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「あれは……何のパーティーでしたかね。席上で私は、王妃のワインにこっそりと酔いが強くなる薬を混ぜました。泥酔した王妃が退室すると、金の力で順調に出世していたワルドボーンに介抱させたのです。権力が欲しくてたまらない愚かな男は、予想どおりにファナリアを口説きました。心が弱っていた女は、これまた予想どおりにあっさり落ちました。どうです。面白いでしょう?」
楽しんでるのはヘンドリクひとりだ。セエラなんかは、不愉快でたまらないとばかりに顔をしかめた。側にいるマオルクスも同様だ。
「剣の腕もたいしたことなく、実績もないワルドボーンが上からの命令で出世していくからおかしいと思っていたのだ。そもそも、騎士にだって簡単にはなれぬのだぞ」
「マオルクス殿のおっしゃるとおりです。そのためのお金ですよ」
笑うヘンドリクに、今度はセエラが疑問をぶつける。
「人をひとり将軍にまで、お金で出世させるとなると、とんでもない額が必要となるはずよ。貴方は一体、どうやって工面したというの?」
「簡単な話ですよ。私も下の方から数えるのが早い家柄の出とはいえ、貴族でしたからね。知り合いはそれなりにいました。その中で、愉快なほど人のよい者がおりましてね。協力してもらったのですよ」
「パトロンになってもらったというわけね。貴方も協力した貴族やらも、ろくなものじゃないわ」
「故人を悪く言わないでください。財産をすべて失うどころか、借金まで残して自害したかわいそうな人なのですよ。フフフ」
その台詞で、ミルシャはヘンドリクの言った協力がどのようなものなのかを理解した。
「ヘンドリク。貴方……その貴族を騙して、財産を奪ったのね」
「これは女王陛下、騙したとは人聞きの悪い。私はただ、涙ながらに協力を訴えただけです。家族が大変なので、お金が必要だ。必ず自分で返すから、保証人になってくださいとね。うっかりしていて……彼に伝えた金額にまるが幾つか足りませんでしたがね」
「それを騙したって言うのよ!」
「フフフ。あれは愉快でした。借金の総額を知り、顔面を蒼白にさせた男が、必死になって私を探すのです。用意周到に計画していたものですから、見つかりはしませんがね。困った男は、借金返済のために差し押さえられた自宅で人生を終えました。いや、惜しい人を亡くしたものです」
飛びかかりたくなる衝動を、必死でミルシャは抑えた。ヘンドリクという男は陰湿な上に狡猾だ。現在行っている会話も、こちらを怒らせるためにしているのかもしれない。だとしたら、迂闊に反応するのは危険だ。
「惜しい人の奥方は、とても綺麗な女性でした。他の貴族が羨み、手に入れたくなるほどにね」
「まさか、貴方……」ミルシャの声が震える。
「ええ。気に入っていた貴族の中で、一番の高値をお支払いくださる方にお譲りする予定でした。ところが、意外にも横やりが入ったのです。故人と懇意にしていた貴族が、残った借金を返済した上でその奥方とお嬢様を引き取ったのですよ。これには、さすがの私も驚きました。このままではハッピーエンドになりません。私のね」
フフフと口端を歪めるヘンドリクが、外道極まりないかつての行いを口にする。
「ですから、今度は違う手法ではありましたが、その方にも借金を背負っていただいたのです。もちろん、財産も没収させてもらいました。私の野望に協力してくださった方々の名前は興味もないので忘れてしまいましたが、恩だけは覚えていますとも。こうしてお綺麗な奥方は、誰よりも欲していた貴族の――醜い中年男に買われていったのです」
「なんてこと……セエラ?」
ミルシャは気づいた。隣で血を流すほど、唇を噛んでいる女性に。目を血走らせ、これまでに見た経験がないくらいに憎悪を剥き出しにする姿に。
「……思い、出しなさい……最初に……犠牲にした……貴族の名前を!」
戦場全体に響き渡りそうなくらいの大声だった。発したのはセエラだ。
側にいるだけで身震いする殺気を放ってるというのに、向けられてる当のヘンドリクはどこ吹く風だ。
「ううむ……なかなかに難しいですな。カラルク? いえ、カスルクだったでしょうかな。やはりよく覚えておりません。目当てなのは金だけでしたからな」
朗らかに笑うヘンドリクを見て、セエラが怒りを爆発させる。
「なら、私が教えてあげる! その貴族はラスルク家よ! ようやく見つけた……! お前が両親の仇か!!」
「両親の仇? これは異なことをおっしゃる。私は、貴方の両親を殺めてはおりませんぞ。勝手に死んだだけです。奥方の方は、他の貴族の仕業ですよ。娘を殺すと脅しをかけて肉体をものにしたまではよかったのですが、心まで許さぬのでつい殺してしまったそうです。まあ、その後、母親を失った娘を引き取ったらしいので、これもひとつのハッピーエンドですな。おや、そういえば貴方……どことなく、その奥方に似ておりますな。クク、フフフ」
「黙れっ! 殺す! 絶対に今すぐ殺してやるっ!!」
目をひん剥いたセエラが、持っていたナイフを投げたのが戦闘開始の合図となった。
すべての黒幕だと告白したも同然のヘンドリクを、ミルシャもまた許すつもりはなかった。
「いかん! 怒りに身を任せて、無造作に突っ込むな!」
マオルクスの声は届かない。投げたのとは違うナイフを取り出したセエラは、雄叫びを上げて両親の仇へ突進する。
「そうだ。こんな言葉を知っていますかな。短気は損気。怒りは莫大なエネルギーを生み出してくれますが、それゆえに冷静な判断をできなくなる。困ったものです。少し考えれば、罠を仕掛けてることくらいわかりそうなものなのですがね」
余裕全開のヘンドリクが、指をパチンと鳴らす。いつの間に仕掛けていたのか、地面から何本もの鋭い槍が突き上げてくる。
真っ直ぐに走ってくるセエラに狙いを定め、全身を貫こうと襲い掛かる。
「すぐに両親のもとへ送ってさしあげますよ。それとも……貴女を引き取って育ててくれた貴族の方がよいですかな。フフフ!」
笑うヘンドリクの前で、槍がセエラの全身を捕らえかけた直前、何者かが彼女をどんと突き飛ばした。
「ぐおお――っ!」
突き飛ばされて地面に倒れたセエラの側へ駆け寄る。その途中でミルシャが見たのは、代わりに全身を槍で貫かれているジドーの姿だった。
「ほう。女性のために身体を張るとは、見上げた根性です。色でたぶらかされましたかな」
「あン? たぶらかされるどころか……手すら握ってねえよ。悪かったな」
身体のあちこちから血を流しながら、ジドーは倒れているセエラを見た。
「何……してやがんだよ。お前の売りは、憎らしいくらいの冷静さじゃねえのか……」
「だ、だって……」
「……話は途中から聞こえてた。奴が……お前の仇だってんだろ? だったら、なおさらしっかりしろよ。殺されそうになって、どうすんだよ」
「わ、私……でも、ジドー。あ、ああっ!」
取り乱しそうになるセエラを、ジドーが強く叱責する。
「しっかりしろって言ってんだよ! 仇をとりてえんだろ!? 俺が協力してやるからよ!」
「フフフ。面白いことを言う男ですな。全身を私の魔法の槍に貫かれた状態で、どうやって手伝うというのです?」
「こうやって……だよっ! ぬおお――っ!!」
雄叫びを上げたジドーが、強引に身体を動かす。突き刺さったままの槍を引きつれ、傷口が開くのも構わずに一歩ずつヘンドリクに向かっていく。
「な……!? で、では、これでどうですかな! 私があらかじめ地面に仕掛けておいた罠は、ひとつだけではありません。踏むと発動する魔法は、魔族の知識も得て完成した最高の技術。その身体でたっぷりと味わいなさい。死に絶えるまで!」
仕掛けた魔法の罠が、次々と炸裂する。足を挟むトラップみたいなのもあれば、爆発するようなものまでだ。用意周到に準備を終えていたからこそ、ヘンドリクはわざわざミルシャたちの前へ姿を現したのだ。
恐らくはセエラの正体にも気づいていたのだろう。知らないふりをしてきたのは、いざという時に挑発して罠にかけるためだ。
現にジドーがいなければ、セエラは真っ先に引っかかっていたはずだ。助けようとしたミルシャが近づき、巻き添えを食らう。弱ったところで、待ってましたとばかりにヘンドリクがとどめを刺す。
よく練られた作戦に思えたが、例外があった。セエラを助けに現れたジドーの存在だ。
「バ、バカな……! あれだけの魔法を食らい、どうしてまだ動ける!?」
「ク、クハハ! 余裕が消えてきたじゃねえか。ぐふっ! こ、この程度……何でも、ねえよ。俺は……つい最近、もっと……痛い傷を……あいつの……セエラの心に……つけちまったからな……」
「な、何を言っている! こ、こうなれば私が直接、魔法で仕留めてあげましょう!」
ヘンドリクが魔法を唱えようと、両手を前に突き出した。
そこへナイフが突き刺さる。セエラが投げたものだ。
「ぐ、ぐおおっ! わ、私の手に……ナイフがぁあああ! おのれ、小娘っ! こうなれば一度退却する。だが、覚えておれ。必ずや私が、貴様を両親と同じ目に――」
「――あわせるってか? 俺が、そんなのを許すと思ってんのかよ」
「お、おおお前……ひ、ひいいっ!」
血だらけになりながらも、目の前までやってきたジドーの迫力に圧倒され、悲鳴を上げたヘンドリクがその場に尻もちをつく。
地面に尻を擦りつけて後退りするも、素早く回り込んだセエラが立ち塞がる。
「策士、策に溺れるとはこのことかしらね。両親の仇として、わざわざ名乗り出てくれたことだけは感謝してあげる」
「ま、待てっ! そ、そうだ。私に従え。そうすれば、魔族との仲をとりもって、お前にも永遠の命を――」
「そんなものはいらないわ。私が欲しいのは、お前の命だけよ」
ヘンドリクの手のひらに突き刺さっていたナイフを引き抜くと、今度はおもいきり胸に突き立てた。情け容赦のない一撃だった。
ナイフが心臓へ届いたのを証明するかのように、ヘンドリクの全身が硬直する。
「お、おお……こ、この私が……こ、こんな……い、嫌だ……死ぬのは……! ま、魔族になれば……」
「永遠の命? そんなものを欲して、多くの人たちの命を奪ってきたというの? ふざけないでっ!」
肋骨の間に突き立てた刃を、力任せに奥へ押し込む。すでに到達している刃先で、心臓を貫こうとしてるかのようだった。
グリグリと動かし、相手が口から血をはいても力を緩めない。恨みのすべてが、セエラの両手に込められていた。
「お前が裏で糸を引かなければ、私の両親は死なずに済んだ。私だって……! それに、死んだ王妃たちだって、違う人生を歩めていたかもしれない。お前が……お前がぁあああ!!」
「……やめろ」
傷つき、血だらけのジドーが、ナイフを握るセエラの両手の上に自分の手を置いた。
「もう……死んでる」
「う、うう……うわあぁあああ!!」
緊張から解放されたように、セエラが両手をナイフから離す。絶命したヘンドリクの体が、どうっと地面に倒れる。
大きく見開かれた目が、何かを欲するように空を見続ける。魔族になり、人間では得られない寿命を欲した男の最期はとても惨めだった。
「……蔑んでいたワルドボーンと同じじゃないの。欲望に支配された貴方は、すでに立派な魔物だわ」
何も言わなくなったヘンドリクへそう吐き捨てたあと、ミルシャはいまだ泣き続けるセエラのもとへ急いだ。




