また椿の心は痛んだ。
ぎゅっと胸元を押さえてしまう。
「椿も雪春さんと、仲良くしてるしさ」
「な、仲良してるって……」
「別に責めて無いよ、仲良くていいんじゃないかなって」
兄として生きていくのなら、椿の幸せを見守っていかなければいけないのか――。
雪春のような相手なら……と麗音愛も思いながら心は傷ついていく。
「……麗音愛も琴音さんと仲良く任務に入ってる」
「えっ? ……仲良くなんかしてないよ」
「じゃあ私もしてない」
「俺は任務で一緒になって、任務内のワゴンバスで帰ってきただけだよ」
「……確かに、雪春さんに送ってもらったのは任務じゃないけど……
麗音愛だってチョコレートもらったって聞いたよ」
一瞬、椿は琴音の微笑みを思い出す。
勝ち誇ったような笑みだった。
「え? チョコ……?」
「一緒に食べてくださいねって言われた」
「チョコ……? あ、あぁ……」
ぼんやりとしたワゴンバスで、何か渡されかばんに入れられた。
全く聞いていなかったので、かばんの中に入ったままだろう。
「忘れてた……だけだよ」
だが、椿にはわかりようもない。
あの含んだ言い方をされて、不安に拍車がかかったのもある。
「下手な私の料理食べるより、琴音さんの方が美味しいレストランに行けたかもしれないね」
「なに、それ」
「美味しくなかったら言ってくれたら良かったのに」
「美味しかったよ」
「下手な料理なんていらないって言ってくれたらよかったのに……」
こう思われているのでは、と被害妄想がつい椿の口から溢れてしまう。
「なんでそんな事言うの?」
「バレンタインデーから、麗音愛が……っ」
コンビニがある大通りに入る手前、暗い細い道で椿は立ち止まった。
涙が溢れそうなのを必死で耐えてる。
「……椿……」
「麗音愛が……。なんでもない……私、帰る……」
「椿、俺は……」
麗音愛も椿の顔を真正面から見て、また激しく胸が痛んだ。
また暗い道へ戻ろうとする椿。
麗音愛の態度の変化に、椿はもちろん気付いていた。
しかし、引き止めてなんて言えばいいんだろうか。
『親友に戻ろう』しか、言える言葉はない。
その言葉を告げるルートを何度も何度も何度も何度考えても苦しくて吐きそうになる。
「待って! 夕飯どうするのさ」
これではダメだと、麗音愛は椿の腕を掴んだ。
「適当に食べる……」
「いいから一緒に買いに行こう」
「じゃあ、どうしてか教えて……」
「え?」
振り返った椿の瞳は潤んでいる。
「……私の事、避けてる」
「避けてない」
「理由を……教えて……」
椿は椿で、絞り出すように言った言葉。
どうにか二人で乗り越えていけないか、一緒に考えて悪いところは改めて……明日へ続くための言葉だった。
また少し沈黙があって、でも麗音愛は微笑んだ。
「……避けてないよ」
そして、また微笑む。
掴んだ椿の腕を離して、手を少しだけ握る。
でも車が通って、離す。いつものように。
「……わかった……」
「椿、本当だから。避けてない
バレンタインデーのご飯も、俺すごく嬉しくて幸せだったよ」
「……うん、わかった……」
悲しげに微笑む椿。
「コンビニ行こうか」
「……うん……」
麗音愛もどうしていいかわからない。
コンビニの飲食スペースで、カップのスープだけ飲んだ。
椿も、スープだけ。
「俺……ちょっと風邪気味なんだ……」
「……そうなの」
「だから、うん、うつしたら困るって……ごめん」
「じゃあ、もう少し食べないと……お薬は……」
「まぁ家になにかあるだろうし、椿は……それだけでいいの?」
「うん……なんだか疲れちゃった」
「さっきはごめん。避けてると思わせて……
風邪だとか言ったら心配かけるかなってさ」
「私こそ、ごめんなさい……八つ当たりして
何かバレンタインデーに嫌われる事しちゃったのかなって……
料理も下手だから……」
あの最高に幸せな時間。
何もかも夢のような幸せな時間だった。
玄関で、恥ずかしがる椿に軽くしたキスがあれで最後になるとは思いもしなかった。
「椿の料理は最高に美味しかったよ。
ごめんね、勘違いさせちゃって」
そう、原因はその後の恐ろしい事実。
ぐらりと目眩が襲う。
「麗音愛大丈夫!? 無理させちゃったね、もう帰ろう」
熱はないかと、椿の手が麗音愛の額に触れた。
温かい手。
白く、冷たい額。
「うん……帰ろうか」
外では手を繋がない。
両親にばれない為に――。
そんなルール。
全てが今思えば虚しくて、でも今はそのルールに助けられているような気もする。
本当は今だって、触れたくて抱き締めたくてたまらない。
手を握りあったら、止められなくなってしまう。
「今日は部屋まで私が送るよ……」
「いや、大丈夫。ゆっくり休んで」
「……うん……」
三階で降りた椿は、走って玄関に飛び込んだ。
溢れる涙が止めらず、しゃがみこむ。
麗音愛が嘘を言った事を、椿は気付いた。
優しく微笑まれても、それは共有の拒絶。
一緒に支え合い、想いを打ち解け合ってきた二人の関係が崩れていくように思えた。
でも椿には、理由も何もわからない。
ただショックで涙が溢れ続ける。
どうして拒絶されるようになったのか、麗音愛に愛されて少しだけ認められるようになってきた自分の存在意義も崩れていく……。
リビングにいた龍之介が、玄関にいる椿に気付いて慌てて駆け寄ってきた。
「椿!? お前どうしたっ!」
「な、なんでもないっ」
「なんでもないって……」
ぐちゃぐちゃの泣き顔を見て、龍之介は焦るが
椿は靴を脱ぎ捨てて、自分の部屋へ走っていった。