瀬戸内君は可愛い人
瀬戸内君は、このクラス一の、いや、学年一のイケメンだ。
だけど、みんな、彼のことを「顔はいいけど残念な人」と呼ぶ。
でも、私は思う。
瀬戸内君は残念じゃなくて、とても可愛い人だって。
最初に瀬戸内君が転校して来た日のことを良く覚えてる。
教室の中にいきなり一つだけ増えた机を囲みながら、みんなでまだ見ぬ転校生がどんな人かはしゃぎながら想像してた。
先生と一緒に現れた瀬戸内君は、期待以上のイケメンで、女の子みんなで歓声をあげたっけ。
目鼻立ちがくっきりとした、それでいてくどくない端正な顔に、お洒落な黒縁眼鏡を掛けてて、教壇の前で背筋をぴんと伸ばし、臆することなく饒舌に自己紹介を述べた瀬戸内君は本当格好良かった。
問題はその後だった。
瀬戸内君の席は、私のすぐ後ろ。
私はどきどきしながら、机の間をぬって歩いて来る瀬戸内君を見ていた。
一瞬、目があった気がした。まあ、瀬戸内君の席と、歩いて来る彼の間に私がいたんだから、(そして私はずっと瀬戸内君を見ていたんだから)目があってしかるべき、てな感じではあったのだけど)
瀬戸内君は何故かちょっと驚いたように目を見開いて、それからすぐ視線を逸らして眼鏡をくいって押し上げたんだ。
わぁ、格好良い人は眼鏡をあげる様も格好いいんだな、と思った瞬間、派手な音が教室に響いた。
瀬戸内君は眼鏡を押し上げることに気を取られるあまり……机に脚を引っ掻けて、すぐ脇にいた男子の机に派手に突っ込んで転がっていた。
どうやら、頭を打ったらしく、両手で頭を抱え込んで悶絶しているその姿はなかなかに強烈だった。
以来、瀬戸内君についた渾名が「残念王子」
もし、これ一回きりだったら、そんな男子からやっかみ交じりにつけられた渾名は、すぐに消えてしまったかもしれない。
だけど、瀬戸内君が派手にやらかすのは、残念ながらこれ一度だけじゃなかったんだ。
授業中先生に当てられては、盛大に噛みながら回答をし。(それでもいつも正解しているからすごい)
男女合同の体育の時間では、足がもつれて派手にずっこけ。(それまではかなりの高記録だったのに)
家庭科の調理実習の時間では、手が滑って派手な流血沙汰を起こす。(でも、瀬戸内君が切った野菜は、どれも正確に同じ大きさだった)
基本的に全てがハイスペックなのに、なぜか人の注目が……それも、女子の注目が集まっている時は必ず大ドジをしでかす瀬戸内君に、瀬戸内君にのぼせ上がっていた女子たちの恋心は一気に醒めた。
「あのドジさえなければ、瀬戸内は完璧な男なのに」とみんな揃って溜息をついている。
……だけど、私は逆にそんな瀬戸内君だからこそ、気になって仕方なかったりする。
失敗した時に真っ赤に狼狽えた顔とか、ちょっと涙で潤んだ目とか、慌てて取り繕うとするとことか、その癖注目が集まると格好付けるとことか、可愛くて仕方ない。
つい近寄って、よしよしと頭を撫でて慰めてあげたくなる。
そう言うとみんな、「あんた変な趣味しているわね」と呆れた顔をするのだけど、私ってそんなに趣味が悪いのかな?
でも、誰が何と言おうと、可愛いものは可愛いのだから、仕方ないよね。
放課後。私は先生に雑用を頼まれて遅くなってしまった私は、急いで部活に向かっていた。
私の部活である美術部は、そんなに厳しい部活ではないのだけど、絵のコンクールが近いから、出来るだけ長く部活動に時間を割きたいところ。
近道をして渡り廊下を駆け足で歩いていると、ちょうどサッカー部が部内で練習試合をしていて、その中には瀬戸内君もいて、思わず足が止まった。
女子の注目が集まるとおドジを発揮する瀬戸内君は、不思議なことに部活中ならどれほど注目されても大丈夫らしい。
トレードマークの黒縁眼鏡をずれにくいスポーツ用のものに掛け換えて、真剣にボールに向き合う瀬戸内君は、普段と別人みたいに格好良くて、瀬戸内君の噂を知っているだろう女の子達も遠くからきゃあきゃあ声援を送っていた。
……みんな、こんな声援を送っているなら、私も一声くらい掛けても、試合の邪魔にならないかな?
「瀬戸内君、頑張れー」
それだけ言って、そのまま美術室に向かおうとした瞬間、背後から悲鳴があがった。
慌てて振り返ると、そこにはなぜか倒れている瀬戸内君と、心配そうに駆け寄るサッカー部員たち。
な、何があったの?
私が思わず唖然と立ちすくんでいると、サッカー部の一人……クラスメイトの大林君が、苦々しい表情で私の元に近づいてきた。
「瀬戸内がいきなりいつもの発作を起こして、脳天にボールを直撃させたと思ったら……原因は、今野、お前か」
わ、私のせいなの?
「え、え、でも瀬戸内君は部活動の時は、注目されても大丈夫だって……」
「それは部活動の時間はお前が……いや。何でもない。とにかく、お前のせいだから、責任もって、瀬戸内が目を醒ますまで保健室で付き添ってやれ。あと、お前は部活動中の瀬戸内には絶対に声を掛けるな。大会が近いんだから、瀬戸内に大事があったら困るんだ」
よく事態が飲み込めないまま、瀬戸内君を担いだサッカー部の人たちと共に、保健室に向かった。
保健室の先生曰く、一時的に気を失っているだけで大事はないらしい。取りあえず、ホッとした。
サッカー部の人たちは練習に戻り、保健室の先生も用事があるからと、私に瀬戸内君を任せて行ってしまったので、今はベッドで眠っている瀬戸内君と二人っきりだ。
「よく分からないけど……私のせい、なんだよね? 瀬戸内君、ごめんね」
眠っている瀬戸内君に、謝っても、勿論返事はない。
私は溜息を吐いて、瀬戸内君の寝顔を眺めた。
改めて見ても格好いい顔だ……あ、眠っている時も眼鏡じゃ、寝づらいかな。スポーツ用なら、猶更。
「……ちょっとごめんね、瀬戸内君」
そっと瀬戸内君に向かって手を伸ばして、眼鏡を取ってあげようとしたその瞬間だった。
「……今、野……?」
瀬戸内君の長い睫毛が揺れて、黒い瞳が揺れて私を捉えた。
「……良かった。瀬戸内君、目を……」
「なんだ……また、いつもの夢か」
次の瞬間伸びた手によって引き寄せられ、気が付いた時には私は瀬戸内君の腕の中にいた。
「瀬戸、内君?」
「……何で夢の中でしか俺は、お前の前で、ちゃんとできないのかな……」
瀬戸内君……寝ぼけてる?
どうすれば分からないで固まる私の頬に、瀬戸内君の手が添えられた。
瀬戸内君の、寝ぼけ眼が、真っ直ぐに私に向けられて、近づく。
「…好きだ、今野……初めて、見た瞬間から、ずっと好きだった……」
そして、瀬戸内君と私の距離が、0になった。
ファーストキスはレモン味って、何かで言ってたけど、そんなことなかった。
ボールが頭に当たって転んだときについたのか、ちょっとだけ土の味がした。
「―――うわあああああああああ!!!」
叫び声と共に、こてんと保健室の床に投げ出された。
突きとばされたけど、床に叩きつけられる前に咄嗟に瀬戸内君が手を引いてくれたから、あまり痛くなかった。
だけど、握った手も、私が床にお尻をつくなり、慌てて離された。
「ご、ごめん、今野…てか、え、え、え、夢じゃ、ない? 俺、え、え、え」
今まで見た、どの照れた顔よりも真っ赤になって狼狽える、瀬戸内君を見ていたら、突然の彼の行動に批難する気なんて、とてもなれなかった。
気にしなくてもいい?
寝ぼけたんだから、仕方ない?
なんて言って、瀬戸内君を慰めればいいか、分からなかったので、私は瀬戸内君を下から見上げながら首を傾げた。
「えと、その……ごちそう、様でした?」
あ、多分これ、間違ってる気がする。
「――――――っ‼‼‼‼!」
瀬戸内君は一層真っ赤になって、なんて表現すればいいのか分からない奇声をあげて、保健室を飛び出していってしまった。
どうやら、怪我は本当に問題ないようだ。
良かった。良かった。
「……やっぱり、瀬戸内君は可愛いなぁ」
ところで瀬戸内君は、保健室を出る前にちゃんと私の顔を見ただろうか。
瀬戸内君以上に真っ赤になっているであろう、私の顔を。
そっと、自身の唇に触れてみる。
さっきの瀬戸内君の唇に触れた、自身の唇を。
「……だけど、ちょっと強引な瀬戸内君は、それはそれで格好良かったよ」
瀬戸内君は可愛い人。
可愛いけど、時々格好良い人。
私の、好きな人。