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命をかけて

作者: コメタニ

 青年がワンルームマンションの自室で、なめした動物の革を床に広げていた。部屋には壁一面に棚が設けられ、その中にはアニメやゲームのキャラクターのフィギュアがぎっしりと並べられていた。棚が置かれていない壁や天井には隙間無くアイドルグループのポスターが貼られている。

 床に広げた革には中央に円形の模様が描かれていて、どこの国のものとも、どこの文化のものとも知れない文字のように見える意匠がびっしりと書き込まれていた。青年は大きく息を吐くと、ぶつぶつと呪いを唱え始めた。すると真昼にもかかわらず部屋の中が薄っすらと暗くなった。闇は煙のように壁から滲み出て部屋に満ちていった。革を見ると、円形の模様が水に浸したプラモデルのデカールシールのように剥がれて浮かび上がり、赤黒く発光しながら生き物のようにうねうねと蠢いていた。闇はどんどんと濃密さを増していき、彼を包み、ついには完全な暗闇となってしまった。動転した彼はきょろきょろと見回した。どちらを向いても何も見えない。が、視線を戻すと、そこにそれが居た。純白のスリーピーススーツに身を包んだそれは、すらりと均整の取れた体躯に端整な顔をした若者に見える。だが恐らく人とはいえない存在であることに間違いないと、青年の本能が告げた。

「お呼びいただきましてお礼申し上げます」それはシェークスピア劇の俳優のように芝居がかった仕草で一礼した。「何なりとお申し付けください、どんな願いであろうとも叶えて差し上げます。もちろん、それなりの対価は頂戴いたしますが」

 青年は目の当たりにした光景をまだ受け入れられずに茫然とそれを眺めていたが、はっと我に返ってそれに訊ねた。

「対価!? 対価ってなんだ?」

「あなた様の命を司る活力、この時代でしたら生命エネルギーで通じるでしょうか」

「……それを渡すと具体的にはどうなるんだ?」

「ひとことで言ってしまえば寿命を頂戴させていただきます」

「寿命……か」

 青年はうーんと唸り乍ら熟考した。ぶつぶつと呟きながら悩んだ。両手で自分の頭をぽかぽかと殴り逡巡していた。純白のスーツに身を包んだそれはそんな様子を気にすることもなく、表情ひとつ変えずにじっと直立を続けていた。

「決めたっ!」青年が叫んだ。「契約するよ。願いを叶えてくれ」

「ありがとうございます。それでは願いを伺いましょう」

 青年は壁に貼ってあるポスターに駆け寄ると、そこに写っているアイドルのひとりを指差した。

「この子と結婚させてくれ。出来るんだろ? ねえ?」

 それは何の反応も含まれていない平板な視線をそちらに向け、平板な声で言った。

「誠に残念ですが、その願いは受けかねます」

「どうして? 何でも叶えてくれるんじゃなかったのか?」

「釣り合うだけの対価をあなた様がお持ちになられておりませんので」

「くそっ」青年は地団太を踏んだ。「さすがに結婚は願いとして大きすぎたか。それじゃあ……この子とどこかでばったり出会って知り合いになるのはどうだ? そのくらいだったら出来るだろ?」

「申しわけありませんがそちらも対応しかねます。あなた様がお支払い可能な対価はごくわずかのようですので」

「ごくわずか⁉」青年はごくりと唾を飲み込んだ。「それってどれくらいだ?」

「そうですね叶えられる願いは……」それは白手袋を着けた右手を差し出した。手のひらにはうまい棒が載っていた。「これくらいでしょうか」

「そんな……」青年はうまい棒を見つめた。全身が強張り、背中を冷たい汗が伝っていくのを感じる。意識が遠くなる。

「残念ですが今回はご縁がなかったものとさせていただきます。それでは」

 現れたときと同じように一瞬にしてそれは消えた。室内は何もなかったかのようにいつもの様相を取り戻し、たった今起こった出来事がまるで夢だったかのように気配すら残ってはいなかった。青年はへたへたとその場に崩れ落ちた。


 青年は診察室で検査の結果の説明を受けていた。医師はカルテを眺めると、姿勢を正し、青年の目を見据えるようにして告げた。

「悪性の腫瘍が見つかりました。ステージ4まで進行しています」

「それは……末期癌ということですか?」

「はい、残念ですが。若い方は進行が速いので……」

 青年は黙ったまま医者のサンダルを見つめていた。ビニール製の茶色いサンダルであちこちにいろんな色をした染みがこびりついていた。

「終末医療の担当が来てこれからの説明をしますので、別室にてお待ちください」

 医者は看護婦に目配せした。看護婦は「どうぞこちらへ」と青年を先導した。青年はゆっくりと立ち上がり、ゆらゆらと看護婦のあとをついて行った。


「君にお願いがあるんだけど」

 青年は病室のベッドの上に座り電話をかけていた。相手は友人であった。

「うん。そんなに難しいことじゃないんだけど。いや、ちょっと面倒かな。でもそれなりのお礼はするよ。……うん。君が前から欲しがってたフィギュアあったろう。あれ、あげるよ。……そう。それだけじゃないよ。僕の持っているフィギュア全部あげるよ。……え? ……んー、心境の変化ってやつかな。……そう? よかった、それじゃお願いするね。詳しい話はあとで。じゃあよろしく」

 電話を切ったあとに青年はこぶしを握りしめ呟いた。「やった、これで助かる」

 ベッド横の引き出しを見て、その中に納められている、いつの時代のものとも知れぬ古い本を思う。あとはその本を友人に渡し、儀式を行わせ、契約を結ばせればいい。そうすれば俺はこの不治の病から解き放たれ、失いかけた人生を再びこの手に取り戻すことが出来るだろう。だが……。彼の心にはひとつの不安が浮かんでいた。いざとなったその時に、あいつは願いをゲームのガチャに変更してしまわないだろうか。願いによりガチャのレアキャラを得ようとしてしまうのではないだろうか、という疑念であった。

 彼は、友人が会うたびに常々力説していた言葉を思い出し、そこにまるで不吉な予言のように嫌な予兆を感じ身震いした。

 彼は語っていたのだ。「僕はこのゲームに命をかけているんだ」と。

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― 新着の感想 ―
[一言] そうだ!他に使えそうな友人達を探そう アイドルと結婚するまで、諦めるな!!
[良い点] オチが見事でした。 対価の説明をすることで余命を悟る点なるほどと思いました。 面白いお話をありがとうございます。 [気になる点] フィギアよりレアガチャを望む描写があるなら、フィギアで釣る…
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