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馬車に揺られてる間、ミルシャは黙って外の風景を眺めていた。
下賤な者と同じ馬車に乗るのはごめんだと、ヘンドリクは違う馬車に乗り込んだ。形式上は一国の女王となったが、レイホルンの連中にミルシャを敬う気などない。
レイホルンになど行きたくないが、本当に父親のゲルツ国王からの呼び出しだったら困る。それにどこの後ろ盾もない国が、レイホルンからの要望を拒絶するのは不可能に近かった。
いかにラースリッドが魔剣の使い手とはいえ、一国の軍隊が相手では多勢に無勢。局所的な戦闘では勝てても、戦争自体はあっさり負けてしまうだろう。
ため息をつく。何度目かもわからない。
不安と緊張が全身を襲うも、ミルシャはゼロの女王として振舞わなければならない。レイホルン側が、妾の子と蔑んでこようとも。
やがて馬車はレイホルンに到着する。新しくできたばかりの国境を越えて、懐かしの王都でミルシャは馬車から下ろされる。
良い思い出はあまりないが、亡くなった母親との生活が脳裏によみがえる。ゲルツ国王に呼ばれて幸せだったのか、逆に不幸になったのか。今さら、比べられるはずもない。確かなのは、妾の子であろうとも、父親だけはミルシャに優しかったことだけだ。
「さっさと歩いてください。まさか、他国の女王として扱われるとは思っておりませんよね? 勘違いなさってるのなら、今のうちに正しておくのをおすすめしますよ」
躊躇いなく、背中でも蹴りつけてきそうな感じだ。王都へいた際に会話をした覚えはなくとも、ヘンドリクは明らかにミルシャを蔑んでいた。
憤ったりはしない。昔から、妾の子だと散々虐げられてきた。ラースほどではないにしろ、王子や王女からたくさんの罵倒や暴行も受けた。
ミルシャだけではない。生前の母親もだ。それだけに多くの恨みを抱えているが、個人的な感情と国の運営は別だった。
ヘンドリクに促されて、王城へ入る。謁見の間へと続くホールでミルシャを出迎えたのは、ワルドボーンだった。
「お久しぶりですな、ミルシャ王女。いや、今はゼロの女王ですか。いやはや、すっかり立派になられましたな」
ワルドボーンはレイホルンの将軍だ。王妃の子供の護衛を務めていた。嫌味ったらしい人物で、とにかく王妃へ媚びまくっていたのを記憶している。
おかげで若くして将軍になった。一部では王妃と恋仲ではなんて噂も流れていた。当時は関心がなく、何のことか理解できなかったが、成長した今ならよくわかる。この男と王妃ファナリアは間違いなく恋仲だ。
そんな男が、正統な王子や王女に暴行される妾の子を、率先して助けてくれるはずがなかった。いつだったかは、一緒になってミルシャを蹴りつけて遊んだほどだ。
「私も貴方をよく覚えてますよ、ワルドボーン殿。幼少時は、とてもお世話になりました」
「ククク。それは嫌味のつもりですかな。道中にヘンドリクから教えられませんでしたか? 勘違いして調子に乗るなと」
ワルドボーンの拳が、ミルシャの腹部にめりこむ。熱い液体の感触が、喉元までこみあげてくる。床に両膝をつき、ゴホゴホと咳き込む。強いショックと痛みで、すぐには言葉を発せられそうになかった。
「自分の立場をご理解なさいましたか? それではこちらへどうぞ。王妃様がお待ちです」
ニヤリと笑ったワルドボーンが、ミルシャの髪の毛を掴む。抜けようとも構わないとばかりに引っ張る。苦しんでるミルシャを引きずり、強制的に謁見の間へ放り込む。
咳き込んだまま立てないでいると、今度は腰を蹴られた。攻撃されたお腹を両手で押さえていたミルシャは、受け身もとれずに王妃の前でうつ伏せに倒れる。
「謁見の前へ入るなり、土下座で挨拶するとは。弱小国家の女王らしく、おのが立場を理解しているみたいですね。褒めてさしあげましょう。フフフ」
小ばかにしきった声が響く。声の主はファナリア王妃だ。
ワルドボーンに再び髪の毛を掴まれ、床でうつ伏せになったまま顔を上げさせられる。これでは一国の女王どころか、まるで罪人だ。
「運よく魔物どもを退けられたみたいじゃな。少々、驚いたぞ」
薄ら笑みを浮かべたファナリアが、玉座からミルシャを見下ろす。
「喜ぶがよい。次期国王のフロリッツや、王女のコンスタンテもお前を褒めたいそうじゃぞ」
声を合図に、フロリッツとコンスタンテがやってくる。母親と同じブロンドの髪だ。金色なのはセエラと同じだが、王妃親子のはくすんで見える。声にはできないが、きっと性格が髪の色に滲み出ているのだろう。
王族らしい恰好のフロリッツとコンスタンテの姉弟が、倒れてるミルシャの左右に立つ。両者ともに、整った顔立ちを残虐に歪めている。
「汚らわしい妾の子の分際で、一国の女王とはお見事ですわ。褒美に、私の靴を舐めさせてさしあげます。嬉しいでしょう」
「次期国王の僕のも舐めさせてやるよ。顔面を雑巾代わりにしていただいて、ありがとうございますと言ってみろ」
ヘンドリクが執拗にゼロ側からの護衛を拒んだ時点で、こうなるのは目に見えていた。それでも王都へ来なければならにほど、レイホルンとゼロの国力差は大きい。
執拗にミルシャを蹴りつけたあとで、ようやく王妃が子供たちの行動を制止する。
「そろそろ本題に入るとしよう。甚振られるのが好きだというのなら、もう少し待ってやってもよいがな」
ファナリアが玉座から立ち上がる。従来の国王が座るはずの席なのに、すっかり自分のものといった感じだ。
ミルシャの父親でもある国王のゲルツは、一体どこにいるのか。質問したところで、答えが返ってくるとは思えなかった。
カールのかかった長い髪を揺らしながら、ミルシャの側までやってくる。
将軍のワルドボーンが部下のヘンドリクに命じて、強制的にミルシャを立ち上がらせる。
先ほどまでミルシャを甚振っていたフロリッツとコンスタンテは、満足した様子で母親の側へ移動する。
「単刀直入に言うぞ。我がレイホルンの属国になれ」
案の定な要求だった。魔物に奪わせるつもりでランジスを放棄したはいいが、予想外にもミルシャたちは敵を撃退した。周辺諸国どころか、自国民ですら冷ややかな反応を示したに違いない。屈辱に打ち震えても、一度独立を認めた国を強制的に自国領へ戻すのは難しい。だからといって武力で占領すれば、それこそいい笑い者だ。
武力を使わずに自国領も同然にするには、属国にさせるのが一番だ。守るという名目で軍を派遣し、税金も搾取する。ファナリアの性格上、完全な従属を要求してくるはずだ。
そんなのはごめんだと、突っぱねるのは簡単だ。そうしてやりたい気持ちもある。実行しないのは、自国民の安全を考えているからだ。
ゼロがレイホルンの属国になるのを拒絶したのが周囲に広まれば、間違いなく他国に攻め入る隙を与える。わずか領地とはいえ、レイホルンの南側の町を手に入れられるのだ。戦争の際は、前線基地にもできる。
他国にそれをされたら困るので、レイホルンはゼロを従えさせたい。だからといって、譲歩する気はない。ランジスの町が王都となるゼロ一国だけでは、他の国と戦争をするどころか安定した運営すら難しいのが実情だからだ。
「ミルシャ。お前もわかっているはずだ。意地を張るだけ、ランジスの住民がより悲惨な目にあうだけだぞ?」
どこにいるかもわからないゲルツ国王の助けは期待できない。他者を貶めるのを何とも思わないファナリアだけに、ミルシャが拒否し続ければ武力介入もありえる。
そうなれば、素直に属国となった時以上の酷い仕打ちをされる可能性が高い。周辺諸国から笑われようとも、反抗したミルシャたちへの報復を第一に考える。王妃ファナリアは、そういう女性だ。
「……属国になったあと、ランジスの住民を……他の民と同じように、優しく平等に扱ってくれますか?」
悩んだ末に、ミルシャは王妃に質問した。住民の幸せが守られるのであれば、自身のプライドよりも安全性が高い選択をしたかった。
兵力もほとんどないゼロが、一国で独立を維持するのは難しい。属国になったとしても、以前みたいに虐げられる生活でなければ譲歩してもいいと思った。
今回の提案を蹴ったあと、他国に侵略されて奴隷のように扱われるよりはいい。そんなふうに考えて、先ほどの発言に繋がった。
質問というよりも確認に近いミルシャの言葉に、王妃ファナリアはかつてない笑顔で頷いた。
「一国の王妃として、約束を守ると誓おう。安心するがよい」
ファナリアが指を鳴らす。事前に取り決めていた合図だったのか、若い男性兵士が手に書類を持ってきた。
王妃に書類を手渡すと、兵士はミルシャを一瞥してから立ち去った。同情よりも、侮蔑に近い視線だった。
王族だけでなく、一介の兵士にまで蔑まれる。このような国に従属して、幸福を得られるのだろうか。
不安と疑問が浮かび上がってくる。周辺諸国と互角にわたりあえるだけの国力さえあれば、今回の提案も間違いなく拒絶した。そもそも、ファナリアとの面会すら承諾しなかった。
「では、この書類にサインと母印をするがよい。それでお前の国は守られる。フフフ」
言葉どおりの安心はできない。散々、王妃に酷い仕打ちをされた。お断りだと言ってやりたくとも、抗える力が自国にない。強く下唇を噛む。屈辱を押し殺し、ミルシャは言われたとおりにサインと母印をした。
属国の契約がまとまった直後、ヘンドリクに立たせられているミルシャの腹部に、王妃ファナリアが蹴りを放ってきた。
「――っごほっ! がはっ、あぐ!」
母親の行動を見て、満開の笑みを浮かべたコンスタンテがミルシャの髪の毛を掴む。顔を引っ張り上げ、何度も平手打ちを見舞う。
謁見の間に肌打つ音が響く。苦悶の声を上げるミルシャを、王子のフロリッツが愉快そうに指を差す。
「な、何の……つもり、ですか……」
問いかけるミルシャに、レイホルンの王妃ファナリアは悪びれもせずに言う。
「お前はレイホルンに従属する国の女王。いわば奴隷ではないか。好きに扱って何が悪い」
口端をいびつに歪めた王妃の顔を見て、ミルシャは自身の選択が間違っていたのを悟った。
「そうじゃな。まずは忠誠の証として、我が国に税を納めてもらおうか」
属国になれば税金の要求をされるのは想定済みだったが、王妃に告げられた額は法外だった。新しく誕生したばかりで、領地がひとつの町しかない国にはとても払えない。
「そのような金額は無理です。一体、何を考えているのですか」
声を荒げるミルシャに、ファナリアは仰々しく目を見開いた。
「払えぬと申すか。宗主国たるレイホルンの要求が聞けぬとなれば、これすなわち反逆ぞ」
「は、反逆!? 私にそのような意図は……」
「ええい、黙れっ! ワルドボーン、この反逆者を牢へ入れておけ! その上で、属国のゼロに今回の件を通告するのだ!」
怒鳴りながらも、王妃ファナリアは笑っていた。最初からこうするつもりだったのだ。払えない額を要求し、ミルシャに無理だと言わせ、反逆者として捕らえる。
一瞬でも、目の前にいる王妃を信用したのが大きな間違いだった。勝手に独立させておきながら、ファナリアはゼロの存在を許す気がなかったのだ。




