バレンタインデー~幸せのキスのなか絶望へと針は動き出す~
「あー美味かった! ごちそうさまでした! ありがとう椿」
「喜んでもらえて良かった……!
でも、まだだよ……?」
「ん?」
「バレンタインデーなんだもの、デザートがメインだよ」
実はそれも期待していた。
「チョコ……?」
「うん! あ、座ってて! 片付けもいつも手伝ってくれるけど今日は私がやるから。用意してくるから待っててね」
そう言って立ち上がると、ミニスカートがひるがえり絶対領域が大幅に広がって見える。
座っている麗音愛には、中が見えそうになってドキリとした。
「待ってて、いいの?」
「うん、今日は全部やりたいの」
そういう健気さが可愛い。
桃純家の御令嬢で、桃純家の御当主様なのに、いつでも健気で一生懸命だ。
釣り合う男になれるか?
自信がないなんて、もう思っていられない。
必ず釣り合う男になって、幸せにしたい。
この幸せな時間を、椿を絶対に離したくない。
やはり指輪を持ってくるべきだったろうか、しかしメッセージカードをまだ書いていない。
何を書こう。
2人の未来について、椿に伝えたい。
そんな事を考え、しばし待つと、チョコレートケーキとコーヒーが運ばれてきた。
小さな四角いチョコレートのスポンジに、しっかりチョコクリームでデコレーションされて
ちょこんとピンクのハートのチョコが沢山乗っている。
麗音愛の分と、椿の分。お皿が並べられた。
「本命チョコです、えへへ」
「本命……」
『本命チョコもらったぞーー!』と世界に向けて叫びたい。
「ありがとうございます。本命……嬉しくて、嬉しすぎてアハハ……ハートいっぱいだね」
勝手に笑いが込み上げるような、幸せ。
「ハートのチョコいっぱい作っちゃった」
「え、ハートも作ったの?」
「うん」
可愛らしいケーキ。きっと何度も練習してくれたんだろう。
沢山のハートが嬉しい。
「……そっちで食べていい?」
「え?」
「椿の隣で食べたい」
「う、うん」
狭いスペースになるが、傍に行きたくなってワガママを言ったが、椿がケーキ皿を2つ並べてくれた。
コーヒーも手を伸ばして並べる。
「椿ありがとう」
隣に座って、顔が近づくと嬉しさが更に沸く。
「麗音愛……バレンタイン、おめでとう? ふふ」
「何ていうんだろう。あは、バレンタインおめでとう」
2人でクスクス笑う。
「食べてみて」
「お願いがあるんですけど、椿さん」
「は、はい」
「あの……こうやって……ほしい」
口を開けて、ひょいひょいとケーキと自分を指差すと、椿もわかったようだ。
「あ、はい……あ、あ~ん」
フォークでチョコケーキを刺して、口元に。
ドキドキだ。
「あ、あ~~ん……ん、うま」
憧れの、彼女からの『あ~ん』
我ながら恥ずかしいが、今世界で一番幸せかもしれない。
甘いチョコの味が口いっぱいに広がる。
「美味しい? どうかな?」
椿も恥ずかしそうにしながらも、不安な顔をする。
「すごく美味しい、ありがとう。椿も……あ~ん」
「あ~ん……わ、わらひまで……あふ、おいひぃ」
照れて笑いながら椿もモグモグ。
2人でまたチョコケーキも味わう。
見た目は可愛らしいがチョコの風味が生きてて
ハートのチョコも色だけではなく甘酸っぱいベリーで美味しい。
かなり本格的な味わいだ。
相当練習したんだろう。
「こんな美味いケーキ初めて」
「麗音愛……大好き……」
色々考えて、沢山練習して、可愛い洋服も買って準備して
それが今日、紅夜会幹部の出現で任務になると思った時どれだけショックだったか
カレーもケーキも食べて椿の深い愛情に、心に触れた麗音愛は我慢できずに抱きしめた。
「ありがとう、椿。大好きだよ」
「麗音愛……私も」
「いつもいつも、ありがとう。椿のおかげで俺はいつもすごく幸せだよ」
「……」
ぎゅうと抱きしめ返してくれるが、何も答えない。
「信じられない?」
「ううん、私も幸せ……麗音愛がいてくれるから、すごく幸せ……
私は幸せなの……でも」
「幸せでいいんだよ」
「……うん」
少し離れて、濡れた瞳を見つめる。
きっと、紅夜会の事が頭にあるんだろう。
今、警戒にあたってる白夜団の団員の事も。
いつも椿は皆の事を心配している。きっと雪春の事も考えている。
「椿……」
でも今は自分の事だけ考えてくれるように、口付けた。
「ん……」
ぎゅうっと胸元のシャツを強く握りしめられて椿の戸惑いも感じたが
今日はより強く抱きしめて、離さない。
長い……口付け。
はぁ……と息を漏らして少し離れた。
「……甘い……ね」
「れ、麗音愛」
頬を紅く染めて、また一層濡れた瞳。
きっともう自分の事しか考えてない。
――それでいい。
「うん……好きだよ」
また唇を寄せても、拒絶はされなかった。
ケーキも、可愛い恋人との深いキスも甘い。
甘さだけ流れる、幸福な時間。
◇◇◇
「もう、大事な書類を忘れるなんて……」
バタバタと咲楽紫千家に、直美が戻る。
さすがに家での忘れ物は秘書には頼めない。
自室でマナとのんびりしていた剣五郎に声をかけ、リビングを見渡すが剣一も麗音愛もいない。
「まぁバレンタインデーだものね」
珍しく麗音愛の学ランがダイニングテーブルの椅子に無造作にかけられている。
慌ててシャワーを浴びて出て行ったのだろうか。
自分より大きくなった息子の学ランをふと持ち上げ、息子の部屋へ行く。
普段から勝手に自室へ入る事などしてはいないが、学ランだけでもクローゼットにかけてあげよう。
何もできていない母親業への負い目だったのだろうか。
ふと、机の上にある小さな紙袋に目がいった。
誰がどう見ても、プレゼントだ。
一瞬、バレンタインデーに貰ったものか? と直美はつい近寄って眺めてしまう。
真面目で優しい息子、それでも今までバレンタインデーにチョコを貰った経験は
幼馴染の美子の義理チョコだけなのは、わかっていた。
呪いがなければ、控え目な性格でもどれだけ女の子から好かれていたか……。
そんな過去はいいと首を振り、
紙袋を見れば、婚約指輪や結婚指輪を扱うような宝石店のもので少し驚く。
そっと中を覗くと手のひらに乗るサイズのリボンのかかった箱。
明らかに、アクセサリー。
指輪……?
これは、息子が用意したものだろうか。
何か、胸騒ぎがした。
真っ白な箱にかけられた可愛らしい、ピンク色のリボン。
可憐な濃いピンク色。
これは、息子が愛しい人に渡すプレゼント――。
それがどうしても鹿義梨里には思えなかった。
この誰かを想った可憐なリボン……。
冷や汗が、直美の額に浮かぶ。
こんな事をしてはいけない。
わかっている。
添えられたメッセージカードを震える手でそっと開いた。
まだ何も書かれていなかった。
それだけでも、なんという事をしたのかと思う。
こんな事をしてはいけない。
可愛らしいメッセージカード。
どんな気持ちでこのカードを選んだのか。
このカード1つにも愛情が溢れているのを見て
直美は自分の指先が震えるのを感じる。
その先にいる娘が誰だか、わかってしまったのだ。
それでも否定したい一心で、それで許されるような気持ちで直美はリボンに手をかけた。
それで何がわかるというのだ、ただ可愛い、ペンダントトップでも出てくるだけだろう。
こんな事をしてはいけない。
汚してはいけない。
それでも疑惑が手を動かす。
出てきたのはリングケースだ。
無垢な天使のような純白のリングケース。
心臓の嫌な動悸が鼓膜を打つ。
少し強い力で、グッと開けた。
輝く、指輪が現れる。
まるで結婚指輪のよう、
純真な愛が胸を刺す――。
刻印が見えて、震える指先で指輪を覗く。
そんなわけなはい、親友だと息子はずっと言い続けていた……。
2人は親友なのだ。
「REO……NNU……」
息子と……あの娘は……親友……。
「to……」
親友……
「TU……BAKI」
ぐらりと直美の身体が揺れて、音を立ててリングケースが手から転げた。