君を拐う
普段の学園生活では見る事も少ない、夜の静かな玄関。
それを壊さぬかのように、麗音愛は言葉を静かに放つ。
「加正寺さん、君に言える事は1つだけだよ」
「なんですか……?」
「椿を、傷つけないでくれ」
穏やかな、ただ穏やかな表情の裏にある……怒り。
「せ、先輩は、それでも白夜団の要なんですか……!?」
「……知らないのかな?
俺は椿を守る条件を提示して、白夜団にいるだけなんだよ」
「……正気じゃないですよ」
「……正気」
「人間を襲う化け物の王……
その娘が幻術を使って惑わしているんですよ……?」
沈黙のなか、何やら急ぐカップルが通り過ぎた。
喧嘩のようだ。
こちらも喧嘩中のカップルのように見られたようで、麗音愛も顔をそむける。
「紅夜がどうであれ……
椿は違う……」
「だから、それは……!」
「加正寺さんには言いたくないんだ」
「……え」
「俺のこの気持ちを
君に最初に聞かれたく、ない」
わかりあえない、心の河が流れた。
まるで、そこで剣での勝負があったかのような緊張があって、そして流れた。
実際には、麗音愛が怒気を収め、流したのだった。
「俺達にはもう、構わないでほしい」
「……玲央先輩……」
ワーッと
玄関まで、体育館の盛り上がりの声が聞こえた。
何か感じた。
椿の声が聞こえた気がした。
自分を呼んでいるような気がした。
「……椿……?」
そして麗音愛は走り出す。
「先輩!?」
麗音愛は玄関から、体育館への廊下を全速力で走った。
体育館の扉は開いている。
人の群れが出入りして、中から歓声が聞こえるがそのまま体育館に飛び込んだ。
薄暗い照明のなか、盛り上がる人の群れ。
照明が当てられたステージ上に、椿がいる!!
「椿っ!」
椿の両脇には、龍之介と川見が立っている。
どういう状況なのか全く理解できない。
場の雰囲気を見ると、椿に対して好意的ではあるようだが……。
真ん中にいる椿の表情はこわばっている。
音響の男子生徒が司会をやっているようだ。
「さぁ、わたくし! 急遽司会になりまして緊張しておりますが、
椿さん、運命の決断をお願いします!!
学園最強イケメン川見さんか、はたまた転校生風雲児・釘差君か!!」
「誰が風雲児だ!」
「ひぃっ!」
「まぁまぁ、和やかにいこう」
龍之介の恫喝を、歌い終え椿に告白した川見が笑顔で和ませた。
観客の中にギャーと叫び声をあげるムンクのような生徒がいる。
カッツーだ。
「カッツー、これはどういう状況だ!?」
「ギャー!! 俺はなんで予選落ちなんだよぉおおお
ふざけんなぁあああ!!! イケメン地獄に落ちろぉおおお」
混乱が過ぎる。
しかし、椿への告白か何かなのだろう。
司会者がうつむく椿にマイクを寄せる。
「私は……その……あの……」
いつも元気で活発な椿を見て、こういう場面にも慣れていると思い込んでいる人も多いだろう。
だけど
椿は注目される事も苦手で、緊張してしまう普通の女の子だ。
転校した初日の不安そうな泣きそうな顔を思い出す。
「どうせなら、一気に!
キスをお願いします!!」
「そ、そんな……」
キス!?
場内はさらに盛り上がり、キスコールも起こる。
椿は動揺し、下を向く。
「椿!!」
つい、叫んでしまった。
このうるさい体育館で聞こえるわけもない。
でも椿には聞こえた。
そして、2人の目が合った――。
「麗音愛……」
椿の瞳が潤んだ。
潤んで、緊張が緩んだ笑顔が見えた。
でも、すぐに不安な泣き顔に戻る。
「――麗音愛、助けて」
マイクが拾った声を、すぐに理解したのはこの場で麗音愛だけだった。
瞬間、駆け出す足。
人の群れなど、容易く避ける。
「椿!」
麗音愛が手を伸ばす。
それを見て、椿も手を伸ばした。
「あっ」
緩んだ感情から、椿の身体もよろけた。
それをステージに駆け上がった麗音愛が、抱きとめた。
「……麗音愛……」
「遅くなってごめん」
麗音愛が微笑んでみせると、椿も首を振って安らいだような笑みを見せる。
一瞬でステージ上に現れた麗音愛に、体育館は静まり返った。
「椿、行こう」
「うん」
もう、そのまま抱き上げた。
椿もしがみつく。
「椿が好きなら、1番嫌がる事だって何故わからない」
川見と龍之介を睨み付けると、麗音愛はそのまま拐うようにして
体育館の横の扉からイルミネーションの光る校庭に消えた。
静まり返る体育館。
皆が唖然としていた。
司会も何も言えない。
――そこに拍手と笑い声が鳴り響く。
「あはははは!! 最高!! 玲央ぴ!! 姫!!
最高のイベントだったよぉ!!」
梨里の一声で、一気に拍手やら歓声が沸き起こった。
「そろそろ、あたしも踊りたい~!
音楽かけてよ~!!」
音響係が慌てて、ダンスパーティーの音楽をかけ
また場内のカップル達が踊りだした。
2人の男が呆然と立つステージは幕が降ろされる。
麗音愛達を追いかけてきた生徒もいたが
影に隠れてから呪怨の羽で屋上に飛び立った。
今までの熱気で、外の冷たさが逆に心地よい。
そっと、立入禁止の屋上に椿を降ろす。
ふわ……と椿のドレスが舞った。
イルミネーションは校庭だけで屋上には届かない。
椿が、いくつかの炎を出して2人を照らす……。
「麗音愛、ありがとう」
照らされた椿が綺麗過ぎて、声が出なかった。
「……いや……」
椿も、少し麗音愛を見つめると照れたように下を向いた。
「イ、イルミネーション綺麗だね、麗音愛」
「ん? うん」
椿がストールを羽織って、屋上から下を見下ろす。
「イルミネーション作業にも駆り出されて俺が点灯したんだよ」
「お疲れ様でした。みんなとっても喜んでる。
すごく忙しかったみたいだね」
「人が足りなくなってさ」
「そうだったんだ……」
「うん……」
なんだか石田に彼女ができそう
とかそういう理由は言いにくかった。
「寒くない?」
「うん、全然大丈夫。暑かったから気持ち良いくらい。
あ、見て、外でも踊ってる人いる」
「本当だ、すごい踊り」
また、いつものように笑い合う2人。
キラキラと輝く校庭。
別の時空とはいえ
この校庭で、あの紅夜と死闘をした事が信じられない。
あの紅い夜から
色々な事があった。
ちらと横を見ると、髪をアップにしてカメリアの髪飾りが輝く椿の横顔が見える。
静かに心臓が鼓動を打つ。
「あはは、ダンス部の人かな。クラシックなのにストリートダンス」
無邪気な椿の笑い声。
いつもの2人。
自分はこれから、この友情を破壊してしまうのか?
この道を選んでいいのだろうか。
でも、もうこの気持ちは抑えられない。
呪怨を統制するために、冷静でいようとしていても
どこに心があるか分かるように胸が、
切なく痛む――。
「……こんなとこに連れてきて、悪かったかな」
「え! 全然!
騒がしいところは苦手だもん」
「そう……良かった」
「だから嬉しい、ありがとう」
「いや……」
また風が2人を撫でる。
椿のカールされた髪も、麗音愛の髪も揺れた。
無意識に此処に連れて来てしまったのも
ただ、自分が誰にも触れさせたくなかったからだと思う。
綺麗な麗音愛の瞳が、切なく輝く。
「麗音愛……?」
椿も麗音愛の瞳を見て、心臓が高鳴った。
体育館から、ダンスパーティーの音楽が聴こえてくる。
「こ、この曲、みんなでダンスの練習した曲だ……」
「うん、俺も練習した」
お互いに、その曲を黙って少し聴いていた。
また横にいる椿を見つめてしまう。
少し離れていた2人の距離を、麗音愛が一歩進んだ。
「……俺と、踊ってくれませんか」
優しい声で伝え、手を差し出す。
椿は驚いた顔をした。
でも、すぐに花の咲いたような笑顔になる。
「……はい」
麗音愛の手にそっと、椿が小さな手を乗せた。