託された刀・日常に溶け込む違和~ ◇
全てが変わった日――。
異質なものを見た。
奇妙な一日が始まったとは思っていた。
十七歳の男子高校生、咲楽紫千麗音愛。
自分の名前が奇妙だと、もちろん自覚はある。
なので彼は今、玲央と名乗っている。
初夏のある朝。
『玲央、この刀を今日は預かり守ってくれないか』
『えっ……? 俺が? どうして……』
そう突然言われて祖父から預かった白鞘。
木の鞘には何かびっしりと呪文のようなものが書き込まれ、一瞬目の前が真っ赤に染まったようにも見えた。
祖父は問には答えてはくれなかった。
そんな不気味な刀を背負い、創立記念日に幼馴染のいる図書部の手伝いへ行く。
これならギリギリ、まだ日常で収まったかもしれない。
最近は絡みもない大学生の兄が、車で送ってくれると言った。
「なぁ、兄さん。この刀ってなんなんだよ」
「さぁなぁ~。じいさんが守れって言ってんだし守ってやったら」
「守るって言ってもな。図書室で背負うだけだけど」
「それでいいんじゃね? ここでいいか?」
兄のバカでかい車が、校門よりもっと手前で停まる。
「あーそうだ。工事中だから入れないんだ。ありがと」
「おう、頑張れよ。帰りも来れたら迎えに来るから、連絡しろ」
知らないと言うが、兄は何か知ってるんじゃないのかと思う。
まぁ今問いただす時間もないので、車から降りた。
どんよりとした天気に、誰もいない校舎。
灰色の雲が空を渦巻いているかのように見えた。
校門前広場の大規模工事でショベルカーなどが置かれた工事現場。
来月には完成予定と聞いてはいるが、特に興味はない。
しかし男の性なのか、ついショベルカーをじろじろと見ながら歩いてしまう。
瞬間、鳥肌が立った。
「えっ……」
ショベルカーの脇に、 ボロ布に包まれた人間のようなものが座り込んでいた。
「……なんだ、あれ……」
顔もわからない、ミイラ男のようなその姿。
絶対にまともな存在ではないと第六感が告げている。
ただのボロ布の塊では、と思いたかったが……動いた。
ゾクッと恐怖心が湧く。
後ろを振り返っても、ここまで送ってくれた兄の車はもう去っていた。
住宅街も遠い。
此処にいるのは、自分とボロ布人間だけ。
重い刀が、歩くたびに揺れる。
麗音愛は、気付かれないように音を立てないように歩いた。
触らぬ神に祟りなし。
麗音愛には何故か皆に注目されない特徴があった。
背も長身だし、人との関わりもそこそこあるが、存在自体忘れられる。
『そこにいた?』『誘うの忘れてた』物心ついた時からそうなのだ。
だから今も、この恐ろしい存在に気付かれず切り抜けることができるはず……。
チャリ……。
刀が背中で揺れた時、ボロ布人間がまたピクリと動いた!!
一瞬で全身が泡立つのを感じて、麗音愛は走り出す。
危険人物で学校にでも乗り込んでこられたら、幼馴染や皆に危険が及ぶかもしれない!
思い切り走って校門に飛び込んだ。
もしもの時は、この刀で戦うべきか!?
校門の影に隠れて、そっと様子を伺った。
しかし、そこにはボロ布人間の姿などどこにもない。
「はぁ……っ、なんだったんだ……? 幻?」
それでも心臓はまだ激しく動いている。息切れもしている。
姿だけを見て、こんなに恐怖するなんて、一体なんだったのだろうか。
不快感だけが残る。
「とりあえず通報してもらおう、不審者すぎるだろ……」
ハッと思い出し、麗音愛は玄関へと急ぐ。
群れたカラスがギャアギャアと騒がしく喚く。
何か焦げたような臭いが、鼻を刺した。
◇◇◇
「それで、刀をおじいさまから預かってきたんだ……」
セーラー服にエプロン姿の女子生徒は図書館の中で大量の本に囲まれている。
竹刀袋を背負った姿に驚いた顔をしたので、とりあえず朝からの流れを説明したところだった。
――不安にさせても、とボロ布男の事は言わなかった。
職員室には誰もおらず、用務員室にいた男性へ報告はしたが適当にあしらわれてしまった。
「肌身離さずって言われてるからずーっと背負っていないといけないんだよね。だから狭い通路の仕事はちょっと無理で……ごめん」
「うん! 全然大丈夫だよ ありがとタケル!」
「えっ」
「あ、ごめん! 昨日久しぶりに昔の夢見ちゃって……思い出しちゃってつい」
「いや、別にいいよ。はは懐かしいね」
『部長!』 と呼ばれ美子は『ごめんね!』と行ってしまった。
久々に懐かしい名前で呼んでくれたな……と麗音愛は思う。
美子は麗音愛の幼馴染。
祖父が家で道場をしていた時は隣の家に住んでいた。
道場を閉めマンションを建てた今は、少し離れた家に住んでいる。
図書部部長。綺麗な黒髪ロングの優等生和風美人だ。
タケルという名の思い出――。
幼い頃に麗音愛が自分の名前が嫌だと美子に打ち明けた。
美子は麗音愛の名前がお姫様みたいで羨ましいなと思っていたのだが
辛そうな顔を見て『じゃあ、新しい名前を決めようか』と美子が提案した。
それで考えた名前は『タケル』
――なんとなく、かっこよくて男らしかったから。
しかしその名前を聞いて母親が激怒した。
母にとっては、なかなかできなかった第二子への愛情を込めた名前だったようだ。
家族会議の結果、玲央と名乗るようになってからはもうタケルは過去の思い出の名前になっている。
美子とは、中学生に上がってからはお互い苗字での呼び合いだ。
「咲楽紫千君! こっち手伝って~」
「うん」
今日は創立記念日だというのに、図書部は棚替えの大仕事の一日だ。
まぁそこは高校生、本を運んだりデータを入力したりそんな仕事でもそれぞれが笑って楽しそうだ。
まだ二年生の美子が図書部部長を務めている。
それまで無理やり人数を集めていた図書委員が美子のイベントアイデアで女子達の評判を呼び、部活にまでなってしまった。
多少は疎遠になってはいたが、それからは男手が必要な時には手伝いをする約束をしている。
◇◇◇
「すみませんお先に失礼しまーす」
明日もまた土曜日で休みだ。
部員は一人減り一人減り……最後の女生徒も夕方からデートだと帰っていった。
すっかり今朝のボロ布人間の恐怖など忘れていた。
カチャカチャと美子のタイピングの音が図書室に響く。
本のリストをまとめているようだ。
集中すると没頭する性格なのも知っている麗音愛は特に何も言わず、できる範囲で本を本棚にしまっていた。
「きゃ!? もうこんな時間!? ごめ~ん!」
「別に、大丈夫だよ」
「せっかくの休日なのにさ、ごめんね」
「いいんだよ、好きで手伝ってるんだから」
気付けば、もう夕陽の紅色も消えかけて二人が灰色に見える。
薄暗いなかの二人きりに慌てて電気を付けた。
蛍光灯に照らされ微笑む美子の顔を見るとドキリとしてしまう。
「じゃあ部室でコーヒー飲まない? 御礼に今度ケーキ食べに行こっか」
まったくこの幼馴染は、自分を男だなんて1ミクロンも思っていない。
清々しいほど無防備だ。
多分、部員全員にも、祖父にも同じように言うはずだろう。
そう思った時、ふと祖父の顔を思い出す。
ほのかに好意を寄せる女の子と二人きりなのに祖父を思い出すなんて、と思うが今朝のあの神妙な顔……。
そしてなぜか重い重い刀を一日中担いでいたが、その重さも忘れるように今では背中に馴染んでいる。
まるで重さも感じない……。
こんなことがあるんだろうか?
ただ首筋がヒヤリとするような感覚は、ずっとあった。
まるで刀を首筋にでも当てられているような……。
真っ赤に染まったように見えた刀を思い出してゾッとする。
「……どうしたの??」
「あ、ごめん……そう言えば俺、兄さんに迎えに来てもらわないといけないんだった」
兄に帰りも迎えに来ると言われていた。
「あ……そうなんだ。じゃあ急ぐ? ごめん」
「違う、俺が勝手に手伝っていただけだから! 美子は悪くな……藤堂は悪くない」
名前で呼んでしまった!
慌てて名字に言い換える。
恥ずかしさから目をそらしたので、美子がどんな顔をしていたのかはわからなかった。
「兄さんには、七時くらいにってメールしとくからさ、コーヒーもらってもいいかな?」
「もちろん! 先生からの差し入れのクッキーも食べよっか~!」
だって高校生だもの、そんなキラキラとした甘酸っぱい時間があっていい。あるべきだ。
怪異も不気味な刀なんて考えなくていい。
だが、そんな幸せな時間は携帯電話の着信音で終わる。
残酷な時間が始まってしまった――。