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6 君に恋したこの町で(3)

 決行は明日と彼女と約束した。

 夕方頃、雨降り町は大荒れになった。横なぐりの風が吹き、大粒の雨が降り注いだ。雨風だけでは物足りないのか雷も鳴っている。この荒れ模様だ。ボクを捜索するのは困難だろう。ほっとした反面、心の隅で期待している自分に気づいた。風が唸り、壁を叩いている。石壁の物置小屋は耐えてくれるのだろうか。息を吐き、膝を抱えて丸めた体をさらに小さくさせた。

 明日、ボクは彼女と魔法を解く。

 空が晴れればボクは消える。この町からいなくなる。忘れて欲しいのに忘れて欲しくない。矛盾する感情に揺らされ、頭が泥水のようにぐるぐる回る。ボクは化け物だ。あの子の父親に言われた通り、異質で異形だ。人の輪から外れた存在だ。

 住民からあの父親と同じ目で見られてもおかしくなかった。けれど、この姿に甘えてボクは「ボク」で居続けた。

 帰るべきなんだ。

 帰るべきなのに。

 人が恋しいよ。

 明朝に落ち合う約束をしてから彼女と別れた。

 赤毛とおさげは帰っただろうか。心配性の母さんは泣いていないだろうか。妖精の世界に帰れば、お気に入りのホットチョコレートが飲めなくなる。あれこれ思い返して、やっぱりこの町が好きなのだと自覚した。どうしようもなく惨めになった。

 次第に雨脚が強くなり始める。返して貰った蝙蝠傘を差しても横風が吹けば意味がない。屋根がない聖堂を出て、他に凌げる場所がないか探し歩いた。そのうち、石壁で作られた小さな小屋を見つけた。錆びついたドアを開ければ、庭用具が詰め込まれた小屋だとわかった。そこだけ時間が止まったような、置いていかれた物たちの匂いで満ちていた。風が収まるまでここにいよう。明かりのない小屋の中でうずくまり、風が叩く音に瞼を閉じた。

 赤毛がボクを見つけた日も、こんな雨だった。

 あのときのボクはただの妖精だった。人には見えない存在は、豪雨だろうが雷雨だろうが関係ない。濡れなけば風邪もひかないから、どんなに雨に当たっても気にならなかった。

 夜の雨降り町は沈んでいるようだ。真っ暗な夜が町をすっぽりと包み、絶え間なく雨が降り注ぐ。暗い世界に広がる雨の世界は、仮住まいにしていた湖の底の町と似ていた。

 子どもが眠っている間は遊べなくなる。それなら、朝まで一人遊びをしよう。思いついた日から、夜の雨降り町を駆け回り、子どもが夜更かししていないか窓を覗き、水溜まりを踏んで遊びながら朝を待った。

 だから、声をかけられるなんて予想していなかった。

 最初は勘違いだと思った。ボクは見えない存在だ。子どもの輪にこっそり混じって遊ぶ妖精だ。認識されないのが当たり前で、今まで疑問すら抱かなかった。

 それを壊したのは、赤い髪の子どもだった。

 雨は、魔法を連れてくる。

 魔法の雨の気まぐれなのか、ただの偶然だったのかは知らない。

 ただ、あの日、見えないはずのボクをあの子どもは認識した。

 混ざっていいかと尋ねられた。

 輪に入れて欲しいと言ったくせに、赤毛の子はちっとも楽しそうに見えなかった。たいていの子どもは、期待と不安が混ざった目で尋ねている。赤毛の子には、期待がなければ不安もなかった。寂しさが占めていた。

 人は雨を嫌う。雨に当たり続けると体調が悪くなる。雨をしのぐために安全な家を建て、居心地の良い部屋を作る。赤毛の子も同じだ。同じはずなのに苦しそうだった。しかも夜中だ。子どもは寝ている時間だ。なぜ赤毛の子が起きているのか、寂しそうにしているのかわからなかった。ボクみたいに透明ではないのに。一人じゃない癖にどうして寂しそうなんだ。

 困惑して固まっていたら、赤毛の子は泣きだした。人の子どもが目の前で泣くのも初めてだ。赤毛の子が窓を閉めて姿を隠す。慌てて窓に近寄り、窓ガラスに額をくっけた。うずくまった小さな背中は小刻みに肩を震わせていた。触れたい。でも、できない。どうしてこの子の背中を撫でる温かい手がないのだろう。透明な手を握ったり開いたりしてみる。人と同じかたちをしているのに、人じゃない。太陽に当たったら消えてしまう脆い存在。

 ボクにできるのは、伝えることだけ。

 誰も知らないだろうけど、ボクは欠席せずに毎日授業を受けている真面目な生徒なのだ。幼い子どもができる程度の読み書きはそこで学んだ。

 窓に小石を投げ、赤毛の子が開けた瞬間に紙を放り投げた。紙に文字を書いて想いを伝える行為を「手紙」と言うらしい。それじゃあ、ボクは初めて手紙をしたんだ。

 赤毛の子にボクの言葉は届いただろうか。

 返事をもらう前に、ボクは去った。


 吹き荒れる雨風に混じって誰かが叫んでいる。暴雨に喧嘩を売っているみたいだと思ったところで目が覚めた。いつの間にかうとうとしてしまったらしい。人の体は疲労が溜まる。休まなければ壊れてしまうのはなかなか不便だ。

 雨音は先程よりも落ち着いたが、風はまだ唸っていた。風の中に聞き覚えのある声が混ざっていた。

「ムギ! どこだ!」

 立ち上がり、ドアに駆け寄る。耳を当てればあいつが近くにいた。

「出てこい! ムギ!」

 赤毛だ。暴風の中、声を張り上げ、走り回っている。叫び続けた声は次第に震えてきた。

「どこに行ったんだよ! お前が先に行くなよ!」

 最初、町から出て行くのは赤毛が先だったのに、ボクが出て行くことになってしまった。ポケットの懐中時計を握る。鎖を掴んだ手はやっぱり剥がれていて、透き通った皮膚はボクが人ではない存在であることを示していた。

 ボクは、「ボク」でしかなれない。

「赤毛」

 両手を扉に添え、額を押し当てる。

「……ムギ?」

 暴風に攫われてしまいそうな声音は、あいつの耳にちゃんと届いた。

 赤毛はいつだって気づいてくれた。ボクが妖精だったときも、怯えず、話しかけてくれた。

 ボクを、見つけてくれた。

「ムギ、そこにいるのか?」

「赤毛、ごめん」

「なんで謝るんだよ。ほら、早く帰ろうぜ」

「だめだ!」

 扉を開こうとした赤毛に、鋭い制止の声を上げる。びくりと止まった気配がした。気まずい沈黙のあと、扉が軽く叩かれる。耳を当てているのかもしれない。

「どうした? 怪我でもしているのか?」

「ボクはもう帰らなくちゃいけないんだ」

「どこにだよ」

「遠いところ」

「だから、どこだよ」

 扉の向こうから赤毛の息づかいが伝わってくる。走り回ったのだから、呼吸が乱れていて当然だ。風は変わらずごおごおと唸っているのに、それ以上にボクの心臓がばくばくと鳴り響いていた。深呼吸をする。静かに息を吐き、扉の外にいる赤毛を見つめた。

「ボクが帰るべき場所。赤毛にはいけないところだ」

「どういうことだ」

「信じてもらえるかわからないけれど、ボクは、人じゃない」

「何、言っているんだ?」

 予想通り、赤毛は戸惑っていた。突然こんな話をされてすんなり受け入れられるわけがない。例え受け入れられたとしても、今までと同じように接することはできないだろう。今度こそ嫌われて、怯えられる可能性もある。

 それでも、別れは来るから。

 ボクは言わなくちゃいけない。

 赤毛は、おさげは、「けんしょうごっこ隊」は、ボクが「ボク」でいられた唯一の場所だったのだから。

 さよならを告げなくちゃ。

「ボクは、妖精なんだ」

 全てを告白しよう。ここで躊躇ってしまえば、もう言えなくなるような気がした。何も言わず去るより話してからのほうがいい。それが独りよがりな勝手な行動だとしても、ボクの心は納得できた。

 赤毛はボクを見つけてくれた。誘ってくれた。友達になってくれた。ボクを認めてくれた人間がいる。それだけで、こんなにも心強くなれる。

「妖精っていうのは、いつの間にか子どもの輪に混ざっているだろ。ボクもそれなんだ。でも、透明じゃないのは、この体の持ち主を食べたからなんだ」

「食べた?」

「そう、食べた。死にかけていた子どもを食べたんだ。妖精は食べた人の体になれる。この子と成り代わったんだよ、ボクは」

 この子の味は覚えていない。記憶に残るのは、最後まで母を心配していた青の瞳だった。

「そいつは嫌がっていたのか」

「いや」

「あんたに怯えていたのか」

「いなかった」

 赤毛が笑った気配がした。

「俺、ムギが怖くない」

「は?」

「妖精だかなんだか知らねぇけど、ムギは他人に甘いのは知っている。食べたのも理由があったからだろ。ムギはムギだし、これからもそうだ。だから、勝手に帰るとかいいだすなよ。この町の秘密だってまだ解けてないだろ。ホタル魚、すっげぇ怖かったけど面白かった。あぁいう体験もいいよな。皆に自慢できる。それから」

「赤毛」

 赤毛は口を閉じる。扉越しから低い声が落ちた。

「おさげちゃん、泣いてた。自分のせいだって」

「ごめん」

「行くなよ。勝手に置いていくなよ。お前が元気な姿を見せれば、おさげちゃんだって」

「ごめん」

「妖精って、気に入った奴を連れ去るんだろ。だったら」

「ごめん」

 乱暴に扉に拳がぶつけられる。

「どうしだよ! なんでだよ!」

「ボクは人じゃないからだ」

「知らねぇよ! お前は、俺の友達だろ!」

 赤毛の声は震えていた。赤毛のことだ。扉の向こうで顔を濡らしている癖に、ボクが現れたら腕で拭ってなんでもないような素振りをするんだ。いつものように減らず口を叩いて意地悪な笑みを浮かべるんだ。たくさんの不安を抱えながらも、あいつも自分の居場所を捜していた。誰かに認めてもらえることで自分の存在を確認したかったのなら、それはボクも同じだ。

 赤毛はそういう奴で、最初のボクの友達だ。

「あぁ、友達だ。これからも、ずっと」

 扉を薄く開ける。冷たい風と一緒に雨粒も入り込んできた。顔はださずに、懐中時計を握った手を赤毛につきだした。

「やるよ。友達の証ってやつ」

「ムギ」

 ボクの剥がれた手を見て息を呑んだ。これで少しは信じてくれただろう。

「見てろよ。明日、この時計を正しく回る時計にする。約束、果たすから」

 鎖から手を離せば、赤毛は確かに懐中時計を受け取ってくれた。

「おさげを頼む」

「……わかった」

 もう行けよと閉めようとした途端、赤毛は足を扉に挟んできた。勢いよく開けられる。隠れていたボクの顔が晒される。飛び込んできたのは、目を腫らしているのを感じさせないくらいの満面の笑顔だった。

「約束、果たせよ! 隊長命令だからな!」

「……うん」

 思わず頷くと頭をぐしゃぐしゃと撫でられた。

「お前、俺より字がうまいよな。ちょっとむかついていた」

「は?」

「じゃあな!」

 雨風の中、颯爽と走っていく。外を出れば、すでに小さくなった赤毛に大きく手を振られた。

「ムギー! お前、あの姉ちゃんのこと好きなんだろー! 帰る前に告白しとけよ!」

「あぁ!?」

 何、言っているんだ。あいつ。

 扉を閉め、寄りかかったままずるずると座りこんだ。濡れた髪の毛をかきあげ大仰な溜息をつく。

「あいつ、最後までボクを年下扱いしやがった……」

 それなのに、ふやける顔が抑えられなかった。不思議と悪い気はしなかったのは秘密だ。

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