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「正気ですか、お母様っ! ひとりの将軍にそこまでの権限を与えるなど、聞いたことがありませんぞ!」
「静かにしておれ、フロリッツ。仕方がなかろう。我が軍は、ワルドボーン抜きではどうにもならぬ。先ほどの光景が物語っていたではないか」
「だからといって……! くっ! 僕は認めないからな!」
言葉をワルドボーンへ叩きつけると、フロリッツは謁見の間を足早に出て行った。そのあとを、心配そうに姉のコンスタンテが追う。
ワルドボーンは、ヘンドリクに二人の様子を見てくるように命令する。頷いた腹心も謁見の間を出ると、急に馴れ馴れしい態度でファナリアの肩に手を置いた。
「危ないところでしたな。今後も私が城にいられれば安全なのですが、すぐにでもまた出撃せねばなりません」
「な、何じゃと……!?」
ファナリアは露骨に、動揺を露わにした。今回は間一髪で助けてもらえたが、次も無事で済むとは限らない。ワルドボーンが少し不在にしただけで、先ほどの有様だったのだ。
貴族連中が、ワルドボーンの仕向けた手先だと知らない王妃ファナリアは恐怖で頬をヒクつかせる。
「そ、それはいかん。戦争なら、他の者にやらせればよい。ワルドボーン、お前は常にわらわの側へおるのじゃ」
「そうしたいのはもちろんですが、生憎と軍人は戦場へ赴くのが仕事なのです。政治では役に立てません」
「そのようなことはない! そ、そうじゃ。ならば、宰相も兼務せよ。これは命令じゃ!」
ワルドボーンが内心でほくそ笑んでるとも知らず、ファナリアは相手が欲していた台詞を口にしてしまった。
軍の編成権に加え、宰相としての権限も加わる。貴族の反乱を恐れるファナリアにとって、ワルドボーンだけが頼みの綱である証明だった。
身も心も依存しきってしまえば、ワルドボーンの要求に拒絶するのは難しくなる。もはやファナリアは、飾りの女王も同然だった。
ファナリアの決定は、すぐにレイホルン中へ知らされた。住民たちは、こぞって国がワルドボーンに乗っ取られると噂した。
状況を正しく把握できていないのは、王妃のファナリアくらいのものだ。
「いい加減になさってください! さすがにやりすぎですっ!」
謁見の間で王子のフロリッツが、母親でもある王妃のファナリアを説得しようと試みる。側には姉で王女のコンスタンテもいた。彼女もまた、今回の決定に不服を持つ者のひとりだった。
「民がどのように話してるか知っていますか? 王妃はワルドボーンの傀儡になったと言われてるのですっ! 本当にこれでよいのですか!?」
激昂するフロリッツの言葉に考えるそぶりを見せるものの、ワルドボーンが姿を現すと態度が露骨に変化する。
表向きはこれまでと同様に接するが、彼に嫌われたら大変とばかりに、気を遣ってる様子がありありとわかる。
最近では王妃と将軍の立場でありながら、同じ部屋に寝泊まりしてるという話まであるくらいだ。
妾の子に王位継承権を与えた父親に引き続き、母親までもが自分に王位を与えたがらないのか。フロリッツはギリっと歯を鳴らした。
ファナリアに取り入り、国を影で操れるようになったワルドボーンが、簡単に権力を手放すとは思えない。あらゆる手段で、フロリッツを飾りの国王とするに決まっていた。
「話はもう終わりだ、フロリッツ。わらわは、ワルドボーンと話があるのでな」
「お母様……」
コンスタンテが、悲しげに呟いた。
誰の目にも、王妃が我が子よりもワルドボーンを優先してるのは明らかだった。
「申し訳ありませんな、殿下。国の大事なお話ですゆえ」
「く……! いい気になるなよ、ワルドボーン。近いうちに、僕が次期国王だというのを思い出せてやる」
「お待ちしております」
ワルドボーンが余裕の態度で頭を下げた。王族として敬うような姿勢を見せても、内心で小ばかにしてるのがすぐにわかった。
権力を持たないフロリッツが、何かできるとは最初から思ってないのだ。
今に見ていろ。廊下に出たフロリッツは侮蔑の言葉を吐きながら、自身の部屋へ戻った。
心配する姉のコンスタンテも寄せつけず、しばらく部屋の中で過ごして夜になるのを待った。
日中に謁見の間で見せられたワルドボーンの態度で、フロリッツの中にある迷いは綺麗に吹き飛んだ。
周囲に人がいないのを確認してから、地下に移動する。ここには父親のゲルツ国王が軟禁されている。目的はそちらではない。
王族しか知らない隠し通路がある。そこを通れば、地下二階へ行ける。
がらんとした大きな部屋があり、中には食料などが保管されている。有事の際に、王族が身を守るシェルターみたいなものだった。
フロリッツは、そこに客を待たせている。それも人ではない。
地下二階にひとつしかない部屋を開ける。中には約束どおり、一匹の魔物がいた。
緊張と不安で、かすかに汗をかく。本当にこれでいいのかとも思う。
今ならまだ引き返せる。だが、ワルドボーンに舐められっぱなしでは終われなかった。
「……待たせたか?」
「気にするな。すぐに死ぬ貴様ら人間と違い、我らは寿命も長い。仮に数日待たされたとしても、気にはならぬさ」
案外気さくな感じだったので、フロリッツは意外に思った。これなら、話し合いになるかもしれない。
「奴から話は聞いた。俺の力を借りたいそうだな」
「そのとおりだ。どうして奴が、お前を紹介するのかわからないがな」
ある者の手引きによって、魔物を城へ招いた。今回の話も、同じ人物からもたらされたものだ。
言葉にしたとおり、フロリッツに魔物を紹介した男の目的は不明だった。
不気味さも感じるが、利用できるものは何でも利用する。そうしなければ、この国はワルドボーンに好き勝手されてしまう。
王妃のファナリアはすっかり骨抜きにされた。次期国王にワルドボーンを指名しろと言われても、従いかねない有様だ。
姉のコンスタンテは頼りにならない。誰かを虐めるのは得意でも、自分で何かを実行する能力には欠ける。意外と小心者なのだ。
フロリッツは違う。正統な次期国王として、魔物でさえも上手く操ってみせる。
「我が国は今、戦争中だ。お前たちが滅ぼし損なった小国とな」
若干の皮肉を込めて、言ってやった。実は魔物と王妃の間では、裏取引がされていた。
秘密裏に魔物へ自国の領地の一部を与える代わりに、有事の際には裏から助力する。
魔物が侵攻する気配を見せていると報告を受けた時、王妃ファナリアはワルドボーンに命じて魔物の代表者を城へ呼び寄せて交渉したのだ。
交渉は成功し、魔物どものためにお膳立てもした。それがランジスの町だ。
生贄として、役に立たない住民を残した。殺そうが労働力としようが、魔物たちの自由だった。
しかし、奴らは侵略に失敗した。あろうことか、わずかな軍勢に押し返されたのだ。
約束が違うと言ってきたりはしなかった。少なかろうと人を残すのだから、抵抗は当然ある。王家側も説明したし、魔物側も了承した。
にもかかわらず、支配できなかったのは魔物側に責任がある。ランジスひとつ攻め落とせぬ連中など、何の役にも立たないと王妃は取引をすべて破棄した。
その後、ランジスを取り戻すために侵攻を開始した。魔物の情けなさを嘲笑いながら、あっさりと領地を取り戻すためだ。フロリッツも簡単に決着がつくと思っていた。
結果は予想とは真逆になった。魔物どもに、それ見たことかと笑われかねない状況だ。それもこれも将軍のワルドボーンが無能なせいだ。あんな奴に、国を譲るなんて冗談じゃない。
魔物どもを使ってフロリッツの力を見せつける。そうすれば愚かなワルドボーンも、自分の正しい立ち位置を思い出すだろう。
「返す言葉もないな。いかなる理由があろうと、我らが侵略に失敗したのは事実だ」
魔物は素直に、自分たちの力不足を認めた。
想像していたよりも殊勝な奴ではないか。フロリッツは思った。魔物であっても、王家の威光には敵わないのだ。
若く、恐怖を知らないだけに、フロリッツはひとりで調子に乗る。力を借りに来たというのに、あくまでも偉そうに魔物へ接する。
「そのとおりだ。しかし、我が国もいまだ攻め落とせてはいない。そこで、お前たちにも協力させてやろう」
「……よかろう。最初に約束を違えたのは我らだ。報酬は不要。すぐにでも仕事へとりかかろう」
「よく言ったぞ。特別にお前の名前を憶えてやろう。教えるがいい。光栄に思えよ。僕は次期国王になる男だからな」
「……俺の名前はイルヴォラスだ。次期国王となる偉大な王子と面会できて、実に光栄だった」
「感謝の気持ちを忘れないことだ。そうすれば、お前たちの処遇にも配慮してやっていい。次期国王で王子の僕、フロリッツが約束をしてやる」
魔物との交渉を上手くまとめてやった。フロリッツは上機嫌だった。世間知らずであるがゆえに、魔物でさえも配下の者と同じように扱った。
配慮する必要などない。自分は次期国王。ワルドボーンなどとは、生まれも育ちも違う生粋の権力者だ。
「お前たちの働き、期待しているぞ」
「任せてもらおう」
フロリッツに言葉を返したあと、イルヴォラスの姿が掻き消えた。
「ほう。部屋の中からすぐに移動できるのか。便利な能力だな。まあ、せいぜい役に立ってくれよ。フフフ」
自分ひとりしかいなくなった地下室内で、フロリッツはしばらく笑い続けた。
戦局を五分五分に戻し、安心できなくともひと息つける。元領主の館で、少しだけ女王ミルシャが肩の力を抜こうとした矢先だった。
相変わらず粗末な謁見の間へ続く扉を、兵士のひとりが勢いよく開けた。
玉座とはいうが、元領主の使っていた少し豪華なだけの椅子に座っているミルシャが顔を上げた。
隣では騎士団長を務めているマオルクスが、何事だと兵士へ声をかける。
「ご、ご報告申し上げますっ! ランジス東の戦場において、突如として魔物が襲来! 我が軍に甚大な被害をもたらしてる模様です!」
「何だとっ!?」
驚愕の声を上げたのは、マオルクスだった。戦場の指揮を頼りになる配下の騎士に任せ、ミルシャの警護を担当するようになって数日が経過したばかりだ。騎士団長が指揮を離れた隙を狙ったわけではないだろうが、どうにもタイミングが悪すぎた。
「魔物が再び攻めてくるかもしれないとは思ってたけど、嫌な時期に来たわね」
ミルシャは玉座の上で頭を抱えた。以前にランジスを攻めてきた魔物は全滅させた。だが、あれで終わりとは限らない。何らかの目的があって侵略したがったのであれば、近い将来にまたやってくる。
想定は正しかったが、攻め込んでくる時期の予想を大きく間違えた。結構な数の魔物を倒したのだから、戦力が整うまではおとなしくしてると思ったのだ。
「クッ……! 油断したわ。それで、敵軍の被害は? よもや、我が軍だけを攻撃したわけではあるまい」
戦場にやってきたのであれば、レイホルン側も少なからず被害を受けたはずだ。
マオルクスの問いかけに、報告に来た兵士が表情を曇らせる。見せた態度だけで、どのような状況になっているのかが理解できた。
「まさか……我が軍だけを狙ってきたというのですか? そんなことが……」
ミルシャは絶句する。厄介事がひとつ増えたと同時に、戦局はまたしても大きく変わろうとしていた。




