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幼い頃のセエラことセルマ・エル・ラスルクは、とても幸せだった。貴族の一人娘として生を受け、お姫様みたいに扱われた。名誉も資産もあり、両親は優しい。
幸せを満喫していたセルマが、地獄に叩き落されたのは十歳になるかどうかという時だった。突如として父親の営んでいた商売が失敗。多額の借金を背負うはめになった。
懸命に家族を守ろうとしてくれたが、借金はふくれあがるばかり。どうにもできなくなった父親は、自室で自らの命を絶った。由緒正しき家が売られる数日前の出来事だった。
周りにたくさんいた優しい大人は、誰ひとりとしてセルマたちを助けてくれなかった。あれだけチヤホヤしていたくせに、家が没落すると嘲り笑うようになった。
母親のラウナはひとり娘のセルマを育てるため、貴族でありながら他の家へ住み込みで奉公し始めた。慣れない水仕事も積極的に行い、貴族でなくなろうとも父親の分まで一緒に生きようと言ってくれた。
その数日後に、ラウナは亡くなった。セルマが朝に目覚めた時、いつも一緒に眠ってくれているはずの母親がいなかった。必死に探してる最中に、奉公先の貴族から聞かされた。
母親が亡くなったあと、セルマは別の貴族に引き取られた。奉公先の貴族もまた、いつの間にか没落してしまったせいだ。
災いを呼ぶと忌み嫌われたセルマを次に引き取ったのは、醜い容姿の中年貴族だった。それまでも満たされた生活は送れていなかったが、そこはさらに酷かった。
成長して外へ出るまで、徹底的に躾という名目で酷いことをされた。おぞましすぎて、二度と思い出したくもない。
頼るあてもなかったセルマは、セエラと名を変えた。セルマ・エル・ラスルクという本名の、頭文字を並べた偽名だ。顔も隠した。自分を知っている貴族に、何をしてるのか悟られたくなかった。
不必要なことは説明しなかった。同情を欲してるわけではない。母親の事故の真相を暴き、犯人がいるのなら報いを受けさせたかった。
「……余がこの部屋へいる間に、レイホルンはより堕落したみたいだな。よもや、王位継承権を持つミルシャでさえも地下に監禁するとは」
レイホルン国王が、辛そうにため息をついた。
「いいえ、陛下。我が国の女王は、まだ生きてるだけ幸運なのです」
セエラは、どうして現在の状況になったのかを詳細に説明した。先ほどはミルシャを探していたせいで、満足にできなかった。
話を聞いていくうちに、ゲルツ国王の顔色が怒りで真っ赤に染まる。
「そのような……事情があったか。どこまでも……腐っておるわ。ミルシャよ。新たな国の女王となったのであれば、いっそレイホルンを滅ぼすがよい」
「お、お父様!? 何を言ってるのですか」
「遠慮は無用だ。余に残された時間も、さほど多くはない。この国と運命をともにできるのであれば、それもまたひとつの幸せであろう」
「ならば、お父様も一緒に脱出をしましょう!」
「それだけはならぬ。余はレイホルンの国王ぞ。このような事態を引き起こした原因も余にある。国を捨てるなどできぬ」
ゲルツ国王の考えが変わらないと知り、ミルシャは説得を諦めた。
誰も何も言わずにいると、ベッドの上で気を失っていたラースが「ううん……」と唸った。目を覚ましたのだ。
「ラースっ! 大丈夫? 私がわかる!?」
素早くラースの側に移動したミルシャは、顔を覗き込んで何度も大丈夫かと問いかけた。
「ミ、ミルシャ……? よかった。無事だったんだね……」
「全部、貴方のおかげよ。ありがとう。どれだけお礼を言っても足りないわ」
「お礼なんて……いらないよ。僕が……ミルシャを守りたかっただけなんだから……」
どれくらい気絶していたのかラースが尋ねると、ミルシャは数時間ほどだと教えてくれた。
ゆっくりと上半身を起こす。全身がだるいものの、なんとか動けそうだった。
「無理をしては駄目よ。貴方は他の人より痛みにも鈍い。大丈夫だと思っていても、動いたら傷口が開いて致命傷にもなりかねないわ」
セエラの忠告に頷く。わかってはいるが、じっとしていられそうもない。
「でも、早く城から出ないと。またミルシャが捕まっちゃうよ」
ラースが言うと、心配は無用だとばかりにゲルツ国王が笑った。
「大切な娘を守ってくれた礼だ。余に任せておけ。地下におるとはいえ、いまだに慕ってくれる貴族や騎士たちも多いのだ」
机の上にあった羊皮紙に、ゲルツ国王が何事かを書いた。小さく折りたたんで、娘のミルシャに持たせる。
「これを郊外に住む、ドリガスという貴族に見せるがいい。必ずや、力になってくれるはずだ」
「……わかりました。お父様、どうぞお元気で……」
父親に別れの挨拶を済ませてから、ミルシャは立ち上がったばかりのラースを見た。
「本当は無理をさせたくないけれど、この部屋へずっと隠れてるわけにはいかないわ。ランジスに帰るまで、頑張ってくれる?」
「もちろんだよ」
ラースは笑顔で頷いた。
「では、脱出をしましょう。陛下、私たちはこれで失礼します」
「ウム。ラスルク家の娘よ、勇敢なる少年よ。どうか娘を頼む」
セエラが先頭に立ち、ゲルツ国王の部屋をあとにする。
地下はしんとしている。見張りの兵士が増加された気配はない。捕らえていたミルシャが、ラースたちの手によって救い出されたのをまだ知らないのだろうか。
ラースがどう思うか質問したところ、セエラはそれはないと首を左右に振った。
「とっくに気づいてるはずよ。騒ぎになってないのは、逃げられても問題ないか、逃走ルートを知っているからなのか。好ましい事態でないのは確かね」
「なかなかよくわかっているではないか。元がつくとはいえ、さすがに貴族の娘。平民よりよほど優秀じゃな。褒めてやろう」
いきなり前方から浴びせられた声に、ミルシャが目を見開く。ラースとセエラが武器を構えたのは、ほぼ同時だった。
物陰から姿を現したのは、レイホルンの王妃ファナリアだった。多くの兵士を従え、ゲルツ国王の部屋の近くで待ち伏せしていたのだ。
いつの間にか囲まれている。隙を突いて逃げるのは無理そうだ。
「仮にも王位継承権を持つ者が、城からドブネズミのように逃げるのは好ましくない。堂々と城門から出て行ったらどうじゃ?」
王妃の言葉に合わせて、武器を構えた多数の兵士が輪を狭めてくる。
「わらわについてまいれ。地下は臭い。長居をするなど耐えられぬ。お前たちと違ってな。フフフ」
真っ先に反発してもおかしくないミルシャが、今は従いましょうと言った。
セエラが頷く。二人が同じ考えなのであれば、ラースに異論はなかった。
レイホルンの兵士に取り囲まれながら、ラースたちは王妃の案内で謁見の間へ移動した。
そこには見慣れない豪華な鎧を身に着けた騎士風の人物と、ランジスまでミルシャを迎えに来た男がいた。
「どちらに行かれたのかと思っておりました。よもや、王妃様自らが囚人と侵入者どもを捕らえに行っていたとは」
豪華な鎧を着用している男が言った。
「白々しいぞ、ワルドボーン。わらわが兵を集めたことに、気づかぬお前ではあるまい」
「いやはや、王妃様はなかなかに手厳しい」
ワルドボーンと呼ばれた男が苦笑する。
「この者たちを、いかがするおつもりですかな」
「助けてやってもよいと思っておる。無論、条件はあるがな」
王妃ファナリアが、まるで自分のもののように、謁見の間の奥にある玉座へ座る。
それなりの年齢になっているはずなのだが、類稀な美貌のおかげか、ずっと若く見える。
「そこのお前」
声をかけられたのは、ラースだった。こちらがきょとんとしてるのも構わずに、王妃は言葉を続ける。
「そう。お前じゃ。聞くところによると、かなりの腕前らしいな。どうじゃ、わらわの部下にならぬか。そうすれば、他の二人は助けてやるぞ」
「僕が……王妃様の部下にですか?」
「そうじゃ。騎士の称号もくれてやろう。ランジスの町で小汚い女王に仕えるよりも、よほど良い暮らしができるぞ。満足な給金も、貰えてないのであろう?」
確かに、給金なんて貰った記憶はない。王妃の求めに応じれば、経験したことのない豊かな生活を送れる。裕福になれば、呪われた子とも呼ばれなくなるかもしれない。
即座にメリットの方が多いと理解できる。普通の人間なら応じるかもしれないが、ラースの場合は違った。
「お断りします」
悩む時間を貰う必要はなかった。好待遇が欲しくて、ラースは魔剣を引き抜いて力を得たわけではない。
「僕が仕えると決めたのはミルシャだけです。お金をいくら詰まれても、王妃様の部下になりません」
あまりにもきっぱりと断られたのが信じられないのか、王妃ファナリアはしばらく呆然としていた。
一方でミルシャは歓喜し、セエラは楽しそうに微笑んだ。
「お話がこれで終わりなら、僕たちは失礼します。町に帰りたいので」
ラースの発言に頷いてくれれば楽だったが、王妃はその前に怒りで肩を震わせだした。
「フ、フフ……わらわを愚弄した者どもを、おとなしく帰すと思っておるのか? ありがたい誘いを断った罪を、死んでから後悔するがよいっ!」
周囲の兵士たちが武器を構える。王妃の側にいるワルドボーンとヘンドリクも剣を抜いた。
「案の定、こうなったわね」
「いいじゃない。戦う場所が地下から謁見の間に変わっただけだわ。逆にこちらの方がやりやすいかもしれないわよ」
「お気楽な女王様ね。ラースが王妃の誘いを断って嬉しいのはわかるけど」
「ええ、とても嬉しいわ!」
「フフ。恥ずかしがって否定するのかと思ったけど、そう返すのね。愛されてるラースが羨ましいわ」
女性二人の会話に、聞いてるだけのラースが顔を赤くしてしまう。
「も、もう! 僕が突破口を切り開くから、二人はその隙に脱出して」
素早く鞘から引き抜いた魔剣を振るう。ラース以外には触れないので、しばらく鞘から出しっぱなしだったが、何もできなかったヴェルゾはストレスを発散するように強烈な衝撃波を発生させた。
慌ててワルドボーンが、王妃を玉座から非難させる。頭上を通り過ぎた衝撃波が、謁見の間の壁を破壊した。
最初からラースに攻撃を命中させるつもりはなかった。挟み撃ちされないために、ワルドボーンやヘンドリクへ脅しをかけたのだ。守ってないと、王妃を討つぞと。
ワルドボーンが舌打ちする。狙いどおり、王妃を奥へ逃がそうとするのを優先してくれる。あとはミルシャたちが脱出するスペースを作るだけだ。
戦いになったら、相手を殺すのを躊躇ってはいけない。セエラの忠告を思い出したラースは、全力の衝撃波を扉の前にいる兵士たちへお見舞いする。
悲鳴を上げる数人の兵士と一緒に、謁見の間へ出入りするための大きな扉が吹き飛んだ。
待ってましたとばかりに、セエラがミルシャを連れて謁見の間を出る。
ラースの持つ魔剣の威力を目の当たりにした兵士たちは、すぐに追撃できないほど動揺していた。
その間にラースも、ミルシャたちを追いかける。廊下に出たあと、すぐに謁見の間へ向けて衝撃波を放つ。追手の数を、少しでも減らせればいい。
「こっちよ、ラース。急いでっ!」
大きな声でラースを呼んだのはセエラだった。ミルシャを守りながら、逃走ルートを確保してくれたのだ。




