2 君と出会ったこの町で(2)
「ムギ君いた!」
おさげが走ってきた。後ろから赤毛が追いかけてくる。ばしゃばしゃと泥水を跳ねさせた二人の長靴は泥まみれだ。黄色と青色の傘をそれぞれ差していても、走れば雨に当たる。
「何してたの、捜したんだよ」
おさげの心配げな視線にむっとした。
「もしかして、いいもんでも見つかったのか」
世話のかかる奴だと顔にかいてある赤毛に、さらに苛ついた。こいつはボクと二人でいるときはちょっかいだしてくる癖に、「けんしょうごっこ」の三人だと纏め役になる。唯一の年上だからというのもあるかもしれないが、お兄さんぶる赤毛に格好つけるなよと言いたい。
「なんだよ二人して、ボクはそんなに危なっかしいか。だいたい走ってくるなよ。転んだって知らないからな」
ボクの口から発せられるのは、お礼でも謝罪でもない文句。嫌われたって当然なのに、こいつらはちっとも動じない。二人揃ってにんまりと笑うのだ。
「危ないというか、ほっとけないってやつ?」
「そうそう。ムギ君、可愛いから」
「ボクは可愛くない」
「またそんなことを言う。ヒンセイは大事って、今朝、話しただろー」
「うるさい」
あぁだこうだと言い合いしていると、隠れていた彼女がひょっこり姿を現した。崩れたガラクタ山から現れた女性に予想通り二人は目を見開く。
ボクは誇らしげに胸を張った。
「宝物とやらは見つかった」
「はじめまして、ワタシ、たびびと」
「た、旅人さん?」
戸惑うおさげにボクは大きく頷いた。
「そう、旅人。仲間とはぐれて困っているそうだ。仲間がお金を管理しているから財布を持っていない。宿には泊まれない。仕方なくガラクタ山で過ごそうとしたところ、ボクが発見した」
饒舌になるボクの胸に、ちくりと小さな針が刺さったような気がした。
仕方がない。二人に彼女が魔法人形だと話しても、どうしようもないのだから。
「ワタシ、ここのことば、ふなれだ」
「彼女は他国の人だってさ」
ボクは魔法人形の存在を秘密にすると約束した。そのために、人のふりをするように提案した。イマードという仲間を捜す旅人にすれば、人の目を誤魔化せるだろう。言葉の拙さは遠い国から来た設定にすればいい。
旅人が訪れるのは珍しくはない。魔法の雨が降る町はある意味で観光地だ。けれど、住民にとっては死活問題。雨のせいでまともな作物が育つはずがなく、食料などの必需品は外から仕入れるしかなかった。
皮肉な話、この町は「魔法の雨」で維持されている。
「そっかー、大変だったねー」
ボクの説明におさげは素直に納得し、彼女を好奇心剥き出しの目で遠慮なく眺めた。
「ムギちゃんの話はわかったけどさ、大人に話した方がいいんじゃねーの」
神妙な顔で赤毛が切り出すところまで想定内だ。こいつは真面目だ。ボクと違って。
「イマードはこのまちに、いる。さがすだけ、しんぱいない」
「とりあえず、しばらくはボクの家に泊まることになったんだ」
彼女と手順通りに話を進めていく。
「ムギちゃんのおばさんなら、いいって言いそうだもんな」
そうだなと同意して、赤毛から視線を外す。自然と一列になり、ガラクタ山を後にした。
「ねぇねぇ、お姉さんはどこまで観光したの?」
おさげの黄色の傘が回る。ぱらぱらと小雨が降り注ぐ中、おさげ、ボク、彼女、赤毛の順に列になり狭い煉瓦道を歩いていた。先頭のおさげが振り返る。黒の目は先程から彼女に興味津々だ。
「あまり、していない」
「それならっ!」
立ち止まったおさげが急停止した。ボクの後ろにいた彼女も止まり、最後尾にいる赤毛が彼女にぶつかった。
「私たちと「けんしょうごっこ」しよう!」
「はぁ?」
ボクと赤毛の声が重なる。彼女は首を傾げていた。
「だって、今日の「けんしょうごっこ」は証明されたんだよ。想像する宝物と違ったけれど、綺麗なお姉さんに出会えたわ! この出会いこそ宝物だと思わない? それに、この町の観光なんて雨以外大したものないでしょ。それなら魔法に関わるものを一緒に見た方が楽しいって思ったの!」
おさげの巻き込み癖がでた。
この町には不思議な現象がある。けれど、それは他人からみれば「不思議」で住民からすれば「危険」だ。魔法には関わってはいけないと口酸っぱく言われるのは、魔法に対して畏怖があるからだ。
この町は、そんな魔法と共存している。「魔法の雨」を観光としながら、高台へ移り住み、雨によって沈むかもしれない町で暮らしている。
人がいなくなるのは珍しくない。町を出ていく人、ホタル魚に目玉を食われた人、妖精の国に連れて行かれた人、魔法に関わったせいで行方不明になった人の噂も聞く。ボクの父さんもいなくなってしまった一人だ。
「けんしょうごっこ」は、おさげの姉が残したノートを基に、噂が事実かどうか調べるための遊び。
あくまでも、遊びだ。子ども同士の秘密の共有。背が伸び始めた子どもがやりたがる大人の真似事。
そういった遊びには暗黙のルールがある。誰が言い始めたわけではなく、自然と決まったルールだ。
大人は混じってはいけない。
子どもだって馬鹿じゃない。大人と子どもは違う存在だとわかっている。見える世界も思考も感情の受け止め方も、同じ人のはずなのに違う。
けれど、そうして大人になっていくことを朧気ながらも理解していく。子どもの頃の「自分」はいつかいなくなる。赤毛だっておさげだって、いつか子どもの「自分」と別れなければいけない。
でも、ボクは。
「ね、いいでしょ! お姉さんも「けんしょうごっこ」に入れよう!」
おさげはいつだって純粋だ。真剣にこの町の魔法と向き合おうとする。距離を置かず、知りたいという欲求に真っ直ぐに進んでいく。
そんな少女が、時折、眩しく感じる。
ボクはずいぶんと捻くれているのだから。
「あのなぁ、おさげちゃん。さすがに俺たちの遊びにお姉さんを巻き込むのは、どうかと思うぜ?」
「どうして? お姉さんが旅人だから?」
「いや、そうじゃなくて。お姉さんに楽しんでもらえるかわからないだろ」
「そうなの?」
赤毛はおさげにどう説明していいのかわからず、困り顔になっていた。彼女は二人の会話を感情のない瞳で聞いていた。雨脚が強くなる。二人の会話が遠くなる。二人に挟まれていたボクは俯き、汚れた長靴をぼんやりと眺めた。声が雨と混ざり合う。雨音が雑音になっていく。雨も、泥水も、音と視界がぐるりと溶け込むような錯覚に陥る。頭が、酷く、軋む。
おとなは、だめなんだ。
ぼくは、おとなになれないから。
「……なんで、仲間に入れたがるんだよ」
自分が何を呟いたのか、理解できなかった。はっと顔を上げれば、二人分の驚きの視線を浴びた。
今のは、失言だ。
「ムギ君も、そうなの……?」
おさげの黒の瞳が潤んでいた。
「みんなと同じことをいうの?」
何の話だと尋ねる前に、黄色の傘が落ちた。
「おさげ!」
おさげが駆けだした。引き止めようと伸ばした手が宙を掴む。背中があっという間に雨の中に紛れていった。
立ち尽くすボクに赤毛があぁと間延びした声を上げ、がしがしと乱暴に頭を掻く。
「ムギ、今のはだめだろ」
「……わかってる」
静観していた彼女がボクの横を通り過ぎ、黄色の傘を拾い上げた。感情のない顔が振り向く。夕刻になれば、薄暗い町はさらに暗くなる。その町の中で、煌々とした光る無感動な金の目がボクを映していた。
ずぶ濡れの彼女が、傘を差し出した。
「わすれものだ」
「知ってる」
「おとしもののほうが、ただしいか」
「どちらも変わらないよ」
傘を受け取ったボクが上手く笑えたか、彼女の瞳から知る勇気はなかった。