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reporter&train

作者: 喜々直割

 イギリスの片田舎、マンチェスターの田園風景を蒸気機関が駆け抜けていく。四半世紀前までは夢物語の産物であった鉄の箱は、ボイラーを噴かして霧の都ロンドンへの線路をひた走っていく。ロイヤルスチーブンスン特急号。蒸気機関の父にして鉄道王の名を冠した特急列車は、空を映したような青の車体と黒曜を削り出したような機関部のアンバランスな美しさと食堂車に配備されたシェフの丹精込めた料理により、今イギリス国内の上流階級を中心に人気を博している高速鉄道である。


 そんな聞く人が羨むような状況に置かれながら、一遍たりとも幸せを享受できてない男がいた。彼はくたびれたコートを纏い、曇った眼鏡を掛けており、お世辞にも上流階級とは言えない風体で食堂車の一席に陣取り、万年筆を走らせていた。


 「・・・。」


 無言で腕を動かす彼はロンドンの大衆紙記者である。マンチェスターで起こった猟奇殺人事件の取材の際、運よく人気鉄道の切符を手に入れ小躍りしながらマンチェスター・リーリス駅から乗車した。しかし身の丈に合わない典雅な空気に肩身の狭さをひしひしと感じ、気を紛らわすために新聞社に帰り着いた後に予定していた執筆を行っている訳である。


「・・・。」


 区切りの場所で一息吐こうとウェイター運んできたグラスに手を伸ばそうとしたところで車体が揺れ、指が当たって水を零してしまう。焦って執筆中の原稿を持ちあげて事なきを得たと思ったが、床まで滴った水が運悪く艶のない革靴を濡らしてしまい、顔を顰める。ウェイターに替わりの水とナプキンを持ってこさせて作業を再開しようとする。


「ロンドン・クイーンズクロス駅到着まであと30分ほどでございます。それまで暫しの間、ロイヤルスチーブンスン特急号の美しい車窓風景をお楽しみください。」


 車掌が気分を害さない程度の上品な声で先頭車両の方へ通り過ぎて行った。気が付けば土がむき出しの田舎道と田園風景は、ロンドン市街へと至る石畳とまばらな住宅へと移り変わり始めていた。

 住み慣れた光景へと移ろう外界に少し安心を覚えた記者は、執筆の残りを社に戻るまで先送りしようと紙と万年筆を鞄へしまう。どうせなら人気と名高いシェフの味を体験して同僚に自慢してやろうと考えたからである。


~★~

「相席よろしいですかな? ミスタ。」


 ウェイターを呼びつけて注文した鳩肉のグリルを堪能していると晩秋のような哀愁と雅を感じさせる声が彼の耳に届いた。顔を上げたそこには優雅にシルクハットを上げて挨拶をしてくる男がいた。明らかに記者よりも年上で生まれも育ちも違うであろう紳士に戸惑いながらも、ここでよろしければと机を挟んだ向かいの席を指差す。


 「では失礼して。ボーイ! 彼と同じものとロゼワインを持ってきてくれ。」


 席に着きウェイターに注文する仕草も紳士然とした立派なものである。糊の利いたチャコールグレーのスーツからも彼が上流階級に住まう人物であると言う事は歴然である。


 「失礼、ミスタ。席がここしか空いていなかったもので。」


 紳士は軽く言いながら上着のポケットから見たことのない銘柄の煙草とマッチを取り出して火を着ける。見回してみると誰もいない席がちらほらと有る。席が無いと言うのは紳士なりの冗談だったようだ。紫煙を燻らせる紳士にどう言葉を掛けた物かと考えあぐねているとウェイターが注文された品をシルバーの盆に載せて持ってきた。気前よくチップを渡した紳士はカトラリーを手に取った。


 「不思議に思われますかな? ミスタ。私があなたと相席したことを。」


 鳩肉を一口頬張った紳士から初めての言葉がやってきた。既に料理を食べ終わった記者は少し考えてから、いいえ。物好きな貴族が居るものだ、と思っているだけだとありのままに返した。


 「イグザクトリィ。私は物好きなのです。私がこの世で好むものはいくらもあります。商談、チェス、ゴルフ、旅行・・・。私はその中でも大の旅行好きでしてな。旅行先で食べる料理と出会った他人との談笑は何物にも換えがたい。と思っているのですよ。」


 鮮やかなロゼワインのグラスを傾けながら紳士が微笑む。なるほどそういう理由で私などに相席を申し入れてきたのかと納得すると同時に、記者は対面の紳士に興味が出てきた。


 「旅の目的ですか? 古い親類を尋ねて行っていたのですよ、ミスタ。私の家系は今は海を渡ってパリに住んでいるのですが、ちょうど休暇もかねて古きを温めてみようかと思い立ちましてね。」

パリに住んでると言う紳士は訛りの無いイギリス英語を流暢に話して見せる。その様子に驚きながらも煙草の銘柄に見覚えが無いのはそういう事かと納得する。


 「あなたは何故マンチェスターに? ミスタ。」


 紳士が訪ねてきた質問に記者は己が記者であり、マンチェスターの猟奇殺人事件の取材を行った帰りであると明かした。紳士は頷きながら話の続きを求めてきたので殺人事件の顛末と犯人が逃亡の末自殺したことを話して聞かせた。


 「アイシィー。そのような事件が有ったのですね。恥ずかしながら私は今までそのようなことを知らなかった訳ですが・・・。なるほどそういう事でしたか。」


 酔いが回っているのか顔を赤らめながらしきりに紳士が頷く。何をそんなに得心が行ったのか、気になった記者は興味本位で聞いた。


 「いえいえ。先程も言いましたが私は親類を訪ねてマンチェスターまで行ったわけですが、親類の中で亡くなった理由がよく分からない者が一人いたのですよ。しかしなるほど・・・。それは家系図にも書けないはずです。」


 紳士の物言いを不思議に思った記者が訪ねる。要領を得ない返事が帰って来るばかりであったため、酒気に当てられた世迷言だろうと興味が失せる。そこで再び車掌が、今度は先頭車両の方からやって来た。


 「まもなく、クイーンズクロス駅、クイーンズクロス駅に到着します。お荷物の忘れ物にご注意ください。」


 窓の外を見遣れば、列車は既に市街地へと入り、人の少ない市街を夜のランプ灯が淡く照らしていた。


 「おや、もうロンドンですか。楽しい時間は早く過ぎると言われますが、本当にそのようですね、ミスタ。」


 にこやかに笑いながら紳士が口にするのを聞きながら記者はいつの間にか自分を紳士とのやり取りを楽しんでいたのだと気付いた。


 「やはり旅は良い・・・。始めて目にする風景、初めて食べる料理。それが例え何気ない田園風景やハギスの様な奇妙な物だったとしても、私はそれが楽しくて仕方ない。例え高級特急とは似ても似つかない満員の夜行バスや、月への星間旅行だったとしても変わりはない。短い間でしたが、あなたとの係わりも楽しかったですよ、ミスタ。2500年経ってもきっと忘れないでしょう。」


 酔いゆえか不思議な、しかし嘘や妄言とも取れないことを言う紳士が再びにこやかに笑った。と思った瞬間に汽笛が鳴り響き汽車が大きく揺れた。


「クイーンズクロス駅~、クイーンズクロス駅~」


車掌が大きな声で到着を告げながら歩いていく。荷物を纏めた記者が顔を上げた時、紳士は一足先に降りたのか、既に席には居なかった。


喜々直割ききなおかつ、初投稿です


友人たちに無茶振りされた8つのお題を詰め込んだ即席小説の供養です。

今後の投稿予定は未定です。もしかしたら長編にも挑戦するかもしれません。


お題

蒸気 革靴 石畳 万年筆 ハギス 夜行バス 鳩 ロゼワイン 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 掴みどころが無かった紳士が最後に……。ホント、「あっ」ってなりました。 全体的に漂う落ち着いた雰囲気といい、面白かったです。 [一言] 長編、是非楽しみです。 ……蒸気と夜行バスのアンチ…
[良い点] 最後の最後でお?と思い、一泊置いてあー!となりました 全体に落ち着いた雰囲気で余韻もあって面白かったです [一言] 長編、ぜひ読みたいです^^ にしてもハギス、英国の生んだ食べる兵器さえ…
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