伊予奈重体
麗音愛が早退した日は
椿はダンス練習を終えて急いで帰ってきたが
麗音愛の夕飯作りを頼まれたと梨里も来て
心配した美子も来て、夕飯がないと龍之介も来て
結局騒がしい夕飯になった。
龍之介は麗音愛には
いつもながらの態度ではあったが椿にはかなり気遣いをしており
麗音愛の心以外
3人での生活はとりあえず平穏にはなるだろうと思われた。
夜には、雪春の秘書が包まれた学ランを届けに来たので
バレないように受け取り
そしてまた見かけ上は平和な日常が戻る。
昼休み、人通りの多い廊下に麗音愛と琴音。
少し声を抑え話す。
「じゃあ……玲央先輩は病院には、もう行かないんですか?」
「そうだね……。
でもありがとう。加正寺さんのおかげで病院の事が知れて良かったよ」
もちろん、あの件は琴音には話していない。
琴音も何も言わないところを見ると、雪春も報告はしなかったのだろう。
それがどれだけ重大な違反かは、麗音愛にもわかっていた。
「いいえ~私は何もです~」
「ありがとう、助かったよ」
「残念だなぁ……また珈琲、先輩と……一緒に飲みたかったです」
上目遣いの寂しげな甘えるような顔。
多分、琴音のこの顔でクラっとこない男子も麗音愛くらいだろう。
「また、いつか機会があれば」
「じゃあ何か情報があったら……いいですか?」
「いや、危険な事に巻き込まれたら困るから無理しないで。
今度、美子や鹿義とかも一緒にムンバでも行こう」
「そんなの……はぁい~! いい子にします
玲央先輩っ! 私ね!
今すっごく頑張ってますから、黄蝶露を絶対うまく扱ってみせますよ」
「調査部なのに……無理にそんな事しなくても」
「護身のためもありますしね~!!
えへへ、じゃあ楽しみにしていてください」
そう言うと、琴音の方が手を振って行ってしまった。
もしかすると、自分への興味も流行りのスイーツのように
薄れたのかもしれないと麗音愛は安堵して教室へ戻った。
数日後、
コーヒーの温もりが一層ありがたく感じる寒い夕方。
佐伯ヶ原のアトリエには、椿の姿があった。
「なんだと……!?!
サラがグレーのスーツを!? 詳しく説明しろ!!」
「え?
灰色の……」
「素材は!?」
「わ、わかんないよ~ちょっと光ってて……光ってたような?」
「つかえねぇ!!
当日は写真用に3ギガは開けておかないと……
で、お前はドレス決まったんか?」
「だから……選んでほしいって」
「候補もねーのかよ!」
「……う~~ん……この、紺色の……とか?」
カタログの中で、それは1番地味なドレスだった。
金額も1番安いのでは言われそうなので2番目に安いものだ。
「お前なぁ……こういうのはなぁ
背が高くて、すらっとしててカッコよさの中にも品があるような人が
似合うんだ」
「え~……すらっと……」
「小猿には却下!!」
「えー!! じゃあどれ……」
「俺の言う事を全て聞け!
髪も切るな! わかったな?」
いつもより髪が伸びてきた椿はそろそろ……と思っていたのを
当てられギクリとなった。
「小物も全部選んでやる! 小物のカタログはねぇのか? これか?
……ん、このカタログなんだよ」
「あ……一緒になってた……」
ドレスのカタログと、雪春からの色々な資料が一緒になって
持ってきてしまっていた。
椿の手が動く前に佐伯ヶ原はぶちまけ手に取る。
「この地名って……お前の、屋敷の?
新しい……家?
……なんで専門学校に、大学……?? はぁ?」
「ただの提案!
私は一応、当主だから故郷にいてもいいって……」
「帰る気なのか?」
「全然そんな事、考えてないよ!
そんな先の事、考えられない……し……でも……」
「でも?」
「此処でも、守ってもらってばかりだし
やっぱりもう少し1人で頑張れるようにならなきゃいけないのかなって」
「……お前……」
「冬休み、1人で帰ってみようかな?
なんてね。まだ大丈夫だったら!」
大丈夫というのは生きていれば、という意味だろう。
寒い風が校舎の窓をガタガタと揺らす。
「お前!!」
「きゃー!? 痛い!!」
椿のハーフツインテールをほどき、バリバリと梳かし始める佐伯ヶ原。
「バカ小猿が!!
いいな! 俺のコーディネート全部言うこと聞けよ!」
「えぇー!! いたっ!!
黒っぽくてレースとフリルのついてないのがいい!」
「ボケが!! そんなもんはババアになってから着ろ!!」
椿の叫びがアトリエに響き終わった夜。
雪がチラつくなか、
塾から帰宅した麗音愛は玄関のドアを開けようとすると
出てこようとした剣一にぶつかった。
「わ! 玲央か」
「今から出かけるの? ……女の子?」
「違うって!」
慌てながらも玄関に戻る剣一の後に麗音愛も入る。
「伊予奈さんが怪我したって連絡きたから行ってくる!」
「え!? 任務で!?」
「それが……加正寺琴音との稽古中らしい」
ゾクリと研修旅行で見た
黄蝶露が脳裏に鮮明に思い出された。
「加正寺さんが、あのサーベルで?」
「どう考えても、あんな素人の女の子が伊予奈さんに怪我させられるわけないんだけど……
伊予奈さんもあれで白夜の中では相当の手練だ」
「大丈夫なの?」
「だから今から……待て電話!
はい、はい……? いますけど、え!?
わかったとにかく行きますから!」
カバンを置き、コートを脱ごうとした麗音愛を剣一が止めた。
「お前も来いって!」
「伊予奈さんは心配だけど……俺が?」
「加正寺さんが、動揺しててって早く行くぞ!」
「どうして……」
「職権乱用、上からの命令!!
いいから来い!!伊予奈さんが心配だ。重症らしい」
緊張が走る。
重症――。
「椿は!?
椿に頼もう!!」
「!!
そうだ!!」
すぐに椿も駆けつけ
急いで剣一の車で病院へ向かう。
武十見から更に電話が来てワイヤレスイヤホンで話す剣一の声が変わっていった。
「剣一さん、伊予奈さんは……」
「思いたくはないが、最悪な結果もあるかもしれない……
……重体に……なったと……。
稽古をしているのは聞いていたんだが、俺が見るべきだった」
運転する剣一の顔が歪む。
「同化継承をできれば急げという話があったんだ……
継承候補者が相手なら……
……俺が察するべきだった」
「兄さん、こんな事誰にもわからないよ」
無情に止まる赤信号で、3人の息が詰まった。
「剣一さん……」
「……来年に結婚するんだ伊予奈さん。
椿ちゃん……頼む……助けてやってほしい」
初めて聞く、剣一の悲痛な声だった。
「はい、どんな事をしても必ず、必ず助けます」
それに応えた椿の声は
桃純家当主とした、凛とする光の声だった――。
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