4 君が知らないこの町で
「太陽ってどんな色をしていると思う?」
貸し切り状態となっているバスの車内で、後部座席のおさげが上機嫌に尋ねてきた。ボクの隣に座っている赤毛と目が合う。赤毛はわからないと目で訴えてきたが、それはボクではなく後ろのおさげに言うべきだ。赤毛に答えろよと肘でつついたら、つつき返された。
「年上の俺がわからないって言えるわけねぇだろ」
声を潜めて何を言ってくるかと思えば、つまらない見栄だ。赤毛はなぜか、おさげにだけ見栄を張りたがる。
「そういうときだけ、年上面するなよ」
「はぁ? ムギの癖に」
「なんだよ、赤毛!」
「二人とも、なんで喧嘩しているの!」
がたんとバスが揺れた。舗装されていない道にでたのか、バスの揺れが激しくなる。
「あぶない、きをつけて」
慌てて座席の手すりに掴まったボクたちを、相変わらずの無表情で彼女は注意した。おさげの隣に座っている彼女は、母さんから借りたコートを羽織っていた。球体間接を隠し、言葉を話し、食事もとれる魔法人形は、ボクの提案通り今日も人のふりをしている。
本日は細雨。「けんしょうごっこ」をするには動きやすい日だ。
ボクたちは、幽霊バスに乗っている。
一日に片手で数えられる程度しか運行しないバスは、幽霊バスと呼ばれている。幽霊が乗りそうなくらいおんぼろだからという理由で、子どもの間でそんな呼び名がついた。ただ、稀にこのバスが妖精の世界に連れて行くという噂もある。それも含めての「けんしょうごっこ」だが、バスは目的地へ真っ直ぐ向かっているようだ。
行き先は、湖。
魔法の雨によって、沈んだ町が眠る場所。
「知らない。太陽の色なんて」
赤毛と違い、見栄を張らずに答えるとおさげはむふふと変な笑顔になった。
「実は私も知らないの」
知らないのか。いや、知らなくて当然だ。雨降り町で生まれ育った子どもは、雨雲の向こう側を知らない。灰色以外の空を目にしたことがなければ、星の明かりも知らない。太陽の色なんて考えたこともなかった。
隣でほっとしている赤毛を横目に、質問した理由を尋ねるとおさげは「あめふりまちのひみつ」のノートを開いて見せてきた。
例のノートは前に増して書き込みが増えていた。おさげの姉が残した「古の言語」とも呼ばれる古い言葉を翻訳し、「けんしょうごっこ」の結果を書き加えている。
けれど、その翻訳は完璧ではない。いくら辞書を開いてもわからない文章はでてくる。単語を無理矢理組み合わせていた翻訳に、赤のインクが引かれていた。彼女は本当に古の言語が読めたのだ。訂正されたノートに、おぉとボクと赤毛は感嘆した。
「お姉さん、ノートをわかりやすくしてくれたの!」
「ワタシができるのは、これくらい」
「これくらいじゃない! お姉さんはとってもすごいよ!」
古の言語は、魔法が身近な時代に使われていた言葉だ。その時代の人は魔法を当たり前のように使い、多種多様な種族が存在していたと推測している。けれど、人が魔法を使えなくなってから人以外の種族が絶滅し、現在が構築されたと伝えられていた。
実際のところはわからない。ボクが知っているのは、滅んだとされる文明の言葉を使う人は変わり者。そして、人の世界と妖精の世界があり、人は魔法を恐れて忌避している。それだけだ。
「で、そのノートに太陽の色でも書いてあるわけ?」
ボクの問いかけに、おさげは首を振る。
「妖精について書いてあったわ」
妖精とは、妖精の世界に暮らす異質な存在。
「妖精って、遊んでいるといつの間にか混ざっている奴だろ」
赤毛が背もたれに身を乗り出した。先程より安定したものの、バスはがたがた揺れている。彼女に注意されたばかりなのに反省をしない奴だ。
「うん、そうだよ。他にも詳しく書いてあったの」
ボクたちに開いていたノートを自分に向け、おさげは読み上げた。
『妖精。人の目には見えない透明な存在。子どもの輪の中に混ざり込み、一緒に遊ぶのを好む。誰か一人増えたと感じたとき、妖精がいたと言われる』
ここまでは赤毛の話と似ている。おさげは一呼吸おいてから続けた。
『妖精は気に入った子どもを妖精の世界に連れて行こうとする。また、彼らは太陽に弱い。雨の日でなければ現れず、日光に当たると消滅してしまう』
雨は魔法を連れてくる。
この言葉は、魔法の雨で人の世界と妖精の世界の境界があやふやになってから言われるようになった。雨が強い日ほど、妖精の世界に迷い込みやすくなるらしい。そして、その世界に住む妖精は、雨でなければ人の世界に現れない。
「ということは、妖精が町にいるかもしれないってことだな」
いい発言をしたとばかりに赤毛が胸を張る。
「そうだよ、赤毛君。さすが!」
おさげに誉められて、赤毛は鼻高々だ。
「妖精もね、私たちと同じように太陽を知らないんだよ。わくわくしてこない?」
「どこが?」
ボクが疑問をぶつければ、おさげは笑顔になった。
「だって、友達になれるかもしれないでしょ!」
呆気に取られた。でも、おさげらしい回答だ。緩みそうになる頬を見せないよう顔を逸らしたとき、彼女の視線に気づいた。そっと窺えば、金の目がボクだけを映していた。観察するような、何かを確かめるような視線に眉を顰める。
「お姉さん、どうしたの?」
赤毛とおさげの視線が自然と彼女に集まった。
「ほんとうに、いいのか」
「何が?」
「ほんとうに、いくのか」
何を聞き出そうとしているのだろう。昨夜の屋根裏部屋での会話を思い出す。ボクに隠し事をしている癖、こちらの本音を探るような言動。駆け引きは嫌いだ。ボクと彼女の間にぴりぴりとした空気が流れる。
「もしかして、ホタル魚?」
その空気を破ったのは、赤毛だった。
「あ、悪ぃ」
赤毛は慌てて口を押さえ、おそるおそる振り返り運転手を窺った。乗客はボクたちだけ。唯一の大人である運転手は、微動だにせずにハンドルを握っていた。
ホタル魚。人の目玉を好んで食べる魔法生物。例のノートによれば、ホタル魚はたいへん優雅で煌びやかな魚らしい。
目的地の町が沈んだ湖は、ホタル魚の棲息地だとされている。
発端は赤毛の引っ越しだ。赤毛が町から出て行くと聞いたとおさげは「けんしょうごっこ」で思い出に残ることをしてみたいと提案した。三人でノートと睨めっこしながら会議を開いた結果、ホタル魚が本当に存在するのか確かめてみようと話が纏まった。
この町で生まれ育った子どもは、ホタル魚を目にしたことがない。いかに危険か聞かされるだけで、どういう姿形をしているのか知らない子どもが多い。しかも、子どもだけで湖がある門まで行ってはいけない掟がある。
そこで彼女だ。彼女の外見は大人だ。大人の同伴者がいるのなら掟は破っていない。もし誰かに尋ねられたら、旅人の彼女を観光地に案内するのだと言い包めてしまおう。
そうと決めれば話は早かった。一日に数本しかでない幽霊バスを利用する住民はほとんどいない。休日の早朝、ひとけのない時間を狙ってバスに乗り込んだ。気がかりだった運転手は、ボクたちの存在など気にせず発車させた。
「ホタル魚は食べた目玉を石にして、吐き出す習性があるそうなの」
おさげはホタル魚のページを開き、運転手に聞こえないよう声量を落とした。
「宝石みたいにとっても綺麗なんだって。その石を求めて、昔は犠牲になった人がいたと書いてあったの」
「それって、石が高く売れるのか?」
ひそひそ声で尋ねた赤毛におさげは頷いた。途端、赤毛の表情が渋くなる。背もたれから手を離して座り直せば、振り向きもせずぶっきらぼうに言い放った。
「おさげちゃんは、ホタル魚を見ちゃだめだからな」
文句の声を上げるおさげに、「けんしょうごっこ」の年長者の命令だからと言い切った。赤毛の心境の変化を理解できず、おいとつついても決定事項だと返ってくる。おさげは明らかに納得していない。ボクは二人を交互に見比べてから細く息を吐いた。
「ほら、ホタル魚が本当にいるかわからないだろ。沈んだ町も見てみたいし、行ってみてから考えよう」
ボクの提案に、二人の返事は不機嫌そのものだった。