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「散々裏切ってきたくせに、今さら妻らしく振舞おうというか。それもまた傑作だな」
ワルドボーンが声を大にして笑った。
「……散々、裏切ってきたからだ。どうか、哀れな女の願いを叶えておくれ」
「フン。まあ、いいだろう。そのあとで、たっぷり可愛がってやる。ただし、俺の手駒となるのを誓ってもらうぞ」
「喜んで誓おう。わらわのすべてを、お前に捧げるとな」
満足そうに頷いたワルドボーンが、両手でゲルツを抱える。わらわの愛しい愛しい男性の亡骸を。
「どこまで運べば――」
ワルドボーンの顔が驚きに歪む。
何が起きてるのかわからないとファナリアを見たあとで、苦痛と絶望の呻き声を上げる。
ファナリアが両手に持つナイフは、背中側から間違いなくワルドボーンの心臓を貫いていた。
戦帰りで、魔物が支配する城の中。油断して鎧を身に着けてなかったのが災いした。
もっとも、とファナリアは思う。わらわにとっては、好都合極まりなかったがな。
「な、何を……」
「何を? 決まっておるであろう。わらわを裏切った男への復讐じゃ。貴様の口車に乗って、ずいぶんと住民たちを辛い目に合わせた。ひと足先に行って、謝っておけ」
魔将軍と呼ばれたところで人間には変わりない。心臓を貫かれて、生き延びられるはずがなかった。
カハっと吐血したワルドボーンが、ゲルツの身体を床へ落すと同時に倒れる。
「貴様もわらわも行先は地獄。善良な市民とは会えぬかもしれぬがの。とどめは刺さぬ。そのまま、死の恐怖に怯えておれ」
「ガハっ! ま、待て……待ってくれ……! て、手当てを……」
「……もう、手遅れじゃ」
冷たい目を向け、ワルドボーンが絶命するまで待つ。
見守るのではなく、惨めにのたうちまわるのを嘲笑うのが目的だった。
この男のせいで、わらわもコンスタンテも酷い目にあった。
だが、もともとの原因は、こんな男の甘言にそそのかされた自分にある。
愛する夫を信じられず、寂しさを埋めるために身を任せたのが最初だった。
「わらわも……じゅうぶんにくだらぬな……」
ファナリアがポツリと呟いた時には、もうワルドボーンは事切れていた。
「……貴様の躯が、陛下の側にあるなど耐えられぬ。特別にわらわが運んでやろう」
動かなくなったワルドボーンの両足を持つ。上半身が床にぶつかろうとも気にしない。引きずって、ガギュルの死体がある場所まで移動させた。
「魔将軍の地位を欲したくらい、魔物が好きなのだ。貴様に相応しい死に場所であろう」
権力だけを求めた哀れな男は、惨め極まりない最期を遂げた。
ならば愛だけを求めた哀れな女は、どのような最期を迎えるのか。
「……ろくでもないことだけは確かじゃな」
呟いた言葉こそ正解だといわんばかりに、とりまく状況が動き出す。亡き夫の側へ戻り、手にしているナイフで自害する暇もなくイルヴォラスが姿を現す。
空間移動できても、その先に何が待ってるかまでは予測できないはずだ。今が絶好のチャンスかもしれない。ファナリアはナイフを持つ手に力を込めた。
ワルドボーンの命を奪い、屈辱を与えてくれた憎き魔物を滅ぼそうとしてるナイフは、セエラのものだった。彼女がガギュル相手に使ったあと、回収し忘れたものを勝手に拝借したのだ。
没落した貴族の娘よ。願わくば、お前の怨念の力をわらわに与えてくれ。
祈りながら、空間が歪んだ場所に刃を突き立てる。
グサリと。ナイフが肉にめりこんだ感触がした。やった。ファナリアは心の中でガッツポーズをする。
「わらわの大切な息子、フロリッツの仇じゃ! 己の罪を悔いるがいいっ!」
地下に現れたイルヴォラスの首筋に、突き刺したばかりのナイフが光る。相手が人間なら、一撃で致命傷となっている。
「あれだけ身の程を教えてやったというのに、まだ逆らう元気が残っていたか」
たいした影響もなさそうに、イルヴォラスは首に突き立てられたナイフを引き抜いた。腕を掴まれたファナリアの目が、大きく見開かれる。
「何を驚いてる? この程度のナイフごときで、俺の命を奪えると思ったか。思い上がるなよっ!」
強烈な平手打ちを顔面に食らう。目の前で火花が散った。
派手に吹き飛ばされたファナリアは、かろうじて上半身を起こす。ポタポタと鼻血が床に垂れ落ちる。
両足がガクガクする。腰にもろくに力が入らない。どうやらフロリッツの仇を討つという目的は、達成できそうになかった。
「ほう。ガギュルを倒したか。まさかお前の仕業ではあるまい。役に立たぬ魔将軍はどうでもよいが……少しばかり、話を聞かせてもらうとしよう」
侮蔑の視線すら向けず、床にあったワルドボーンの亡骸を乱暴に踏みつける。ゆっくりと近づいてくるイルヴォラスは、ファナリア程度が敵う相手ではない。
「わらわが……素直に話すと思うか?」
「話すさ。お仕置きをしてやれば、また泣き喚きながら命乞いをするだろうからな」
「そうかもしれぬな……わらわはとても弱い。だが……」
なんとか立ち上がったファナリアは、よろよろと後退りする。
身体のあちこちは痛いが、吹き飛ばされたおかげで亡き夫の側にこられた。その点だけは、イルヴォラスに感謝した。
ナイフは相手に奪われた。心臓を突いて自害することは叶わないが、方法はいくらでもある。
呼吸を荒くしながら、やっとの思いでゲルツの横に辿り着く。
「すでに死んだ人間みたいだな。何者だ?」
最初に魔物と交渉した時から、玉座にはファナリアが座っていた。イルヴォラスを含めた魔物たちは、ゲルツが何者なのかを知らない。仮に知っていたとしても、地下に軟禁されてる人間の男がいるという程度だろう。
「わらわの……夫じゃ。この身はすべて、この人のもの。もう二度と、貴様らの汚い手で触らせはせぬっ!」
最後の力を振り絞る。動かなくなった夫を抱きしめ、ファナリアは自らの意思で水路へ飛び込んだ。
ざまあみろ、と思った。海と繋がってる水路だけに、他のよりも流れが速い。イルヴォラスといえど、飛び込んで追ってきたりはしないはずだ。
水の底に沈みながら、ファナリアは愛する男性の顔を見る。ゲルツは確かに、自分のことを愛してると言ってくれた。それで十分だった。
憎んだりせず、お互いに愛されてる女として、アリーシュとも仲良くするべきだった。そうすれば、フロリッツも死なずに済んだ。
愚かな自分が許してもらえるとは思えないが、叶うなら向こうの世界でもゲルツと一緒にいたい。今度こそ最後まで信じ、愛し合うために。
自由に身動きが取れない中で、ファナリアはゲルツの唇に自分のを重ねた。水の中でも、ひんやりとした冷たさを感じた。
わらわも……誰より、愛しています、陛下……。
意識が失われる瞬間まで、ファナリアは心の中で愛の言葉を囁き続けた。
ミルシャを救出して城の外へ出たラースたちは、待機していた騎士たちと合流した。一般兵や住民も含めて、かなりの数になった。
「これだけの人が……王都を出たがっているのね……」
目を丸くするミルシャに、亡命を希望する騎士のひとりが応じる。
「魔物に支配されて以降の惨状は酷いものでした。愛する者を無理やりに奪われ、自害した者も少なくありません」
荒くれ者や欲望にまみれた傭兵が集まり、好き勝手を行った結果だった。
店なんて開いていたら、一時間もしないうちに商品を根こそぎ強奪される。
暮らすのもままらならなくなった王都に、好んで残りたいと思う住民は少なかった。
「わかりました。我が国で可能な限り保護します。元は同じ国の住民ですからね」
女王らしい口調で応じたミルシャが、怪訝そうな顔をした。
ひとつの方向をじっと見つめるラースに気づいたからだ。
「どうしたの?」
声をかけられたラースは、悩んだ末に理由を教えた。
「あそこで……倒れてるの……僕の、叔母さんなんだ……」
近寄って確認しなくとも、すでに事切れてるのがわかる。
恐らくは魔物か荒くれ者どもに襲われたのだろう。近くには、彼女が誰より愛していた息子もいる。
身ぐるみを剥がされ、ボロ雑巾のように道端へ捨てられている。
辛い思いもさせられたが、叔母のサディがいなければラースは途中で飢え死にしていた。
埋葬してあげてる時間はない。けれど、せめて……。
「よければ、誰か……僕にマントをくれませんか……?」
何も言わずに、同行中の騎士のひとりが自身のマントを手渡してくれた。
お礼を言ってから、ラースは急いでサディのもとへ向かった。
印象どおりに、彼女は別の世界へ旅立ったあとだった。
「叔母さん、向こうで……僕のお母さんによろしくね……。今まで、ありがとう……そして、さようなら……」
しゃがみ込んで話しかけたあと、マントをかけた。全身がすっぽりと覆い隠れるまではいかないが、悲惨な姿を晒さずには済む。
気がつけば、他の皆も可能な限り、衣服すらも奪われた人たちの亡骸にマントなどをかけていた。
「いつか……きちんと埋葬してあげたいわね」
側に近寄ってきたミルシャが言った。
「あの丘でよく泣いてはいたけど、ラースは一度も貴女の文句を言ったことはなかったわ。どうか安らかに眠ってください」
マントの上から、ミルシャも祈ってくれた。ラースはありがとうと言った。
「フフ、お礼を言われるようなことじゃないわ。さあ、行きましょう。あまり遅くなると、せっかくの機会が失われてしまうわ」
「そうだね。色々な人たちの助けがあって、僕らは城からミルシャを救い出せた。ここで失敗したら、怒られるね」
ラースとミルシャがともに戻ると、すでに出発の準備は終わっていた。
「では、これよりゼロへ帰還します。道中は魔物へ見つからないようなルートを徒歩で移動しますので、どうか気をつけてください」
ミルシャの言葉で全員が歩き出す。先頭にはランジスから一緒に来てくれた騎士たちが立つ。ガギュルとの戦闘でダメージを負った者もいるが、誰ひとりとして弱音を吐かなかった。
騎士たちのすぐ後ろにミルシャが続く。女王を警護すべく、側にはラースとセエラがいる。
そのあとに亡命希望の住民たちがいて、兵士たちが彼らを守ろうと指定の位置を歩く。
最後尾にいるのは、少し前までレイホルン所属だった騎士たちだ。背後から敵が追ってきた場合に備え、多めに人員を配置している。
一行が歩き出した直後、ミルシャのやや後ろをついてきているコンスタンテが立ち止った。
通り過ぎる人々に不思議そうに見られる中、彼女は一度だけ手を組んで目を閉じた。城へ残った母親へ祈るように。
「お母様……言われたとおり、コンスタンテは……強く、生きていきます」
あの場にいた人間であれば、王妃ファナリアが死を覚悟していたとわかる。ラースたちが少しでも遠くへ逃げる時間を稼ぐためにも、身を犠牲にしてくれたのだ。
しばらく閉じていた目を開き、コンスタンテが小走りで元の位置まで戻る。
「……最後の挨拶は終わったの?」
ミルシャが振り返って尋ねた。
「ええ。いつか……戻ってきた時に、きちんとお墓を作ってあげたいわね……」
寂しそうに微笑むコンスタンテの頬に、ひと筋の涙がこぼれた。




