戻れない道へ~麗音愛、琴音のもとへ~
白夜団が利用する病院は
一般病棟とは別に診察室や個室が用意されている。
麗音愛は呼びにきた団員に連れられ
手術室から琴音がいるという専用病棟へ向かう廊下を歩いていた。
「かなり動揺しているようで
サーベルを握ったままなんです。あ、ご両親です」
部屋の前に、琴音の両親が立っていた。
父親は会社の社長だと聞いていたが
若々しく俳優のようで、どこかテレビか雑誌で見た事がある。
「君が、咲楽紫千君。うちの娘がとんでもない事を……」
「いえ、僕は……」
麗音愛は謝罪される立場でもない。
此処に呼ばれても何をするべきなのかと、涙を拭う母親を見る。
琴音の母親も有名な劇団の所属員だと聞いたが
狼狽する姿は一人娘を心配する1人の母親だ。
「私達は近寄らせないんです……。
あなたの名前だけ呼ぶものですから……すみません
どうにかしてあげてくれませんか」
「……僕にできる事があれば」
「白夜団の存在はもちろん分家として知ってはおりましたが
何代も前から遠ざかっておりまして……私も何も知らず
対応の仕方もわからないのです
父親として……申し訳なく……」
「みんなの役に立ちたいって、言っていたんですよ
こんなの事故です」
母親の顔から涙が溢れ出る。
美子の母親の泣き顔が思い出された。
「会ってきます」
麗音愛は、一礼すると2人の後ろにあるドアをそっと開けた。
会話は聞こえていただろうか。
広めの個室は真っ暗で、ベッドにポツンと琴音が座っていた。
血に染まったタオルがベッドまでの道に何枚か落ちていて
琴音の手には黄蝶露が握られたままだ。
ギラッと牙を向くように光っている。
「……玲央先輩……」
「加正寺さん……」
カタカタと琴音は震えている。
「……わ、私……私……」
「わかってるよ、大丈夫」
麗音愛は優しく、ゆっくり言葉を琴音に伝え
ゆっくり近づいていった。
「私……そんなつもりじゃ……なかったんです……」
黄蝶露の切っ先がブルブルと震えている。
「わかってる……事故だよ……」
「い……伊予奈さん……伊予奈さんが……」
「大丈夫、必ず助かるよ」
「……先輩……」
「本当だよ……」
「玲央先輩……」
「それを、俺に渡して……?」
どういう反応がくるのか、麗音愛にもわからない。
晒首千ノ刀はいつでも構えられる準備はしている。
しかし殺気をほんの少しでも滲み出せば
琴音は壊れてしまうような気がした。
「手……手が……動かなくて……」
ショックで身体がうまく動かないのか。
麗音愛は安心させるように、手のひらを見せ近づく。
黄蝶露に刺されてどうなるかは、わからないが
そんな事で怯えてはいられない。
椿も今、闘っているだろう。
椿は言わないが、紅夜の娘として聖流を使う負担がないはずはない。
何もできない自分が
今できるのは琴音を落ち着かせる事だけだ。
少しずつ近づいて、琴音の座っている隣に腰掛けた。
伊予奈の返り血で、琴音の顔も服も血まみれだ。
片手剣のサーベルだが、琴音は今、左手も
拳を守る部分、護拳を握りしめている。
ぶるぶると黄蝶露ごと震える手に、そっと触れた。
「先輩……」
冷え切った手に、冷たい麗音愛の手が重なった。
右手に右手、左手に左手。
「もう、大丈夫」
「先輩」
「俺がいるから、もう誰も傷つけさせないよ」
暗い部屋でも、麗音愛のその言葉を聞いて
琴音の瞳から一層涙が溢れるのがわかった。
「……っ!……先輩ぃいっ」
ふっと、黄蝶露から手が離れ
その手は麗音愛を抱きしめた。
麗音愛はもちろん、そのまま黄蝶露の柄を持ち預かるつもりだったが
落ちた感触も音もせず、ただ
黄蝶露の姿はどこにもなくなっていた。
麗音愛は呆然として、何もない右手を見つめ
自分の胸で泣きじゃくる少女の揺れる髪を見た。
琴音は、黄蝶露と継承同化、したのだ――。
もう引き戻せない道に入ってしまった。
しばらく琴音の傍にいたが、泣き疲れ眠ってしまったのを見届け
あとは両親に任せた。
伊予奈の手術が成功したと聞いて、麗音愛は椿の元へ急いだ。
「椿!」
伊予奈は集中治療室でまだ様子を見るという。
琴音の部屋のすぐ近くの部屋に椿はいた。
わざわざ手術室まで戻ってしまって随分時間がかかった。
「麗音愛」
椿は病院の寝間着に着替えて、ベッドに座っていたがすぐに立ち上がる。
「椿、伊予奈さん大丈夫だったって」
「うん」
「よく頑張ったね」
「うん……」
2人で駆け寄り、椿は安心から瞳が潤む。
麗音愛のグレーのセーターに血がついていた。
乾いた血をこすりつけて、胸元に濡れた跡。
椿にもわかる。
抱きついて、泣いた跡だ。
「琴音さんは……?」
「混乱していたけど、なんとか落ち着かせたよ」
「麗音愛もお疲れ様……」
「同化したみたいだ」
「え?」
「手から離そうとしたら、消えた。きっと彼女の中に……」
「……麗音愛のせいじゃない」
椿が絞り出すように言った。
麗音愛の顔は、まるで琴音の責任が自分のあるような悲痛の表情だったからだ。
「……いや……俺が……」
「違うよ……」
「……うん……」
2人はそのまま足元の床を見る。
「……椿、怪我を?」
タオルで拭っても、寝間着に着替えても
血の匂いがするのには気付いていた。
「もう、大丈夫……でも、もう……」
椿はよろけるように、ベッドに座り込んだ。
「椿!」
麗音愛の顔を見るまで必死に耐えていたんだろう。
クラクラと、そのまま倒れ込む。
「椿、よく頑張ったね」
「うん……伊予奈さんが……助かってよかった……」
もう、こんな無理をするな。と言いたくても言えない。
無理をさせたのは自分だ。
無力な自分達は、過酷な運命の少女に結局頼ってしまう。
「おやすみ……椿」
そっと掛け布団を椿にかけた。
意識が遠のくように、眠りにつく椿。
抱きしめたかった――強く思えば、思うほど
自分の無力さに距離が遠くなっていくような目眩がする。
セーターに染みた琴音の涙が冷たく、麗音愛の身体を冷やした。
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