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1 君を見つけたこの町で(2)

 赤毛の欲しいものってなんだろう。

 黒板に広がるチョークの文字を見ながら、ぼんやりと考えていた。教科書をめくり、ノートに書き込む音。先生の単調な声に居眠りをする生徒。静かな教室に、今日も雨音が響く。

 後方の窓際がボクの席だ。水滴がついた窓にボクの顔が映っていた。金髪碧眼。女の子と間違われやすい顔。可愛いと言われるのは心底嬉しくなかった。背が伸びれば、声変わりすれば、少しは男らしくなるのだろうか。ちらりと視線を斜め向かいの赤毛へと向ける。たった一歳の違いなのに、背が伸び、声変わりしている赤毛が羨ましかった。

 あいつは何が欲しいんだろう。

 ボクはお金を持っていない。高価なものは贈れない。

 母子家庭の我が家は、決して裕福ではなかった。屋根裏部屋を自室にしているのは、単純に家が小さいからだ。本当は働きにでたいけれど、母さんからどうしても学校に行って欲しいと言われた。引っ越しできる貯金すらない家計だ。二人で働いて引っ越し費用を貯めて、町を出てから学校に行くと提案すれば、父さんと暮らした町だからできないと首を振られた。

 父さんは帰ってこないのに。

 ボクが八歳の頃、父さんは行方不明になった。妖精に連れ去られたのだと大人たちは口を揃えた。雨降り町の雨は「魔法」だ。その魔法の雨に引き寄せられて、不思議な存在や現象が起きるのは珍しくない。偉い学者曰く、妖精の世界と人の世界の境界線が、雨によってあやふやになっているらしい。

 雨は、魔法を連れてやってくる。

 けれど、その雨を止める方法は誰も知らない。


 逆さ回りの懐中時計が一日の授業の終わりを知らせた。チャイムが鳴った途端、生徒たちが教室から出て行く。懐中時計の蓋を閉じ、席を立ち上がるとおさげの少女が声をかけてきた。

「ムギ君」

「ムギじゃない」

 焦茶のおさげが揺れる。黒色の目を瞬かせて、女の子はむふふと変な笑顔をつくった。

「ねぇねぇ、この後、予定ある?」

 おさげの手には使いこんだノートがある。ノートのタイトルは「あめふりまちのひみつ」。どういう内容か理解しているボクは、あからさまに嫌な顔をした。

「嫌だね。襲われたらどうするんだ」

「幽霊バスが通るバス停の近くに、ガラクタ山があるでしょう? そこにお宝が埋まっているかもしれないってノートに書いてあったの」

 おさげは気にせずしゃべる。鞄の肩ひもを肩にかけ、通り過ぎた。背中に早口でまくし立てるおさげの声が当たる。

「ガラクタ山のお宝って何かしら! 魔法に関わるものなら調べなくちゃいけないわ。何が眠っていると思う? 私は願いを叶えるランプが欲しいわ。あとは、空飛ぶトランクとか踊る赤い靴とか!」

「魔法に関わって、妖精の世界に連れ去られるかもしれないよ」

「それはそれで素敵ね」

 ボクの脅かしにおさげは怯まない。むしろべらべらと話す勢いが増すばかり。このままだとボクの家までついてくる可能性が非常に高い。おさげはそういう性格だ。いつもそうして、ボクをノートの「けんしょうごっこ」に付き合わせようとする。

 「あめふりまちのひみつ」と題したノートは、おさげの姉のものだ。彼女の姉は一年前に何も言わず町を出て行った。いなくなった理由はわからない。何か手がかりになるものをとおさげが探したところ、姉の部屋からそのノートを見つけた。

 「あめふりまちのひみつ」には、この町の不思議な現象や噂について書かれている。大半はスケッチだ。おさげ曰く、姉は絵が趣味だったそうだ。スケッチには古い言葉が添えられていた。姉の辞書で時間をかけて解読し、本当なのか確かめる。

 それが「けんしょうごっこ」。

 このノートを全て解読できれば姉がいなくなった理由がわかるかもしれない。頑なに信じているおさげを止められなかった。

 赤毛がひょいとボクの前に現れた。

「なんだ、ムギちゃん。おさげちゃんとデートか?」

「そうよ」

「違う」

 赤毛の赤茶色の目がノートへと移り、にやりと笑った。嫌な予感がする。

「けんしょうごっこか。俺も参加する」

「私も参加するの」

「ボクは参加するなんて」

 赤毛に腕を捕まれ、おさげに背中を押された。こうされたら逃げられない。気がついたらなぜか一緒にいるようになった二人とガラクタ山へ向かった。


 雨降り町には不思議な話がたくさんある。

 例えば、人の目玉を食べる魔法生物のホタル魚。妖精の世界に連れて行かれると囁かれる幽霊バス。あじさい通りに現れる赤い傘を差した女の子。

 そして、魔法使いが雨を降らせてから逆さ回りになった高台の時計塔。時計塔だけじゃない。町の時計の針は全て逆さ回りになっている。

 この町には、こういった不思議な現象や噂がいくつかある。興味本位や研究のために一時期は多くの人が訪れたが、何も解決されなかった。この町は沈むだけ。いつだったか旅人が呟いていた。

 住民の移動手段の大半が徒歩だ。車はあるが、階段や狭い道が多いため限られている。

 黒青黄色の傘を三人でくるくる回しながら、一列になって階段を下りる。幾度となく角を曲がり、あじさい通りを通り過ぎる。パイ生地のように重なった家が遠くなり、山のように見えたらガラクタ山はすぐそこだ。

 看板には「関係者以外立ち入り禁止」と心惹かれる文句が書かれている。周囲に大人がいないと確認してからガラクタ山に入り込んだ。

 一時間経ったら看板の前に集合と約束して二人と別れた。とはいえ、お宝というのはなんだろう。魔法に関わるものが本当に眠っているのなら関わってはいけない。

 だけど「けんしょうごっこ」は真逆をいく。魔法が関わっている物事にあえて突っ込んでいくのだ。魔法は確かにある。あるからこうしてこの町に雨が降り続いている。

 今のところ、「けんしょうごっこ」で危険な目に遭ったことはない。

 それが当たり前の日常だった。

 だから、今日もそうだと思った。

 雨脚が強くなる。周囲が雨音にかき消されてしまう。雨はいつだって行動範囲を狭めてくる。傘を差していても、父さんのコートを着ていても、長靴を履いても、濡れるものは濡れる。風が吹けばさらに濡れる。これでは宝探しは困難だ。今日は中断するしかない。名残惜しく感じながら引き返すと、ぱしゃんと大きな水たまりを踏んだ。

 視界の端に、妙なものが映った気がした。

 ゆっくりと視線を滑らし、辿っていく。

 手が、あった。

 ガラクタが積み上げられた小さな山に、白い手が生えていた。

 息を呑む。雨音がうるさく、思考を遮断してくる。頭の中が煮詰めたスープのようにぐらぐらと滾った。この手は、心臓が、止まった人の。

 辿りつきたくない結論にいきそうになり、母さんの手編みのマフラーをぎゅっと握った。柔らかい感触に安堵する。息を吐き、吸い込んだ。

 白い手に近づく。間近に見ると手首に窪みがあった。窪みの中には球体がある。これは、球体関節だ。血が通っているとは思えない白さに、ようやく人ではないと安堵した。

 なんだ、人形か。

 球体間接さえなければ、人の手だと勘違いしたままだっただろう。それくらい人形の手は精巧に作られていた。ガラクタから飛び出している手はボクより大きい。試しに触れてみると柔らかく、滑らかだった。ただ、体温はない。この町の雨と同じ温度だ。

 どういう人形なのだろう。興味本位で手を引っ張ってみた。びくともしない。もう一度、強く引っ張る。今度はガラクタの一部がことんと落ちた。傘の中棒を肩に当て、首で支える。両手で人形の手を握り、ガラクタに足をかけて思いきり引っ張った。

 人形が、ボクの手を握り返した気がした。

 傘が落ちた。がらがらと大きな音を立てて小さなガラクタの山が崩れた。尻餅をついたボクの隣に傘が転がり、晒された頭にどしゃぶりの雨が降り注ぐ。

 金色の目があった。

 女性の顔立ちをした人形は、本当に生きているように思えた。短い緑の髪は雨に濡れ、しっとりと艶がでている。うつ伏せになった体は破れた貧相な服を着ていた。もしかして、本当は人なのだろうか。いや、でも。握った彼女の手を見下ろす。人にはない立派な球体間接がある。

 なぜだろう。その手を離したくなくて、目に焼きつけたくて、ずっと見ていたいと思ってしまった。

「……イマード」

 喋った。

「君の名前?」

「ちがう、イマード。あなた」

 抑揚を感じさせない口調は拙く、言葉を覚え始めた幼い子どものようだ。

「ボクはイマードじゃないよ」

「なぜ」

 なぜと言われても、名前の人物ではないからとしか答えようがない。

「ねぇ、君は誰?」

 彼女は体を起こし、その場に座った。ボクは転がっていた傘を手繰り寄せ、自分と彼女に差す。一人と一体の距離が近くなる。

「ワタシ、魔法人形」

 躊躇いもなく彼女は答えた。

 あぁ、そうだ。どうして大切なことを忘れていたのだろう。

 雨は、魔法を連れてくるのに。

 土砂降りの雨が傘を強く叩く。雨は行動範囲を狭め、ボクたちの逃げ場をなくしてしまう。

 本当は恐れるべき相手なのに、金色の目がボクを興味深そうに照らす。ボクは笑って、彼女の目覚めを迎えた。

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